社会的な地位や十分な収入を得て何不自由ない暮らしをしていても、どこか満たされない。

人の役に立つことをやって喜ばれてはいるけれど、これから先もこのままでいいのだろうかと悩む。

自分の心に正直に生きたいけれど、経済的に上手くいくかが不安。


私たちの悩みは、なかなか尽きることがありません。


これらの悩みはなぜ起こるのでしょうか。

それに対して私たちはどう向き合えばいいのでしょうか。


そのヒントを教えてくれるのが「世界を見つめる4つの視点」という考え方です。

これはアメリカの思想家であるケン・ウィルバーが提唱するインテグラル理論における基本思想の一つで「四象限」と呼ばれているものでもあります。

今日はこの四象限の考え方とともに、私たちが普段抱える「満たされない」という課題がどのように生まれるか、個人として、組織として、それにどう向き合えば良いのかについてご紹介します。

1. インテグラル理論とは

まず、インテグラル理論について簡単にご紹介します。

インテグラル理論とは、人間の意識や行動に関するメタ理論です。

メタ理論とは、「理論に関する理論」のことであり、「複数の理論をさらに構造化する理論」を示しています。

インテグラル理論の提唱者であるケン・ウィルバーは心理学をはじめとした人間の意識や心に関する100以上の理論から、それらを包括的に捉える理論体系をつくりました。

現在では、人間や社会、世界を包括的に捉える地図として組織開発や環境問題の解決、国家間の衝突の解決などにもインテグラル理論を元にした考え方が用いられています。

画像2

インテグラル理論に関するおすすめの入門書はこちら『入門インテグラル理論

2. 世界を、2つの軸、4つの視点で捉えてみる

では早速、世界を4つの視点で捉えてみましょう。

そのためまず、世界を捉える2つの軸をご紹介します。

1つ目の軸は「内面」と「外面」という軸です。

これは、
・目に見えないもの/目に見えるもの
・計測不可能なもの/計測可能なもの
・主観的に捉えられるもの/客観的に捉えられるもの

と言い換えることもできます。

画像5


2つ目の軸は、「個」と「集合」という軸です。

画像4


これらの軸をかけ合わせると、4つの象限ができます。

画像5


例えば、「新型コロナウイルスが私たちに与えている影響」を例に考えてみましょう。

<個の外面(身体)に与えている影響>
新型コロナウイルスは、ウイルスの直接的な影響として感染症状を引き起こします。同時に、飛沫感染や接触感染をするという性質から、ウイルスの感染を防ごうとすると私たちは行動を制限する必要があります。

それがさらに、生活習慣の変化や、既往症の悪化などをもたらしています。

<集団の外面(システム)に与えている影響>
ウイルスの広がりによって医療崩壊が起こったり、行動の制限によって経済的な危機が起こっている一方で、人間の行動が減ることによって自然環境が改善されているという見方もあります。

さらに、この危機を乗り越えるためにテクノロジーの発展のスピードが上がっているかもしれません。

<集団の内面(文化や慣習)に与えている影響>
また、立場や慣習の違いから、人々の間に対立や分断が起こっているということもあれば、共同体としての一体感が強まっている場合もあります。

仕事をする環境や1日の過ごし方が変わることによって、同僚や家族との関係性の変化も起こっているでしょう。

今まで無意識のうちに当たり前になっていた社会的な慣習が新たなものになるということもあります。

<個人の内面(心や意識)に与えている影響>
そんな中で私たちは不安や混乱を感じることもありますし、これまで持っていた価値観が変化しているかもしれません。

画像6

このように、四象限の考え方を用いると、一つの物事を異なる視点から捉えることができます。そしてそれぞれの象限に現れることは、お互いに影響を与え合っています。

どの視点が正しい・優れているという訳ではなく、「見落としていることはないか」や「他の人との意見の違いが何から生まれているか」を検証することができるのが、この四象限の考え方です。

3. 人間の精神が求める3つの価値

この考え方は古代ギリシャの哲学者プラトンの提唱した「人間の精神が求める普遍的な価値のあり方」を示す「真善美」と重ね合わせることができます。

画像14

「真」は、個人および集団に関係する、客観的に計測することができる領域で、現在では技術や科学、数字や形として表すことができるものとして私たちの周りに存在しています。

一方、「善」は科学的に計測することはできないものの、集団や社会の中で「正しいこと」「善いこと」として存在し、倫理や道徳・文化と呼ばれています。

そして「美」は、私たち一人一人の心の中に「美意識」や「芸術」として存在しています。

画像6

「私たちの精神はこれらの3つの価値が満たされることを普遍的に求めている」というのがプラトンの考え方であり、インテグラル理論の四象限の考え方も「全ての面に目を向けること」を後押ししています。

ではもし、真・善・美、いずれかの面を見落としているとどうなるでしょうか。

4. 真・善・美、いずれかの面が欠けていると起こること

真・善・美の3つの価値領域を、ざっくりと、

真:実現できること
善:善いとされること
美:美しいと感じること

と捉えてみます。

画像8


もし、「真」の視点が欠けているとどうなるでしょうか?

自分が美しいと感じることや社会的に善いとされることをやろうとしても、実際の技術や形、構造、経済性に目を向けていないと、実現できないもしくは経済的に成り立たないということが起こります。

画像7


続いて「善」の視点が欠けているとどうなるでしょうか?

実現もできるし、それを美しいとも感じる。しかし倫理性や道徳に反するものであればそれは社会に受け入れられない、認められないということが起こります。

画像9


最後に、「美」の視点が欠けているとどうなるでしょうか?

社会的に善いとされていることを実現することができる。しかしそれが自分自身の美意識や自分の中での真実に則ったものでなければ、「満たされない」「心が喜ばない」ということが起こってしまいます。

画像10


このように冒頭に挙げた

社会的な地位や収入を得て何不自由ない暮らしをしていても、どこか満たされない。

人の役に立つことをやって喜ばれてはいるけれど、これから先もこのままでいいのだろうかと悩む。

自分の心に正直に生きたいけれど、経済的に上手くいくかが不安。


といった課題は、真善美のいずれか、もしくは複数の視点が欠けていることによって起こっていると考えることができます。

実際には、それぞれの価値がすでにそこにあったとしても、「そこにある」ということに気づいていなければ「何かが足りない気がする」ということが起こるのです。

ではなぜ、「視点が欠ける」ということが起こるのでしょうか?

5. 3つの価値領域全てに目を向けることの難しさ

インテグラル理論ではこれを「フラットランド化現象」という言葉で説明しています。

フラットランドとは、「質」的なものが、数値として計測可能な「量」的なものに還元されてしまうことを指しています。

「定性的なものを定量的に置き換える」と言うこともできます。

例えば、人材育成や能力開発において、個人の能力や特性をアセスメントなどを用いて評価し、その結果だけを重視するとどうなるでしょうか。

本来、環境や関係性、文脈によって発揮される力が動的に変化するはずの人間が静的で規則性や再現性の高い機械のように捉えられた結果、その人の特性や可能性の発揮を十分に後押しできないということが起こります。

実際に、科学技術の発展とともに定量的な成長を追い求め、数値で測れるものや見えるものに強く意識を向けるようになった結果、「数値で測ることのできないもの」については軽視されるということが起こっています。

そんな中でもまだ、目に見えずとも他者との間で合意できることについては比較的容易に意識を向けることができます。

むしろ、生まれ育った社会の中での文化や慣習は無意識に染み付いており、集団の中で「善いこと」「正しいこと」など、意識せずともその価値観に従っているということも多くあります。

また、対話などのコミュニケーションを通じてお互いの間で合意をしていくということも可能です。

一方で、自分自身が主観的に美しいと感じるものについては、その真偽や善悪について、他者との間で合意をしたり、ましてや他者にその価値判断を委ねるということもできません。

自分にとっての「美」に気づくには、普段身を置いている計測可能なものを重視する意識や、一体になっている慣習・文化の奥にあるものに自分自身で触れる必要があります。

さらにそこにある主観的な体験の意味を自分自身で認めなければならないという性質が「美」を見出すことの難しさを生み出しているとも言えるでしょう。

画像11

一方で、計測できない領域、特に個人の内的な体験や美意識のみを真実だと捉えるとことには大きな危うさもあります。

精神領域の探究者が社会的な倫理や道徳に反することを犯したり、現実世界と距離を置きすぎて身体的な健康や生命を脅かす状態に自分自身を追い込んでしまうのは美の領域を重視しすぎたが故に起こることだと考えられます。

6. 共有も共感もできないものを受容することができるか

組織という視点で見ても、真と善については共有したり合意することについて多くの方法が確立されています。

数値的な指標や物理的な判断基準は組織にとっての真を共有するものであり、ビジョンやパーパスなどは善もしくは真の領域について共通認識を持つことを後押ししてくれるでしょう。

しかし、個々の持つ美の領域については、そもそも他者との間で合意したり明確に示すことができるものではありません。

同じ仕事をしていてもその結果やプロセスでどのような体験をし、その中の何が自分自身の美意識に沿ったものであるかは、それぞれ違います。

言葉にすることは、自分自身の主観的な体験とその中にある自分にとって大切な価値観を認識することを後押ししますが、他の人にとってそれが想像したり共感したりできるものとは限りません。

共有することさえできないかもしれません。

それでも人は、共に見届けてくれるまなざしがあり、時に鏡のように自分の姿や言葉を映し出してもらうことによって、感じたこと、言葉にしたことを自分自身で受け止めていくことができます。

ここにも美の領域を見出すことの難しさがあります。

相手に受け入れられるわけではないけれども、自由に表現することのできる安心感のある関係性。理解も共感もできないかもしれないことに興味を向け続け、相手の存在そのものを受け止める在り方。

そこには、少なくともその場を共につくるのだという合意と、じっくりと自分自身の体験に意識を向け言葉にしていくとともに、それをさらに内的な感覚と照らし合わせていくための時間が必要です。

そして、時に相反するように見える感情や価値観と向き合い、それらを見つめるさらに大きな自分自身の視点を読み解いていくことが必要になります。

そのプロセスでは自分自身が一体となっているものを客体化するとともに、評価や判断を手放して曖昧なものと共に居続けそこにあるものを感じる力を発揮していくことになります。

また組織の中では、それぞれが持つ美意識を認め合いながらさらにそれらを含んで超えるような善の価値観や、美と善の体験を実現する環境や仕組みをつくっていくことが必要になるかもしれません。

個人もしくは組織が、それぞれの美を見つけ、それを実現していく取り組みは、意識や組織の変容のプロセスそのものでもあるのです。

「インテグラル理論超入門」ということで、世界を捉える4つの視点と、私たちがぶつかる課題の関係性、課題との向き合い方について簡単にお伝えするつもりがすっかり熱くなってしまいました。


次回はインテグラル理論の中で「意識のレベル」と呼ばれる、意識変容のステージと「美」の見つけ方の関係について書いていこうと思っています。

意識変容のステージのイメージはこちら▼ 
この中で「美」はどこに隠れているのか!?