私たちは普段、大きく3種類の言葉を話しています。

・主語がI(わたし)の言葉
・主語がYou / it(あなた、それ)の言葉
・主語がWe(私たち)の言葉

それぞれに役割があり、効果があり、意味があります。

それぞれの言葉を育てると、伝えたいことを伝えたい相手に届けることが、より効果的にできるようになります。

しかし特に「I」を主語にした言葉は意識をしないとなかなか育ちません。


それはなぜか。

4つの背景が考えられます。

1. なぜ「I」を主語にした言葉は育ちにくいか

1つ目は言葉の構造です。

日本語は主語を省略して話すことができるという性質から、「それを言っている主体は誰なのか」ということを曖昧にしたまま文章や会話を成立させることができてしまいます。
(実は日本語以外にも同様の言語が多くあるそうです。)

2つ目は文化・慣習です。

「阿吽の呼吸」「空気を読む」「察する」「忖度する」

などの言葉が示すように、日本では人と人の間や共同体の中にある見えないものを無言のうちに感じることができる人が社会的に成熟した人間であると見なす風潮があります。

「常識」が無意識のうちに共有されていて、わざわざ言葉にして確認しなくてもいいということも多くあります。(これも日本に限ったことではないかもしれません。)

3つ目は「I」を主語にして表現するのには時間がかかるということです。

今は、誰かが言っていることをシェアすることは驚くほど簡単に行うことができます。

誰かが言っていることを評価することにも私たちは慣れています。

しかし、「なぜそう評価するのか」ということを見つめるには、「評価」と一体になっている自分と距離を置く必要があります。そのためにはある程度の時間が必要です。そしてそれを表現するのにも時間と手間がかかります。

4つ目は成長プロセスで経験することの影響です。

人は成長していく過程で「利己的な段階」というのを通っていきます。
このときの最も大きな関心ごとは「自分の欲求を満たせるかどうか」です。

これは誰しもが通る道であり、とても自然なことです。

そして、この段階では利己的・自己中心的であるが故に、周囲の人と対立したりその結果ものごとが上手くいかなかったりということが起こります。

そのときの経験が苦いものであるほど、もしくは自分にとって心地よくないことを経験しているほど、「自分を強く押し出すことはネガティブな結果に結びつく」というイメージを強く持つようになります。

その後、様々な経験を経て他者と折り合いをつけることができるようになり「わたし」という言葉の持つ世界観自体が拡大しているにも関わらず「わたし」の視点から語ることを無意識に避けるということが起こります。


では「I」を主語にした言葉を話していないとどうなるでしょうか

2. 「I」を主語にした言葉を話さずにいると起こること

「You(あなた)」を主語にした言葉は時に評価として相手に伝わります。

・良いですね
・上手ですね
・すごいですね
etc…

これらは一見、相手を褒めるポジティブな言葉のようにも聞こえますが、これでは、対象物を客観的に捉えて表現しているだけで、それを見た話し手が何を受け取ったのかは表現されていません。

言葉のやり取りはあったとしても、「伝わった」ということが伝わらないままになってしまいます。それでは残念ながら相手との信頼関係も深まらないままになってしまいます。


また、人は「自分が考えていることを言葉にして知ることができる」という性質があります。「わたし」を主語にして話す機会がないと、自分でも自分が何を考えているのか、分からなくなっていってしまいます。

そうすると今目の前にある仕事や暮らしが自分の大切にしたいことにつながっているかどうかも分からなくなってしまいます。それが実はやりたいことであったとしても、そうだと実感ができなくなってしまうのです。

そして、そこに「I」が不在の言葉は、人の心に届きにくいことがあります。なぜなら、現在、私たちは膨大な情報を処理するために「聞き流すこと」「読み流すこと」に慣れてしまっているためです。

「どこかで聞いたことがあること」「誰かが言っていること」は、無意識のうちに「情報」として、さらりと読み流されてしまいます。

そんな中で語り手の想いや意志に出会える言葉には、人に影響を与える力があります。


人は誰もが自分が生きているという実感を感じたいと思っています。

誰かの想いや意志に出会うと、それに対するものが共感であっても違和感であっても、自分の中の想いや意志が反応をします。そうして人は自分の存在を確認することができるのです。


「I」があるかどうかは、明確に「わたし」を主語にしているかどうかということに関わりません。

そこに、その人の体験や経験や信念を通したことが語られているかどうか。

カッコいい言葉でなくても、洗練された言葉でなくても、目新しい言葉でなくても、ちょっとした一言でも、そこに、言葉を発した人の心や人生とのつながりがあるか。

そんなことを人は敏感に感じ取っています。



あなたの言葉に「I」はありますか?

そこにあなた自身はいますか?


今は上手く言葉にできていないとしても、「表現をしているあなた」は必ずそこにいるはずです。

そこに、言葉にされることを待っている想いがあるはずです。