わたしのこと
人生のテーマ
「ともにいのちを生きる」
小さい頃から感性や個性を大切にする関係性の中に身を置き「自分であること」を大切にしてきました。一方で、社会的に求められる役割や姿に違和感を感じその中で葛藤することも多くありました。
さまざまな人生の旅路を経て、どんなプロセスも「いのちを生きる」ことに向かっていくためのものだったのだと感じるようになりました。
今は、出会う人とお互いのいのちの響きを交わし合い、日々を積み重ねていくことを大切にしています。

経歴
1983年 横浜生まれ、その後大阪を経由し福岡へ
1994年 私立西南学院中学校入学 元男子校で女子というだけで大歓迎される
1997年 エスカレーターで私立西南学院高校へ ジャズダンスに明け暮れる
2002年 九州大学工学部地球環境工学科入学 写真部に所属し廃墟写真に熱中
2008年 交通システム工学研究室に所属しながら宝くじ幸運の女神として45都道府県を訪問
2009年 7年かけて大学をようやく卒業しザイマックスグループに入社、プロパティマネージャーとして九州の商業施設の運営を担当
2010年 結婚
2011年 ザイマックスグループを退社、福岡R不動産で不動産再生や移住促進の企画を担当
2012年 CTP(現コーチ・エィ・アカデミア)にてコーチングを学び始める
2013年 コーチ・エィに入社 ビジネスコーチ・プロジェクトマネージャー・コーチングスキルのトレーナーとして企業の組織改革に携わる
2015年 離婚、コーチ・エィを退社し、フィリピンセブ島に英語留学するも肺炎で入院
帰国後、知人の事業を手伝ったり友人と企業するも上手くいかず、ヴィパッサナー瞑想に参加し、CTP基礎コースを受講しながらも人生は迷走、櫻井焙茶研究所で日本茶について学ぶ
2017年 渡欧するも引き続き人生は大迷走、成人発達理論に関する学びを深める
2018年 オランダで個人事業主のビザを取得、インテグラル理論やNVC、コンパッション、社会構成主義等に関する学びと実践を深める
2020年 ICFのPCCを取得、開催の講座についてICFよりCCE認定を受ける
2021年 オランダ人のパートナーと旅を開始
2022年 ICF アセッサートレーニングを修了
2023年 2年間の世界の旅を経て、佐賀・嬉野へ 現在セルフリノベーションで日本の拠点を創作中 今後は日本と他国に半年ずつ滞在する予定
大切にしている人間観
Whole:私たちは部分に切り分けられない「全体」としての存在である
Wholeの3つの要素
Natural:心も身体も健やかに
Colorful:一人の人の中にある多様な自己のそれぞれに活躍の場所を
Gifted:必要なものはすでに持っている・発揮されるのを待っている

コーチングとの出会い
大学を卒業し入社した会社で商業施設の運営を担当する中で、施設に入っているテナントの経営者とも現場のスタッフとも話をする機会が多くありました。
それぞれが懸命に事業を上手くいかせようとしている中で、経営者と現場の想いや行動がすれ違ってしまい上手くいかないという状況を見ることも多くあり、それに対して自分も何か力になることができないかと、定期的にテナントを訪問し話をしていました。自分が直接何かできるわけではないけれど、話をすることが何か後押しになるはずだ。そう思って訪問を続けている中で、ある日、当時の夫が新入社員研修で「コーチ」という仕事の人が来たと教えてくれました。「そうちゃんがやりたいことに近いんじゃないかな」と言ってくれたことがきっかけでコーチングを知り、コーチングスキルを学ぶトレーニングに参加をしました。
トレーニング中にコーチをした保険会社の営業マネージャーのチームが営業成績全国3位になり、「コーチングがなければメンバーの個性を潰してやめさせていたと思う」と言ってもらったことから、自分が関わった相手だけでなくその先にいる人まで生き生きしていく取り組みをもっと学び深めてみたいと思うようになり、コーチ・エィに入社をしました。
2年間のビジネスコーチの経験を経たのち独立。ビジネスで力を発揮するだけでなく、人生全体が良くなっていくことに関わっていきたいという想いからさまざまな流派のコーチングや人間に関する理論・考え方を学びました。
今は「コーチング」と言葉が意味するものが人によって違い、そこにある可能性も様々だということを実感しています。
わたしの土台となっている5つの葛藤
1. 名前
「雑草のようにたくましく育って」と名付けられた「草(そう)」という名前。
人に覚えてもらいやすいこともあり、大学生くらいから自分の名前が好きになりましたが、実は小さい頃は自分の名前があまり好きではありませんでした。
わたしの時代は女の子の名前に「子」の文字が使われた全盛期。
病院などで字面から男の子に間違われて名前を呼ばれるということがよくありました。
女の子として扱われることにこだわりがあったわけではありませんが、名前という自分の一部を通して自分が決められてしまう感覚が嫌だったのだと思います。
出会う人の全体を見つめ、知ろうとし、そしていつまで経っても知った気にならずに今この瞬間のその人と出会いたいと思っています。
2.社会の中で求められること
最初に入った会社はリクルート系の自由な会社でしたが、配属された部署は合併した会社の文化が残っており、女性社員がお茶汲みをするという習慣がありました。中高と元男子校が共学になった学校に通っていましたがとても自由な校風で男女の差を感じたことはあまりなく、大学も工学部だったため男子学生がほとんどでしたがその中で決まった役割を求められることもなかったため、社会に出て日々の業務で期待されること以外に女性として期待されることがあるのだということに驚き、戸惑いました。
またある日、オフィスにいる女性は20代の正社員かお子さんがいる非正規雇用の社員だということに気づき、「仕事を続けることはできないのだろうか」と感じました。仕事の中に好きなことがたくさんありましたが、それよりも社会の中では女性として求められることが大きいように思い、それを苦しく感じました。「自分である」ということを大切にしたいという想いは社会に出てすぐの体験からより強くなっていると感じます。
3.表現すること
小さい頃からシュタイナー教育の教室に通っていたりダンスを習っていたこともあり、身体や絵、言葉で表現をすることが好きでした。社会人になってからは生花の教室に通い、自分が活けた花や日々の景色などを写真に撮って当時流行り始めたSNSに浮かんでくる文章ととともにアップしていたのですが、ある出来事をきっかけに、自由に表現をすることが怖くなったことがありました。その後、言葉を綴ることやつくることを依頼いただく機会が何度かあり、またひとりでひっそりジャーナリングする時間を経て表現をすることへの恐れはなくなりましたが、表現にブレーキがかかる時期があったからこそ、ひとりひとりが自分らしく表現をすることへの想いを強く持っています。
4.働くことと健やかに生きること
コーチングの会社で働き始めてちょうど1年が経ったとき、ある日突然胸が痛むような咳が出て止まらなくなってしまいました。病院に行くと、ストレスと睡眠不足から来ているので、まずは少しでも多く寝るようにと言われました。
コーチの仕事は大好きで、仕事に関係することはどれだけやっても苦ではないと思っていましたが、気づかぬうちに無理をしていたのでしょう。
その後、大切な仲間が海外駐在中に亡くなるということも経験し、好きな仕事を続けていくためにも心身が健やかであることが何より大事だと感じるようになりました。
5.慣習が染み付いている自分
30代中盤以降、日本を離れいろいろな国で暮らし、自分が「当たり前」だと思ってきたものがそうではなかったということに気づきそれらを手放し、楽になることも多くありましたが、自分の中に根深く染み付いている慣習があることにも気づきました。慣習は特定の文化の中で生きる上では(特に人間関係をスムーズにすることに)役立っていたのだと感じますが、一方で本来の自分が自由に生きていったり、他者とともにお互いにのびのびといのちを生きることの足枷になるのだと感じます。育った文化の中で身につけたものではあるけれど、自分の一部にもなっているものとどうともに生きていくのかは今後も大切なテーマになっていきそうです。
わたしの土台となっている5つの経験
1.結婚と離婚
長かった大学生活を終えて間も無く、当時お付き合いをしていた人と結婚をしました。
わたしの考えを理解しようとし、尊重し、コーチになることを応援してくれましたが、東京のコーチングの会社に転職することを決め、福岡を出て別々に暮らしたところ、関係を上手く続けることができなくなってしまいました。結婚したことにも離婚したことにも後悔はありませんが、深く話をし、相手のことを知ろうとし、そしてともに何かをつくろうとすることを当時はできなかったなと感じます。同時に自分がどこかで自分の心が本当に望むものとは違う「あるべき人生」のイメージを持ってしまっていたなとも感じます。結婚と離婚の経験は、自分自身やともに過ごす相手の心の声を深く聞こうとすることを後押ししてくれています。
2.仲間との起業の失敗
コーチ・エィを辞めた後、誘われた小さな会社に入ったり仲間と起業をしたりしましたがどれも上手くいきませんでした。
最初は想いに共感し合い、一緒にやっていくことにワクワクしているのに実際に物事が動き始めるとあっという間に気持ちがついていかなくなってしまう。新しいものをつくるために、速く・効率よく・たくさんのことをしないといけないということにどうしても自分を納得させることができない。
何度も同じような状況を繰り返した末に、自分にとっては「何を実現しようとするか」も大切だけど「日々をどんな風に過ごすか」が特に大切なのだということに気づきました。
そのプロセスでたくさんの人に迷惑をかけてしまったけれど、自分にとって大切なものに、たくさんの失敗から気づくことができました。
3.何もしなかったら何もなくなった
「一日一日、今ここにある時間をじっくりと味わっていきたい」と思い、毎日、散歩をして花の写真を撮ったり、お茶を淹れたりしてのんびりと過ごしていたところ、どんどんとお金がなくなってしまいました。
「自分が心地よく過ごしていればきっと何かがやってくる」と思っていたけれど、何もやってこなかったのです。後になってあのときは「心地よいフリをしていたけれど、本当は心の底には不安があった」ということに気づきました。その経験から、「静けさ」と「安心感」がともにあることが大事で、「今にくつろぐ」ことができていると、心地よい今と未来はつくられていくのだと実感しています。
4.孤独な探究
海外で暮らしてみたいと日本を出ましたが、何か明確な計画があったわけでもなく、そのときそのときできることをしながら毎日を過ごしていました。オランダに移り、個人事業主のビザを取り、コーチとしての仕事が軌道に載ってきて、オランダでの暮らしも楽しむことができ始めた頃にコロナがやってきました。オンライン化の後押しを受けてコーチの仕事は順調でしたが、外に出る機会が減り、家で過ごす時間が圧倒的に増えました。オランダの冬は寒くて長い中で人ともほとんど会うことができませんでしたが、その分、興味がある分野への探究や日々のジャーナリングに力を入れることができました。とても孤独な時間でしたが、その孤独が、他者の存在に依拠しない自己感覚と人間に関するより多様で深いまなざしを育ててくれたのだと思います。
5.パートナーとの旅と暮らし
約2年半を暮らしたオランダで現在のパートナーと出会い、2021年4月、コロナで世界が混乱している中で二人で旅に出ました。お互いの母国語も過ごしてきた文化も違い、さらに予想もしない出来事がたくさん起こる中で衝突することも多くありますが、その度、とことん話をすることで相手のことも自分のこともより深く知ることができました。また、彼の生き方からジェンダーで役割を固定せずともに生きることの心地よさや「まず自分を満たしその上で他者を大切にする」ということを学んでいます。
独立した存在としてお互いを尊重し合いながら、ともに暮らし、生きていくにはどうしたらいいのか。今も日々試行錯誤をしながら学んでいます。
ここまでわたしの人生の話を読んでくださってありがとうございます。
今度はぜひ、あなたの人生の話も聞かせてください。
