20230211 心の旅
ここ数日に比べてすんなりと目覚めることができた。腸内環境がととのってきているのだろう。
ぼーっと鳥の声と水の音に包まれる。言葉以前の世界が心地いい。
昨日は精神的に盛りだくさんの一日だった。
日本にはロングステイのビザというものが存在し、条件が揃えばピーターさんは最大1年、連続して日本に滞在できることが分かった。これまでビザの情報をいろいろと見てはいたものの、ここ数年の間に新しくつくられた制度ということで見落としていたようだ。
ロングステイのビザを見つけたときに、喜びとともに申し訳ない気持ちが生まれた。
ビザは特に大事な話であったはずなのに、自分の真剣さが足りなくて見つけられなかった。真剣に探していたつもりだが、自分にはどこか「仕事に関連するビザ以外で中長期のビザなどない」という思い込みがあった。それが申し訳ない。そんな気持ちだ。
そんな気持ちを感じながら同時に不思議にも思った。
そもそも極論を言えばビザの話はピーターさんの話であってわたしがそれをどうにかしてあげる必要はない。結果としてビザは見つかったのだし、わたしの中に真剣さがあろうがなかろうが、思い込みがあろうがなかろうが、それはピーターさんにとってはやはり関係のない話だ。
だからわたしが申し訳なさを感じる必要などこれっぽっちもないのだけれど、なぜかわたしは申し訳なさを感じている。これはおそらく自分の持っている「傷」に関係するのだろう。
自分にある傷はどちらかというと相手を責めるという反応が出る傷だと思っていたが、どうやら自分を責める反応が出る傷もあるようだ。
いくつもの傷があることは自然なことなので、一つずつ、都度都度、自分の感覚と向き合っていくしかない。
心が静か、というのは一見良いことだけれども、多くの場合それは傷を見ないようにしている・痛みを感じないようにしているということだ。
痛みを受け止め、自分を受け止めた先には静けさよりもあたたかさがある。
ロングステイのビザがあるというニュースを受け取った数時間後、今度は現在購入を検討している物件の仲介業者から司法書士が外国人への不動産移転登記はできないと言ってきたという連絡を受けた。
しかしそれは法律上できることになっている。つまり、面倒だからか、外国人だからか、とにかくいろいろな理由でその人はやらないということだ。
通常より手間がかかるし、よっぽどの都会でない限り初めての取引になるだろうから大変だろうと予想はしていたが、とてもガッカリした。
こういうときわたしの中では「プロフェッショナルであること」への期待が大きくなる。
困っている人をサポートするために難しいことの解決策を考えるのがプロではないか、とそう思うのだ。
この気持ちがあるから、それを裏切られたと感じるときに大きな落胆がやってくる。
しかしこの期待は、ある種わたしが持っている幻想であり、人生の前半、自分が取り組んできたことへの執着とも言える。「○○とは●●というものだ」、という自分の中の期待や思い込みが他者との間に衝突を生み、自分の中に葛藤や落胆を生む。
残念な知らせだったが、ピーターさんは「そんなこともあると思っていたよ」とケロッとしていた。彼はわたしのような幻想は抱いていなかったのだろう。幻想がなければ怒りも落胆も生まれない。(痛みを見ないようにしているという可能性もなくはない)
そんな二つの出来事のあいだに、インナーチャイルドペインティングのワークショップに参加した。
ここでの体験は、体験であって、言葉にすると言葉の世界に収まってしまうように思う。
大きくは「人生はプロセス」だと思った。何かを達成するためでもゴールに辿り着くためでもない。そのプロセスに意味はない。
どんなカオスも、混ざり合うと均質な一つの色になってしまう。
結果だけ見てもプロセスは分からない。
一筆一筆に感覚があるが、それはその瞬間にしか体験できない。
自分はそんな体験をしたが最後のシェアの時間に、さまざまなプロセスやストーリーを語る人がいて驚いた。体験というのは本当に人それぞれで、それぞれの人にそのとき必要なことが起こっているのだろう。
物理的にはワークショップ会場への往復しかしていないが、内的世界では大きな旅をした。昨日はそんな一日だった。2023.2.11 7:39 Ubud