あわいをめぐる旅

001. 言葉と言葉にならないもののあいだ -そこにある希望と絶望-

過去に書いた日記の編集をしていると、ふと「言葉と言葉にならないもののあいだには何があるのだろう」という疑問がわいてきた。屋号でもあり、取り組みのコンセプトでもある「あわい」は「あいだ」という意味だ。人と人のあいだ、気持ちと形のあいだなど、何かのあいだに関わることや、明確に文節されていないあいまいなものに関わりたいとその名をつけた。サイト常にも「ことばとことばにならないもののあいだに」という言葉を出している。しかしこれまで「言葉と言葉にならないもののあいだ」について、しっかりと向き合ったことはなかった。もしかするとあったかもしれないけれど、今この瞬間の最新の感覚に更新をしてみたい。

私は今、日々こうして日記を綴っている。「これを書こう」という意識と、パソコンのキーボードをタイプする指が動くのと、どちらが速いかと考えると、原理としては意識の方が先に起こるように思うが、体感覚としては、指が動く方が速い。文字になっているものを見てはじめて「こんなことを考えていたのか」と気づくこともあるし、文章を書いてその内容に驚くこともある。意識的に認知していない脳の中にあるものが直接体を動かす信号となって、指を動かしているという感覚に近いかもしれない。信号としては脳から出ているのだろうけれど、それは体中に張り巡らされた感覚と繋がっている。

そうして言葉が置かれていくわけだが、全てのことが言葉になっているかというとそうではない。少なくとも意識の上で湧いてきたことを「これを書くべきか書かざるべきか」と迷うようなことはないが、その手前で、自分の中にある言葉の粒と結びついていないものもたくさんある。それは形容詞的に○○な感じと感覚的に表現することはできるが、その言葉が、その根底にあるものを表現しきれているかというとそうではない。感覚とも感情とも想いともつかないものが物理的な体の中とそれを取り巻く空間に浮かんでいる。それは、無限の宇宙空間に浮かぶ数えきれない星のようだ。

今こうして書きながら、「言葉になっていないもの」はこんなにあるのかと、その広大さ、深遠さに驚いている。どこまで行っても人と分かり合えず、どこまで行っても孤独なはずだ。方角も、その端も分からない宇宙の海の中を、一人静かに泳ぎ続ける。

言葉はそこの浮かぶものの僅か一部。何かのきっかけで差した光が当たった部分なのかもしれない。「氷山の一角」のように、その向こう側には、無限の世界が広がっている。いくら聞いても人のことなど分からないはずだ。分かるのは、相手も自分も広大な宇宙に一人漕ぎ出す旅人であるということ。

言葉は一筋の光であり、その向こう側には深い深い闇の世界が広がっている。その間に、自分がいる。小さな希望に胸踊らせ、壮大な絶望に途方に暮れる。

言葉と言葉にならないもののあいだには、何かがあるのではなく自分がいる。
書き始めたときには想像もしなかった言葉がここに置かれ、驚いている。2019.08.27 Tue 10:17 Den Haag