ちょうど6年前の今頃、離婚をしました。

お互いにとってより良い道をあゆむための大切な選択だと思ったし、そうだったと今でも思っています。

それでも当時の私の中には「心の痛み」がありました。

それは、大好きだった人や自分のことを大切に思ってくれている人を苦しませる結果になってしまったということへの痛みであり、同時に、どこかで思い描いてきた「幸せの形」を外れてしまうことへの痛みでもありました。


「子どもは大切だけどいつか離れることになるもの。私たちは私たちで生きていくから、あなたたちも自分のパートナーと生きていくのよ」

いつの頃からか、私の親はそんなことを言うようになっていました。

もしかすると、家を出ていく子どもたちに「私たちのことは気にせず、自分たちの暮らしを大切にしてね」と言いたかったのかもしれません。

もしかすると、そんなことを言われたのは一度だけで、私が頭の中で何度も再生をしていただけなのかもしれません。


人生には色々な形があるということを重んじている人たちなので、必ずしも結婚ということをさしていたのではないだろうし、「パートナーと生きていく」ことだけにこだわっていたのではないだろうと思います。

いずれにせよ、私は「この先の人生はパートナーと生きていくんだ」というイメージを強く持つようになっていました。


夫を福岡に残しての東京での単身生活がすでに2年に近づいていた私にとって離婚をしても生活にほとんど変化はなかったけれど、それでも彼のことを「パートナー」だと思っていた私にとって「パートナーと生きていく」から外れた自分になることは苦しみを伴うものでした。




私たちが自分について描くイメージのことを「セルフイメージ」と呼びます。

強い自分。
優しい自分。
きちんとしている自分。

多くの場合、セルフイメージは自分がポジティブだと認識している側面に意光が当てられ、作られています。

それは今までの経験から形作られたイメージなので確かに自分の一部ではあるのですが、自分の全てではありません。

弱い自分。
厳しい自分。
だらしない自分。

そんな自分もきっとどこかにいるはずです。


しかし、あまりにも「自分はこういう人なんだ」というセルフイメージが強いと、そのイメージに合わない自分を強く否定するということが起こります。

無意識で「自分でないもの」として脇に追いやるため、強く否定しているという実感さえ湧かないかもしれません。

脇に追いやっているものはどうなるか。

そんな自分が出てきたときに自分を責め、自己肯定感が持てなるなるか、「抑圧された自分」としていつか爆発するか、もしくは、追いやっている自分が他者に反映されて過剰に反応が起きるということが起こります。

例えば自分の中の攻撃的な部分を受け入れることができていない場合、他の人の中に攻撃性を見つけて「けしからん!」となるのです。

もちろん、許しがたい、もしくは許してはいけないような攻撃性というのもあるでしょう。

しかし、多くの場合私たちが他者に感じる怒りやもどかしさは自分のセルフいイメージに合わず自分の中で「なかったことにしているもの」からやってきているのです。



セルフイメージは私たちがそれぞれの意識の中で作り出しているものですが、他者や社会の影響でつくられるものもあります。


私は小学生の頃、とっても元気がいい子どもで、スカートよりもズボンを好んでドッチボールをしていましたが、そうするとよく「活発な女の子」と言われました。

男の子は元気がよくてもわざわざ「活発な男の子」とは言われないけれど、女の子が元気だと「活発な女の子」と言われる。

それは人々の間に「女の子とはこういうもの」というイメージがあるためです。

大学で工学部の土木系の学科に入り、就職活動が近づく頃、「男の子だったら良い就職先がたくさんあっただろうけど」ということを言われました。

確かにそれは事実だったかもしれないけれど、世間の中で「女性はこういう仕事に就くべし」というイメージもあったのだと思います。

転職をして東京に行くことを決めたとき、夫を福岡に残していくことに対して「逆単身赴任」と言われました。「単身赴任は男性がするもの」というイメージがあるのでしょう。


私は「押し付けられるイメージ」に敏感だったためか、これらの言葉にいつもちょっとした(ときには大きな)違和感を抱いてきました。


それでもオランダに来て平日に公園で子どもと遊んだり自転車に子どもを乗せたりしている男性がたくさんいることを見て「自分も女性や男性に対して、『こういうものだ』というイメージを持っているものがたくさんあったんだな」ということに気づきました。


他者や社会のつくったイメージはときにひとりひとりが本来持っている個性や感性、可能性を押し込めてしまいます。

「セルフイメージ」という牢獄に人を閉じ込めてしまうのです。

そうすると、人はざまざまな側面がある自分のことを受け入れられなかったり、生きている実感が感じられなくなったり、自分の発揮していない面を発揮している人に対して否定的な目を向けたりするようになっていきます。


それでも、セルフイメージを持つことが必ずしも悪いことかというとそうではありません。

「自分はできるんだ」というセルフイメージを持っていれば軽やかに挑戦を続けることができます。

「これがわたし」と思うことは、心の中に安心をつくりだすことにもつながります。

あなたが強いセルフイメージを持っていることはそれだけ誰かがあなたに期待をしてくれたということかもしれません。あなたの幸せを願ってくれたということかもしれません。


大切なのは自分が持っている自分に対するイメージが、「本来の自分」や、「まだ発揮されていない可能性としての自分」と一致しているかどうかです。

そのためには、まず、自分自身がどんなセルフイメージを持っているのか、そのイメージが何から来ているのかを知ることが重要です。



あなたはあなたが思うほど優秀で完璧な人ではないかもしれません。

でも、あなたはあなたが思う以上にいろどり豊かで、かけがえがない存在です。


どんなあなたであっても、まずあなた自身があなたを愛することができると私は信じています。