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最近のうすらいたち

 
 

471. イスタンブールでの暮らしの始まり

 
鳥の声で目が覚めた。
少しの間、まどろみの中で心地良さを味わい、意識がはっきりしてきたところでベッドを抜け出す。
昨晩セットした警報を解除する。
お湯を沸かす。
リビングの横の書斎のスペースでゆっくりと太陽礼拝のポーズを行い、さらに10分ほど瞑想をする。
ハーグでの暮らしで毎朝日課だったことに、少しだけ違うことが加わっている。
こうして書きながら、「天井が高くてレリーフがあるからなんとなくハーグの家と共通した感覚があるんだ」ということに気づく。
それでも、ハーグで暮らしていた家よりもこの家には随分と余白がある。
昨日、予定よりも1時間半ほど早く到着した6月の滞在先にはまだオーナーのカップルがいた。
これからギリシャの小さな島に(それも、あまり知られていない、観光客が来ない島に)行くのだと言う。
話の流れから、カップルのどちらかが絵描きなのだと分かった。
リビングに掛けられた大きな絵も、彼、もしくは彼女によって描かれたものなのだろうか。
4月、5月の滞在先も素晴らしかったが(特に5月の滞在先のバルコニーはとても心地よかった)、この家に来て思わず「すごい」と声を上げてしまった。
映画に出てきそうな木の扉のついたエレベーターがあるほど古い建物だが、中は綺麗にリノベーションされており、家具の一つ一つにも味わいがある。大きなキッチンは、これまで見たことがない、そして表現する言葉さえ見つからない(敢えて言うなら「インダストリアル」な感じなのだが、その言葉では言い表せない荒さとかっこよさがあある)。味わいとこだわりと余白。どんなに計画をしたとしても、この空間の雰囲気は生まれないだろう。時間の流れと幾人もの人の想いがこの空間を作り出しているに違いない。
オーナーが使っていたギター置きに持ってきた小さなウクレレを掛けると、誰かの人生に私たちの人生が混ざる、少し不思議で少し嬉しい感覚が生まれた。
家の周辺には小さなカフェがたくさんあり、そして歩いていける範囲に、アジアとヨーロッパを別つ海(水路と言った方がいいのだろうか)が見える場所もある。
2ヶ月間を過ごしたイズミルより大きく、随分と商業的もしくは経済的な発展を追っている感じのイメージでその分人も商売っ気が強いが、それもまたエンターテイメントの一つとして楽しめばいい。
ここで1ヶ月間、どんな時間を過ごすことになるだろう。
アジアとヨーロッパをつなぐ場所で静かに生まれるものを味わっていたい。2021.6.1 Istanbul
 
 

2021.05.31 470. 心地いい場所を去るとき

 
微かに響く歌声をベッドの中で聞いていた。
夜が深まりゆくのか、明けようとしているのか、窓の外の静けさからは分からなかったけれど、もう夜明けがやってきているのだと、その知らせで分かった。
出発のときだ。
2ヶ月を過ごしたイズミルを離れ、イスタンブールに向かう。
「挨拶をする顔見知りができたときは、その場所を去るときだ」
数日前にそんな言葉を口にしたらパートナーは笑っていたけれど、私にとってそれは正直な感覚だ。
心地良さを感じ、そこから動けなくなる前に安心領域を抜け出す。
気づけばこれまでずっとそうしてきたし、これからもきっとそうしていくのだろう。
イズミルでの時間は本当に、素晴らしく、美しい時間だった。
特に今の家に滞在した5月は、静けさの中で目覚め、心穏やかに過ごし、パートナーともたくさん話をし、たくさん散歩もした。
パワースポットのようなバルコニーのことを向こう10年間くらい思い出すことになるのじゃないかと思う。いやきっと、こんな場所を自分たちで作らずにはいられなくなるだろう。
「余白」
もしくは「引き算」
という言葉が浮かんでくる。
世界にいかに余白をつくるか。
忙しく、「足し算」ばかりになっている毎日の中でどう、手放していくか。
今はそんなことに意識が向いている。
だから、取り組みとして届けていくものたちも、どんな設計や構造にしたらいいだろうかと思う。
「何かを学んだ先に手に入るものがある」というのは確かにそうだったのだけれど、大切なことは「すでに満ち足りている」ということに気づくこと。すでにあるものが、発揮される環境や関係性をつくること。
今感じるのは、世界はとてもシンプルだということ。
私たちが直面する課題は、一見難しく、複雑になっているように見えるけれど、それらを解くために必要なことは、結局シンプルなのだ。
共通点も違いも超えて対話をすること。
自分の中につくる「内的な他者」ではなく、「今ここに生まれた存在」としての他者の声を聴こうとすること、対話をすること。そのおおもとにあるのは自分自身と対話をすること。
「他者との対話」だと思っていたものが「自分との対話」だったことに気づくとき、世界には敵も味方もいないのだと気づく。
その世界はシンプルだが、少しばかり孤独だ。
孤独だけれども、あたたかい。
世界は自分だったのだと気づくとき、自分は世界の一部になり、世界を作っているのは愛なのだと分かる。
失うものなど何もないのだと気づいたとき、命は、一瞬で永遠のものになる。
囁く星たちの声の中で、そんなことを思っている。2021.5.31 5:19 Izmir
 
 

2021.05.28 469. 自由に生きるということ

 
バルコニーで少しの間瞑想をしてから日記を書こうかと考えていると、パートーナーが起き出してきた。
いつもは、私が朝バルコニーでひとしきり本を読んだ後もなお、彼は寝ている(うっすら起きてはいるんだろう)ことが多いが、今日はベッドから起き出してくる気になったらしい。
「オハヨウ!」と満面の笑みを浮かべている。
昨日は1日予定がなかったのでイズミルの街の中心部のバザールからほど近い丘の上にある遺跡のようなものを見に行った。イズミルには2ヶ月間滞在しているが、いわゆる観光スポットのようなところにはほとんど行っていない。
こうして書きながらどうも言葉たちが「よそ行き」な感じがしている。朝一番の、一番社会から切り離された時間に浮かび上がってくることを言葉にしようと思っていたが、届いていた数件のメッセージを読んだところですっかり他者との関係性の中に身を置く自分の意識につながったようだ。
5月を過ごした家もとても気持ちよく、特に多肉植物の鉢植えが並べられたバルコニーはパワースポットのような場所で、毎朝そこで日記を書こうかと思っていたが結局ほとんど書かないままだった。
その代わりに最近は毎朝英語の本を音読していて、それもとても良い時間だった。夕方は仕事を終えた後はパートナーと散歩をしのんびりと海を眺め、夕食を食べ(夕食が先のこともあるし、海を眺めながら夕食を食べることもある)、夜はNetflixやamazon videoで何かしらのプログラムを一緒に見ることが日課になっていう。
振り返ってみると、以前のように「自分の時間」がたくさんなくても穏やかな心で過ごせているということに気づく。彼との会話や対話は引き続き日本語のようにスムーズにいかないことも多いが、「わたし」と「あなた」と「わたしたち」の関係性は確実に変化しているように思う。このあたりはまた、改めて言葉にしてみたい。
昨日、丘の上のお城の跡のような遺跡を歩きながら「『好きな人と好きなときに好きなところで好きなものを好きなだけ食べる』という人生を送れるといいなと思っていたけれど、それが実現できているのだな」ということが浮かんできた。
実際のところ、好きなものを好きなだけ食べたら大変なことになることも分かった。(4月に、滞在していた場所の近くのレストランが気に入り、毎日そこで夕食を摂っていたところ、私のおなかはすっかり丸くなり、彼は尿管結石になった)
今思えば、そもそもどうしてそれが「実現したいこと」だったのだろう。それはつまり、「実現できないことの方が多い」と思っていたということだ。「たくさん仕事をして、自由に過ごすことのできる時間は限られている」「たくさん稼がないと好きなところに行ったり好きなことをして過ごすことはできない」そんなことを誰かにあからさまに言われていたわけではないけれど、社会の中にある様々なメッセージからそんなことを受け取っていたのかもしれない。
そんな思い込みがあったこと自体は悪いことではないだろう。
そんな思い込みがあったからこそ、好きな人と好きなところで過ごせる時間を、とても嬉しくかけがえのないものだと感じられるのだ。
明明後日にはイズミルを離れ、イスタンブールに移動する。
イスタンブールではどんな景色を見るだろうか。何を感じるだろうか。
少し先の未来に胸躍らせつつ、今日ここにある時間を味わい尽くしたい。2021.5.28 8:01 Izmir

2021.05.20. 468 美しい日

 
人生は美しい。
この10年間で何度かそう感じる瞬間があった。
それがいつだったかは覚えていないけれど、どれも、日常の中の何気ないシーンだったと思う。
4月末から約2週間ほど続いたラマダンと厳しいロックダウンが明け数日経った火曜日、15時過ぎにセッションを終え、バルコニーで寛いでいたパートナーに散歩に行こうかと声をかけた。
気温はもうすっかり上がっていて、日差しの感覚は日本の初夏に近いが湿気が少ないためか暑くても快適だ。そして(これは欧州の夏にも感じてきたことなのだが)トルコには蝉がいないため、とても静かだ。
どこへ向かうともなく歩いていると彼が「あのカフェでブラウニーを買って海に行くのはどう?」と聞いてきた。いいアイディアだと頷く。
ロックダウン中にも開いていたそのカフェのマスターの手作りのチャイとチーズケーキはもうすっかり私たちのお気に入りだがまだブラウニーは食べたことがない。
「私はまだ上手く食べられるか分からないから、カップのティラミスにしようかな」
数日前に歯の治療をした関係で今は食べ物を上手く噛むことができない。それでも、良い歯医者を見つけてすぐに治療を受けることができたのは本当にラッキーだったなあ。なんてことを考えながら歩き続けた。
チャイとスイーツを持って海に向かう。
先月から滞在しているイズミルはエーゲ海に面した街だ。
海沿いは遊歩道や公園、自転車専用道が整備されていて、果てしなく海沿いを歩いていけるような感覚になる。
海沿いのスペースには「賑わっている」と言っていいくらい人がいる。
アウトドア用の椅子を持ってきている人も多く、思い思いの場所で思い思いの時間を過ごしている。
約2週間の厳しいロックダウンの期間は、スーパーや八百屋、パン屋など生活に必要な店だけが開いていた。カフェなど一部テイクアウトができる店もあったが「ほとんどの店が閉まっていた」と言ってもいい。
学校は休みになり、公共機関の利用も特別な理由がある人のみ許可され、向こう岸との間をつなぐフェリーも朝晩だけになっていた。
街はとても静かで、それは私の仕事にはとても良かったのだけれど、ここまで厳しい行動がなされる中でこの街の人々はどうやって過ごしているのだろうと不思議でならなかった。
オランダでは夜間の外出制限が出されたときに各地で暴動のようなものが起きたが、「自由」や「自己選択」をアイデンティティとする国と、何かに従うことが当たり前になっている国ではこうも起こることが違うのだろうかなどということを考えていた。
イズミルには(おそらくトルコ全土で)猫が本当にたくさんいるが、猫とともに暮らす人々は気質がのんびりしているのだろうかということを本気で思ったりもした。
釣りをする人たち、芝生の上で寝転ぶ人たち、音楽を奏でる人たち…。
「ここの人たちが普段からこうやって過ごしているのだとしたら、彼らは人生を楽しむということを知っているのかもしれないね」
イズミルの人々を見て、同時に日本のことを思う。
夕日を見ながら家族や友だちとゆったりとした時間を過ごす。
そんな毎日が続いたら、それは特別ではなくなるのだろうけれど、でもきっと、そんな風に過ごす人生は幸せな人生に違いない。
幸せに生きるのに、そんなにたくさんのものはいらない。
そんなことをこれまでも5年に一回くらい強く思ってきたけれど、このままこの感覚を持ち続けるだろうか。それともまた、成長や変容に魅力を感じるようになるのだろうか。
そんなことをゆらゆらと考えながら、ただそこにいた。
19時を過ぎてもなお高い位置にあった太陽がやっと沈み始めた。
沈み始めたらあっという間だ。
家路に着く人たちもいるけれど、まだその場に留まっている人も多い。
「トルコピザを買って帰ろうか」
そう言って彼が立ち上がる。
肩にかけていたカーディガンを羽織り、差し出された手に手を伸ばす。
歩くときはいつも手の届くところに彼の手が差し出されている。
幸せを感じる小さな瞬間が、毎日たくさんある。
今はまだ英語で表現できないことも多いけれど、いつかこの幸せな感覚を彼に伝えたい。
そう思いながらいつものように手を繋いで、数日前に見つけた年季の入った雰囲気のトルコピザを焼いているお店に向かった。2021.5.20 Thu Izmir
 

2021.05.17 467. ゆるやかに変化する間隔

 
おぼろげな意識の中で歌を聞いていた。
「ロックダウンが終わったため、モスクから礼拝を知らせる歌声がまた流れ始めたのだろうか」ということが浮かんだ。
4月に滞在していた場所とは違い、ここでは聞こえてくる歌声はとても微かだ。
言葉も分からないし、リズムや節があるのかさえ分からない。
何かに包まれていたのだとするとそれは「祈り」だろう。
毎日祈りに包まれる。
そんな風に生きているから、こんな状況でもこの国の人たちは穏やかなのだろうか。
トルコでの暮らしが1ヶ月半、オランダでの暮らしも含めると3ヶ月半を共に過ごしているパートナーとは、だんだんと色々なことが交わせるようになってきた。
ひとえに、私の英語力が上がっていることが大きいだろうけれど、それだけではない。
お互いに「聴く」ということが増えているように思う。
だからこそ、随分と視点や考え方が違うのだなと思うことも多いけれど、違いを知った上で、一緒にいるというのは、自分にとって都合がいいことだけを知って一緒にいるよりもずっと根っこが安定している感覚がある。
昨日は私が久しぶりに1日休みだったためにフェリーかメトロ、もしくはタクシーを使って向かいの岸に行きシティトリップをしようと話していたが、出かける前にお腹が空き、前日の夕食の残り物を食べたら眠くなり、気持ちよく昼寝をし…などとしていたら結局出かけずに1日を過ごした。
現在滞在している家は静かな住宅街の中にあるが、持ち主が集めたであろう多肉植物がたくさん植えてあるバルコニーがとても気持ちよく、セッションや会議以外の時間は大抵そこで過ごしている。
私がバルコニーにいるときは彼から見るとどうやらリラックスしている、もしくはだらだら過ごしているように見えるらしく、よく話しかけてくるのだが、意外と考え事やメールの作成をしていることもあり、そのときにどこまで話を聞こうか、しようかと迷うことも多い。
それでも以前よりはだいぶ感覚が変わった。
以前は頑なに「わたしの時間」という感覚があった。
オンラインで誰かと話しているとき以外は「わたしの時間」であって、そのときは取り組んでいることに集中していたい。
一人で過ごしてきた時間の中で無意識のうちにそんな考えが生まれていたのだろう。知らず知らずのうちに暮らしの中で他者との境界線が明確に引かれるようになっていたことは、彼との暮らしを始めなければおそらく気づかなかっただろう。
一方で「わたしたち」の感覚が強い彼は、私が明確に境界線を引くと悲しい顔をする。
お互いに全く違う世界観の中で生きていたが、最近はそんな中でも少し、相手との境界線の引き方が変わってきたはずだ。
おそらく、ここ何回かの日記には同じようなことを繰り返し書いてきているだろう。
5月も半分が過ぎた。おそらく来月はまたトルコ内で別の場所に滞在することになるだろう。その前に1日休みの日に何度かデイトリップを楽しむこともできるはずだ。
今いる場所で、ともにいる人との時間を味わう。これまでとは違う時間の使い方にまだ戸惑いもあるけれど、だからこそこの感覚の中に身を委ねたい。2021.05.17 Mon Izmir
 
 

2021.05.07 466. あわいの旅

 
今日も鳥の声で目が覚めた。
4月末にイズミル内で滞在先を移動して以降、ほんのりと明るくなる空の感覚と鳥の声で目が覚めることが続いている。目覚ましのアラームを使わなくていいというのは本当にありがたい。
しばらく布団の暖かさを感じていたら、隣に寝ている彼がうっすらと目覚めたようで身体を寄せる。男性でかつ、欧米人の割に(というのは思い込みだろうか)体温が低い彼は、いつくっついてもちょうどいい温度だ。またひとときまどろみを続け、いよいよベッドから起き出そうとするときに「おはよう」と声をかけると、同じように「おはよう」という言葉が返ってくる。
「おはよう」と「おやすみ」を言う瞬間が一日の中で一番幸せだと思う。
そんな話をしたことがあるせいか、彼はどんな日も欠かさず「おはよう」と「おやすみ」を言ってくる。いつも言っているせいか、発音はもう、ほぼ日本人のものだ。
私が「おはよう」や「おやすみ」を言い忘れることがあろうものなら、「今日はおはようを言わなかった」と言ってくる。心の感覚が敏感な彼にとっても、それらの言葉はつながりを確認したり新たなつながりをつくるものになっているのだろう。
4月の滞在先はテラスからエーゲ海が見える三階建ての一軒家で、言わば特別な場所だった。5月の滞在先は集合住宅だが、バルコニーがとても気持ちがいい。腰掛けることのできるソファースペースに、たくさんの多肉植物たち。火を起こすことができるスペースもある。(起こした火は思いの外激しく、煙がたくさん出てゆっくりと楽しむことはできなかったけれど)
誰かのためではなく、まず自分のために、本当に好きなものが集まっている場所。そんな場所は心地いい。
2年半暮らしたハーグの家にもテラスがあったけれどこんな場所にできるということを考えさえしなかった。
「彼女(この家の持ち主)は、何か特別な状態でテラスのビジョンを見たのだろうね」
テラスでビールを飲みながら、そんなことを話した。
4月から仕事から離れていた時間も多かったためか、今は成長に対する意欲は薄くなっている。およそ4年のスパンで、上昇と下降、あるいは成長と今に在ることの間で価値観が大きく揺れ動いてきた。今は後者の方に振れているときなのだろう。同時に、関心の向く先も個人から人と人とのあいだにあるものにシフトしている。屋号である「あわい」に戻ってきたとも言えるし、こんな風に何かと何かの間をゆらゆらと揺れること自体もあわいなのだ。
いつかはこの「あわい」という概念を超えるときが来るのだろうか。「あわい」は「あいだ」という意味だが、「あいだ」が成り立つためには何かと何か、分かれた二つのものが必要だ。分かれていると思っていたものは実は一つのものだったと気づいたとき、「あわい」はどこに存在するのだろう。
こうして書きながら、この静かな朝の時間に懐かしい感覚を感じている。言葉や意識になる手前のものたちがそっと降りてくる時間。明確な意識とともに何かを書くのもいいけれど、そのときは意識の域を出ない。意識の外側からやってくる言葉を綴って綴って綴る。目的のために為すのではない行為こそが、今取り組んでいたいことだ。
これまで日記をアップしてきたウェブサイトが、システムがアップデートされたためかこれまでと同じようにすることができなくなり少し困っている。できれば根本的な対処を見つけたいが、日記を書いてアップするというルーティンを取り戻すためにもとりあえずできる形で上げてみた方がいいだろうか。
フローニンゲンに住む友人の日記もしばらく読んでいないが、彼は元気にしているだろうか。
この家での暮らしや目の前にいるパートナーとの時間をまず大切にしながら、見えるもの、聴こえるものを超えた世界との対話もまた続けていきたい。2021.05.07 Fri 6:58 Izmir
 
 

2021.04.20 465. 束の間の漂いの中で

 
パソコンで何かしらの作業を始めると、あっという間に時間が過ぎていく。集中する感覚や物事が進む感覚は心地よいが、はて、結局何をしたんだっけと思うこともある。
今月から、イベントのお申し込み受付やご案内のプロセスを簡略化するために新しいシステムを導入しているが、一時的に手間が増えているように感じる。特にイベント作成時はこれまで以上にあれやこれやと設定することが多い。がしかし、全体で見ると、特に決済の案内や確認等についてかかる時間と手間が減っているはずだ。
実践し深めていることをオープンに世界に開いていきたいという思いがあるが、そのプロセスで発生する諸々の手続きが時に負担に感じてしまうので誰か得意な人に頼もうかとも思うが、そもそもプロセス自体、もしくは世界との接点の持ち方の認識自体にもっと改善できるところがあるのだろうか。世界や他者とは本来一体なはずであると考えると、インプットとアウトプットの境目も曖昧になり、為すべき活動自体ももっと変わってくるかもしれない。今は主催するイベントに参加してもらうという形を取っているが、そうではなくて私自身がもっと出ていって参加する側になるというのも一つの手だろうか。
もっとシンプルに、美しく。(私の中ではシンプルさは美しさの条件でもある)軽やかに、穏やかに。そんな風に世界とつながって、というよりも、ただそこにいられたら素敵だなと思う。
この後の打ち合わせに向けてすでに意識は思考モードになり、深く潜っていこうとする感覚を引き戻す。今に居続けることがもっと出来たなら、短い時間でももっと言葉を深めることができるだろうか。
随分とたくさん時間があるように見えて、深めたいことは遅々として進んでいないように感じるのも、時間に関する認識や物事への向き合い方にアップデートできる点があるということだろう。スケジュールに入っている予定ではないものに、日々多くの時間を使ってる。浮かんでくることをただ書き散らかしたような時間だったが、少しでも書くことを続けていきたい。2021.4.20 Tue 8:41 Izmir
 
 

2021.04.19 464 日曜日のピクニック

 
昨晩、眠りに就く頃からずっと雨の音がしていた。そもそも、私は眠りに就いたのだろうか。
 
トルコに来てから約3週間、良く眠れる日となかなか寝付けない日が混ざり合っている。眠れないときは大抵、お腹がゴロゴロ言っている。「お腹の調子が悪い」とまではいかないけれど、お腹にガスが溜まっているのか、とにかくお腹が何か活動しているのだ。そんなときは私だけではなくてベットを共にしているパートナーも何度かトイレに起きる。トイレからベットに戻る度にほどよいぬくもりを感じて幸せな気持ちになるのだが、ぐっすりと寝た実感がないのはなかなか辛い。(そうは言ってもきっとある程度寝てるのだろうけれど)
 
そして今朝も、大音量の歌声で目が覚めた。まだ暗いうちにモスクから鳴り響く礼拝の時間を知らせる歌声。これまでは目が覚めても時刻を確認することをしていなかったが、一体これは何時に鳴っているのだろうと思い、今朝は時刻を確認してみた。4時56分…思ったよりもずっと早い。(6時頃かと思っていた)この時間から実際に礼拝をしている人がいるのだろうか。トルコは今、ラマダンの時期を迎えているが近所のレストラン等は通常通り運営しており、一見、ラマダンだと聞かなければそうとは分からないくらいだ。それでもきっと、富士山の見える場所に暮らしている人たちにとっては視界にいつも富士山が入っているのが当たり前になっているように、1日5回、礼拝を知らせる歌が鳴り響くのは「日常」なのだろう。
 
昨日は5kmほど海沿いの道を歩き、大きな公園に行った。パートナーが「日曜はピクニックをしよう」と行ったのは二日ほど前だっただろうか。私が仕事がない日曜日は一緒にハイキングかピクニックに行きたいようだ。「ピクニック」という単語を彼が発することに違和感があるのは、「ピクニック」を(若い)女性や子連れの家族がすることだと思っているからだろう。彼が発する日本語もしくは英語を聞いたときに自分の中に生まれる感覚から、普段いかに言葉や物事に対するイメージを持っているかというのが分かる。毎日毎日、本当に、呆れるほどに発見がある。彼が日本人とは全く違う文化や慣習を持ったオランダ人だから余計にそう思うけれど、きっとパートナーが日本人であったとしても毎日たくさんの発見があるだろう。それほど、私たち一人一人は見ている世界が違っているのだ。「自分」という頑なな世界を打ち破るためには他者の存在は大きな助けになる。(時に大きな衝突もあるが)
 
人のいない公園でパンやサラダ、フルーツを頬張り、あれやこれやと話をし、やってきた海沿いの道を戻っていると、バイクに二人乗りをした警察官がやってきた。ツーリストだと言うと、パスポートを見せろと言う。現在トルコは週末はロックダウンで必要な買い物にしか出ることができないが、旅行者はその対象とはなっていない。スマートフォンに保存したパスポートの写真を眺め、警察官の一人が英語で何か言おうとする。どうやら、旅行者は海沿いを自由に歩くことができるが、トルコの人はそれを嫌がるらしい。だから海沿いではなく、街の中を歩いてくれと言うことだ。
 
「No logic だけど、警察官がそう言うなら仕方がない」と、2本ほど内側の道に入っていくと、思った以上にたくさんの人が歩いていた。「これはロックダウンじゃないよね」と話しながら歩く。海沿いの方がひらけていて、感染のリスクも少ないのではないかと思うが、そういう話ではないらしい。
 
きっとトルコの人たちも納得をしていないのだろう。だから、自由に動ける人を見ると嫌がるのだ。もちろん、人が動き回って感染のリスクが高まることを恐れてもいるのだろうけれど、「嫌だ」という気持ちはもっと違うところからも生まれているはずだ。入国の際にPCR検査が義務付けられていることを考えると、国内にいる人同士の接触の方がよっほど危険だと思うのは、旅行者の自分にとって都合のいい目線なのだろうか。
 
そんなことをはじめ、またいろいろなことを考えた日曜日だった。2021.4.19 Mon 8:51 Izmir
 
 

2021.04.16 463. 新しいパソコンを前にして

 
仕事場として使っている3階の部屋は東側からの日差しが差し込んでいる。近くの幹線道路を通る車の音が聞こえるが、同時に鳥の鳴き声も聞こえる。世界はいつも、いろいろな層が重なっているのだと思う。
 
3日前の夕方、誤ってパソコンの画面を破損してしまった。破損と言っていいのだろうか。外からかかった強い力によって(私の力ではないが)ディスプレイの中のハードウェアが壊れてしまったようで画面の左半分が映らなくなった。起動をして操作をすることもできるが、半分しか画面が使えないと不便だし、できないこともある。
翌日の朝にはイズミルの中心部にあるアップル製品の修理を行なっている店に行ったものの、修理に10営業日かかると言われ、修理を断念し、新しいパソコンを購入した。
パソコンは、自分自身を除いては唯一の仕事道具と言っていい。何かのときにそこに投資する心の準備は出来ていたのだと思う。唯一の懸念はキーボードがトルコで使われているアルファベット(?)に準拠しているため、右端に6つほど見慣れない文字があることだったが、キーボードの設定ができること、そもそも普段はMagic Keyboardという、本体とは別のキーボードを使っており、それが引き使えることから、使い勝手に大きな違いはないと判断した。
 
実際に使ってみて、これまでとは使い勝手が違う部分がたくさんあるが、それは使いながら慣れていくしかないだろう。これまでであれば頑なに使いやすい設定にしようとしていたが今は新しい設定に自分が合わせてみようという感覚が大きい。指の動きも、頭の働かせ方も、マイナーチェンジを繰り返すのがいいかしらとさえ思う。そうしなければいつまでも「これまでのやり方」にこだわって、気づけば自分が化石のようになってしまうかもしれない。テクノロジーがどれだけ人間を幸せにするかについては未だ懐疑的なところもあるが、とりあえずは自分自身がいつも新鮮にいられるようにテクノロジーを活用したい。
そんな中でもこの、予測変換機能というのはどうにかならないのだろうか。確かこれまでのパソコンにもすでにこの機能はついていて、それをオフにしていたのだが、新しいパソコンでは機能をオフにする方法がまだ分からない。「新しい設定に自分が合わせてみよう」と言いながら、早速こだわりがにじみ出てきているが、少なくとも少し文字を打っただけで色々な選択肢が表示されるというのは私にとっては余計なお世話である。何より視覚的に刺激が大きい。まっさらな紙に浮かび上がってくることを静かに綴りたいのに、タイプするごとにたくさんの言葉が表示されるというのは困ったものだ。この機能はどういう意図のもと作られているのだろうか。より早く、たくさんの言葉を綴ることができるのだろうか。個人的には、人がもっとゆっくりと言葉や他者、自分自身に向き合うことを許容する方向に世の中が向かってほしいと願っている。
 
昨日は近くの小さなトルコの伝統的な料理を出す店で(気に入ってここのところ夕飯は毎日そこで食べている)夕飯を食べ、その後海沿いを散歩し、海に飛び出たベンチに腰掛け、パートナーと取り止めもなく話をした。
 
今大事にしたいのはそんな時間だ。ともに過ごし、対話をする。対話と呼べるのかは分からない。私の英語ではまだ、彼と対話は出来ていないだろう。それでもともにいて、話をする。自分自身との対話、そして身近な人との対話。それが人生を彩り豊かに、幸せなものにしてくれるのではないか。そう書くと何か自分の幸せのために他者を利用しているようにも聞こえるけれど、命と命が出会うことそのものがとても美しいと感じる。「It’s a beautiful day」もしくは「Life is beautiful」の感覚を感じることができたら、それだけで、幸せな人生なんじゃないかと思う。2021.04.15   Thu 8:43 Izmir
 
 

2021.04.12 462. イズミルの朝、内と外について

 
久しぶりに礼拝の時間を告げるアザーンと呼ばれる歌声で目が覚めた。おそらくその前にすでに眠りが浅くなっていたのだろう。7時になればセットしたアラームが鳴るだろうから、と、時刻を確認せずに再びベッドにもぐる。男性にしては珍しく低体温でいつも手が冷たいパートナーの手も、朝のベッドの中ではあたたかい。
 
クリスタルボウルのやさしい音のアラームを合図にベッドから出てシャワーを浴びる。身支度をしてキッチンに向かい、水をあたためている間にキッチンの脇にヨガマットを広げ、太陽礼拝のポーズを繰り返す。最初の一口はプレーンな湯。そのあとにグラスに大麦若葉のパウダーを加える。 気づけば1年以上続けてきた朝の習慣だ。
 
これまでと違うのは、家が3階建ての一軒家であるということ。そしてここがトルコであるということ。
 
あっという間に一ヶ月の半分が過ぎようとしている。これまでの二週間のことを振り返ろうかとも思うけれど、あまり意欲が湧かない。これまで生きてきた時間と経験を通して今ここにいると思うと、今ここわたしが感じることを言葉にしていくことが、結局これまで過ごした時間を記すことにもなるのではないかという気がしている。
 
今日は月曜日だが、今日からロックダウンが厳しくなりカフェやレストランはテイクアウトの営業しかできなくなると聞いた。(これまでは平日の夜と週末のみのロックダウンだった)そのためか、近くの幹線道路を通る車の量はいつもよりも少ないように思う。それでも往来の音は止まないので、そこそこに車は通っているのだろう。さらに明日からはラマダンに入る。街や人がどのような状態になるのか、今は想像もできない。
 
そして私は二週間の休暇を終え、通常の仕事モードに戻る。おなかの調子が時折悪くなることを除けば、身体は比較的クリアな状態だ。あたたかくなって意識が外に向かっていることを感じる。自然の流れにのりながら、ほどよく内的な感覚を感じられる状態でいたい。
 
そう言えば、と思い出す。この二週間、『関係からはじまる −社会構成主義がひらく人間観』という書籍を読んでいたが、社会構成主義の考え方に基づくと、そもそも「内側」というのが存在するのだろうかという疑問が湧いてくる。「内側というものの存在を認めることが果たして人間にとって幸せなのだろうか」という疑問と言ったほうがいいかもしれない。
 
屋号である「あわい」のもととなった、能楽師の安田登さんの『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』でも、人間が「心」というものの存在を認めたことによって苦しみや葛藤が生まれたという話が書かれていた。
 
心を認めるとき、そこに世界との分断が生まれる。というのは「心」をある特定の認識を持って眺めたときに起こることだろう。人間の成長が境界線の更新の繰り返しだとすると、心を探求した先には心という存在が世界に溶けていくということになるのかもしれない。
 
そんなことを考え、社会構成主義を支持する感覚を持ちながらも一方で◯◯主義というものそのものが危険性や限界をはらんでいることも想像する。特にアカデミックな分野になると、他の分野との差別化が必要になるためときに大胆な、もしくはある種明確な主張が必要になるだろう。大学もしくは研究期間等の中で研究が行われ、研究費やポジションの確保が必要になるのであれあなおさらだ。教育や研究がビジネスのように短期もしくは中期の投資対象としてみられたとき、教育や研究の構造そのものが歪む。研究者は自分の身を置く世界の構造に気づくことが必要だが、気づいたところで変えられないと感じる強固な構造がすでにあるのも事実だろう。
 
そんな中で私はどんなテーマを、どんな立場で探求および実践していくのか。 それはこの二週間の浮遊するような時間の中で自然と浮かび上がってきている。これまで以上に、手放すものも出てくるだろう。そのときにいかに世界と自分を信頼するか。降りてくるメッセージを伝える役割として自分を世界に明け渡すことができるか。
 
窓の外の日差しが強くなってきた。エーゲ海の青は今日も深い。2021.04.12 Mon 8:24 Izmir
 
 

2021.04.10 461. トルコ、10日目の朝

 
土曜の朝、何か外的なものの刺激を受けてというよりも、自然に目覚めた感覚がある。トルコに来て10日、初めての感覚だ。滞在している家は3階建ての一軒家で総じてとても気に入っているが、すぐ側を通る幹線道路の音だけは気になる。以前、消防署の近くに住んでいたときに最初は夜中に出動する消防車の音が気になっていたが気づけば気にならなくなっていたという体験がある。おそらくここにずっと住んでいたらこの音にも慣れるのだろう。
 
昨日はトラムとバスを乗り継いで、Urlaという地域まで足を伸ばした。普段なら観光地として賑わっているであろう小さな船の集まる漁港も、昨日は人はほとんどおらず閑散としていた。トルコでは平日の夜間と週末がロックダウンだったが(週末のロックダウンでは観光客は行動の制限はない)月曜から平日の昼間もロックダウンになり飲食店もテイクアウトしかできなくなるということでその前の最後の金曜は出歩く人が多いことを予想していたが気温が低く風が強かったためか思ったほどの人出がなかったのだろうか。(もしかすると漁港も夕方、日の沈む時間にはレストランのテラス席で食事をする客で賑わっていたのかもしれないが)
 
漁港の中心部にある、ガラス張りのカフェに入りトルコ式の朝ごはんを頼んだ。こうして書きながら「そのとき私は何を感じていたのだろう」ということを思い返している。
 
オランダ人のパートナーとは日本語で会話することはできない。彼は英語が堪能だが、私はそうでもない。結果として会話は少なめになるのだが、私の場合は日本語を話す日本人と一緒にいても基本的には言葉は少ない方なので(と思っているのは自分だけかもしれないが)あまり変わらないかもしれない。心静かに、ただ目の前にあるものを味わう。浮かんでくることを言葉にする。おそらくそれはとてもゆっくりで、沈黙の方がずっと多い。なので沈黙を心地悪く思わない人でないとなかなか一緒にいることは難しい。
 
一方でパートナーはもともとの気質なのか、オランダ人的気質なのか、基本的には頭に浮かんだことをそのままストレートに言葉にする。自分と関わりのないことや人についてもああだこうだと言う彼の言葉を聞いて、「それは愚痴なのか、意見なのか、それであなたはどうしたいのか」と半ば詰問に近い質問をしたくなることもあるが、彼にとってはただ「浮かんでくることを言葉にしているだけ」なのだ。私に対する気遣いから、食事の際や何かを選ぶ際にあれやこれやと言ってくれるのだが、そしてそれは「ただ浮かんできていることを言葉にしているだけ」なのだが、数年間、現実世界の中で自分の内なる感覚を頼りに日々のことをなしてきた私としてはそれが時に煩わしく、「私のことはいいから、自分のことを自分で決めてくれ」と思ってしまう。一般に「仕事」と呼ばれる時間の他者との対話やともに過ごす時間については自分と他者との境界がゆらゆらと、曖昧になる感覚があるが、実生活でいかに「ひとり」の世界を過ごしてきたかということを痛感する。彼と共に時間を過ごすようになってから書いているリフレクションジャーナルには必ずそのことが登場するのではないかと思うくらいだ。
 
分断と心の狭さを感じ反省も多い毎日の中でも楽しい時間をたくさん過ごすことができているのは彼が私の見ている世界を許容してくれているからだろう。
 
一昨日はUrlaの手前にある山でハイキングをした。(ハイキングと言っても運動不足の私にとってはなかなか長く大変な道のりだった)
 
途中ですれ違った年配の男性が静かに微笑んだ様子を見て彼が「He knows what the life is.」と言った。(実際にはもう少し違ったかもしれないが、ニュアンスとしてはそんな感じだ)
 
今日という日の中で出会ったものをただ味わい、喜びと祝福を向ける。そんな風に生きられるようになるにはまだまだ長い時間がかかるだろうか。成長や学習意欲が高まることと、「今ここ」をありのままで生きること。その間で数年ごとに揺れている自分にも気づいた。今の私の中ではそれらが相反関係になってしまうのだが、それもいずれ溶け合っていくのだろう。
 
日々の小さな気づきがこぼれていく感覚もある。「気づきがなかった」というのは、実際には「気づきを言葉にする機会がなかった」というだけなのだ。言葉になる手前のところでもキャッチしているものがたくさんあるし、言葉にして初めて気づくこともたくさんある。言葉にすることと生きている実感を持つことは密接に関わっているのだと改めて実感している。2021.4.10 Sat 8:27  Izmir
 

2021.03.11 460. すれ違う心と心をつなぐ言葉

 
木の枝が揺れ、風の音が聞こえる。確か数日前に「嵐が来る」と聞いたけれど、今日がその日だっただろうか。昨晩、3月末の気温を調べるために月間天気予報を見たところ、4月末までほとんど気温が変わらないことが分かった。最高気温は12度くらい、最低気温は5度くらい。すでに「春が来た」という気分でいるものだから、今の気温があと2ヶ月続くのはなかなか辛い。
 
4月には、少なくともここよりもあたたかい場所に滞在したい。そして来年からは冬の時期はあたたかい場所にいたい。そんな考えが湧いてきて、すこし不思議な感覚を感じる。
 
欧州に来てもうすぐ4年。最初の年こそ、どんどん短くなる日照時間や降り積もった雪に気が滅入りそうになったものの、翌年からは「これまではあたたかく熱気もあるアジアの国が好きだと思っていたけれど静かで冬の長い場所もいいなあ」なんて思っていた。
 
感覚が変わるのは、自分の中に大きな季節が巡っているからだろうか。それともこれは単に、季節の変わり目にお決まりのようにやってくる感覚だろうか。
 
言葉も身を置いてきた文化も違う相手と暮らしていると毎日のように何かが巻き起こる。その半分はミスコミュニケーションだ。
 
そもそも正直なところ普段相手が話していることの半分も私は理解することができていないだろう。なんとなしに話すことであればそれでいいが、大事なことがすれ違うとお互いの間に不和が生まれる。そんな中、昨日は英語の単語の意味を、相手の意図と違うように受け取り、私が怪訝な顔をするということが起きた。私は文脈の中でその意味が分からなかっただけなのだが、彼には私が傷ついたように見えたようだ。すぐさま隣の席に腰掛け、言葉の限りを尽くして誤解を解こうとする。言葉の意味を説明するのではない、自分がいかに私のことを大事に思っているかまで滔々と説いてくる。
 
それはまだともにする時間が少なくて気持ちが盛り上がっているから行うことではないだろう。言葉は心の現れであり、どんな心からその言葉を発しているかということが関係性に影響を与えることを知っているのだ。生きている時間やその中で経験してきたことが違っても、一人の人間としてその人のことを尊重し、その気持ちと一致した言葉や態度で相手を扱っているか。
 
彼からは本当にたくさんのことを学んでいる。言葉が通じる同士だと、私たちはあたかも、「同じ言葉で同じ意味を共有している」と思い込んでしまう。でも本当は、言葉の意味はそれぞれの人の中にあって、人と人との間で常にアップデートされている。コミュニケーションそのものや言葉についての意識を更新することを後押しする。これは5月から7月に開催する講座のテーマとして考えていることだが、このテーマは本当に奥深くて、私自身、もっともっと深めていきたい。そのためにも、仕事やスケジュールについてはバランスを再検討する必要があるだろう。
 
深めるほどに、大切なものを世界に届けることができる。思いの外、外に開いていた数ヶ月間を過ごしてきたが、ここからまた探究に比重を置いた時間に入っていくかもしれない。いや、そんなことを考えることさえ、もう手放すときなのだろうか。ここ最近のテーマである「明け渡す」は、まだ身体感覚に落ちるところまでは至っていない。2021.3.11 Thu 8:23 Den Haag
 
 

2021.03.09 459. 境界線に関する認識

 
昨日の夜に降り出した雨は夜中の間にも微かに降り続いていたのだろう。湿り気を帯びた中庭の木々がいつもよりもさらに静かに佇んでいる。枝葉が風にそよいでいないのだということが、同時に降りてくる。外に見る景色は常に心象風景なのだということを思う。昨日過ごした時間から、自分自身の「時間」に関する認識について考えている。私の中で強くあるのは「時間は有限である」という感覚、そして「時間は命そのものものである」という感覚、それは「命は有限である」という感覚でもある。
 
有限であるからこそ、「他者と時間をともにする」ということに対して「尊いことである」という強い感覚を持っている。そしてその感覚と同時に「他者にも、自分とともにする時間を大切なものとして扱ってほしい」という欲求が生まれている。そうすると、時間を大切に扱われていない感覚が、そのまま直接自分を大切に扱われていない感覚になる。ここに苦しみが生まれる。目的や想いは人の力になるけれど、同時に限界を生むという話がちょうど最近読んでいる書籍の中に出てきたように思う。
 
自分が「仕事」という括りの中で過ごしている時間についてはそもそも「ともにする相手のための時間である」という認識が大きい。「相手が時間をどう扱うかは究極的には相手が自分の人生をどう扱うかであって、私の命に対する価値づけではない」というように、かなり強い切り離しのようなものが起こっている。
 
しかしこと、仕事を離れると、その反動かそこに流れる時間は「自分の時間である」という認識が強くなる。そしてその時間がどう扱われるかが自分の命や存在に対する尊重と非常に近しい関係になる。「自己」と「他者」の間には明確に境界線が引かれ、本来であれば両者の「あわい(あいだ)」の領域にあるはずの時間が「自分のもの」だと認識され、その境界線を立ち入られることに強い嫌悪感を感じる。そんなことが起こる。
 
これはひとりでのんびりと暮らしていたときには感じることのなかった感覚だ。私にとってオンラインはパブリックであり、その中に身を置くときには他者との境界線はゆるやかで曖昧で動的なものとなる。一方、リアルは(この呼び方ももはや実情を示しているものではないのだが)パーソナルであり、その中に身を置くときには、他者との境界線が強く引かれる。
 
今日はもう、繰り返しそのことしか書いてきていないかもしれない。この先自分に変化の可能性があるとすると「命」や「生きる」ということに関する感覚(有限性)の変化ではないかと想像している。命や生きるということが、そもそも幻想である、もしくは大きな流れの中で無限性のようなものを持っているという感覚になったとき、時間に対する感覚および他者とともにする時間に関する感覚もまた変化していくだろうか。もしくは有限・無限という二項対立を超えた感覚が生まれるのだろうか。あるいは変化というものさえ手放していくのだろうか。
 
これから数年、数十年のあいだに何が起こっていくのか。そんなことに微かに思いを馳せながら、今日という一日を生きる。2021.03.09 Tue 8:43 Den Haag
 
 

2021.03.07 458. 関係性から学ぶ

 
中庭の梨の木の枝先に小さな「つぶつぶ」がくっついている。あれを「つぼみ」と呼ぶのだろうけれど、でも今は、私の知っている「つぼみ」よりももっと手前の状態のように感じる。おそらく私はある特定のエネルギーの状態まで達したものについて「つぼみ」と呼んできたのだろう。
 
今見える「つぶつぶ」は、見かけというよりエネルギーの状態と方向が、まだ「つぼみ」とは違うのだ。
 
かもめたちが声を上げ、中庭の空気を揺らす。
 
昨日、一昨日とナラティブをテーマとした勉強会を開催しているが、改めてこのテーマが自分にとってとても大切にしたいテーマなのだということを感じる。
 
ナラティブは一つのものごとの見方であり、人間の捉え方であるが、対話という営みの中で何が行われているかについて小さい頃からの「基礎科目」の一つとして学び実践していたら、他者との関わり、そして人生の質は大きく変わるのではないかとさえ思う。
 
同時に今感じるのが、対話が切り売りされているという現状だ。対話は生きる時間であって、私たちの人生そのものだ。自分の人生や今の暮らしの中で大切なものが時間を切り売りするために犠牲になってはいないだろうか。「世界」や「他者」を見て気になることというのは結局は自分の心の反映なのだろう。
 
あたらしい暮らしと、仕事、暮らしとは別の場所にいる人たちとの関わりにどう取り組んでいくのはこの数ヶ月のテーマであり、まだ確信を持った着地には至っていない。
 
「社会」や「他者」に何らかの良い影響を与えたいというのは、これまで生きてきた社会や慣習の中で埋め込まれた「善」なのか、自分自身の魂のようなものが希求する「美」なのか。そんなことを考えずに毎日を過ごし、今日という日をともにした人との関わりで「幸せ」だと思えたらどんなに毎日が穏やかだろうと思う。
 
今すでに、時間をともにする人たちとの関わりは私にとってとても大切で幸せなものであって、基本的に毎日は穏やかさに包まれているけれど、「一番身近な他者」との間で何ができるだろうかとも考え続けている。「明け渡す」というのは今の状態に対する答えなのだと何度も言い聞かせてはいるけれど、一体何を明け渡せばいいのだろう。
 
もしかすると、心が穏やかでいることさえ、明け渡す必要があるのだろうか。
 
静けさや穏やかさは確かに今の自分自身にとって大切な価値観であり、手にしているものになっている。一番大切とも言えるそれらを手放したときに何が起こるかと思うと、恐れさえ湧いてくる。ここに大きな執着があるということだろうか。明け渡して、いろいろなものが流れてもなお残るもの。それが次の「大切なもの」になるのだろうか。そしてそれがまた執着の対象になるのだろうか。
 
関係性から学ぶということを今痛いほどに実感している。2021.3.7 Sun 8:13 Den Haag
 
 

2021.03.03 457. 生きるということ

 
向かいの家の茶トラ白猫が中庭の真ん中のガーデンハウスの屋根の上で空を見上げている。私も空を見上げ、今日も生きることを味わうのだという喜びに包まれている。
 
霧のかかった中庭。上の階から聞こえるシャワーの音。表の通りを通るトラムの音。
 
静けさの中に始まりの音が混じる心地よさを感じながら「これが今の私の心の音なのか」と思う。
 
昨日はセッションを終えた後、16時すぎに散歩に出かけた。日没時刻は気づけば遅くなっていて、数週間前だったらもう暗くなりかけていた夕方の時間でもまだ、沈み始める前の太陽が見えた。
 
いつもとは違う、大使館のあるエリアに近づく方面に歩き、公園のベンチに座り、公園にいる人たちを眺めながら話をする。一定の感覚を保って、7組ほどの、男女、もしくは男性と男性、女性と女性の組み合わせがベンチや花壇の縁に腰掛けている。もっと大きい公園もあるからまた歩こうと、さらに歩く道すがら、悲しい光景に出会った。犬が事故に会うのを目撃してしまったのだ。一瞬の出来事が、スローモーションのように思えた。
 
詳しくをあえて言葉にはしないが、「悲しい想いをしたくないから、もう犬は飼いたくない」(以前は飼いたいと言っていた)とつぶやくと、「犬を飼わなければ、あなたの人生の中に犬は現れないし、犬が事故に会うこともない」と彼が言った。その言葉に含まれている様々なメッセージを感じた。
 
その夜、食事をしながら「家を出なければ悲しいことには出会わずに済むかもしれないけれど、自分の心が何かを感じることも少なくなってしまうのかもしれない」ということが浮かんだ。去年一年、外出の機会は少なく、何より人と会うことがほぼなかった。それでも暮らしを続けることができたし、心の中はいたって平和だった。
 
外に出て、人と出会い、関係性を深めると、いろいろなことが巻き起こった。
 
この2月に起こったことだけでも、去年1年間で起こったことを超えるだろう。その中にはつらいこと、悲しいこと、とまどうこともたくさんあったけれど、嬉しいこともたくさんあって、それは私が外に出なければ感じることはなかったのだろうと思う。
 
私の中の「内」と「外」の概念が変わればそれもまた変わるかもしれないけれど、少なくとも今の私の世界の認識においては、「外」はいろいろなことが起こる場所だ。感じることがどんな質感のことであっても、「生きている」ということなのだと今は思う。
 
オランダを出たら、またいろいろなことが起こるだろう。それも全部、「生」として受け止めることができるだろうか。
 
これからやってくる未知の日々の気配を感じながら、今日も、今日という日を味わっていく。2021.03.03 Wed 7:52 Den Haag
 
 

2021.03.02 456. 関わりと交わり

 
メールを確認する前に日記を書こうと思っていたけれど、気づけばあっという間にいくつかのやりとりへの返信を考え始めていた。
 
改めて、デスクトップ上に開いているブラウザやフォルダを全て閉じ、まっしろな画面に向かう。視覚的なスペースの広がりが、内的なスペースが広がることを後押ししてくれる。
 
日記を書き始めるときのこの「まっさら」な状態が好きだ。
 
昨日も生きることを存分に味わった一日だった。
 
久しぶりに、朝、書斎の机に座り中庭を眺めながら日記を書き、「今ここ」に生まれる感覚や言葉たちを味わい、勉強や考え事をする。
 
日中に飲む飲み物は、家にあったスチーマーを活用することで、ゴールデンミルクがクリーミーになり、一日一回、彼が作ってくれる抹茶ラテにはそのときどき、アーティスティックな模様が描かれている。
 
夕方にビーチの近くの魚屋さんに魚を買いに行ってお寿司を作ろうかと言っていたけれど、ベッドで過ごしていたら日が傾いてきたので、近くのイタリアンでピザとティラミスをテイクアウトし、いつものように彼がささっと作ってくれるサラダとともに味わった。
 
ティラミスと一緒にウイスキーを舐め、流していた音楽に合わせてダンスを踊り、読書をして寝る。「今日が月曜日だと信じられない」と思うと同時に、自分の中にはまだ曜日の感覚と、曜日に合わせて働くという感覚が染み付いているのだということに気づく。
 
ここのところ、一日数件の予定が入っていることも多かったが、自分の中で「深める」時間と、パートナーと過ごす時間がともに充実し、さらにセッションの質を高めることを考えると、一日2件のセッションもしくは打ち合わせが今の生活にはちょうどいいということを改めて実感した。
 
4月末にはこれまで参加してきたコーチングのプラットフォームを卒業することを決めたため、そこを通じてご一緒していたクライアントとのセッションがなくなり時間ができるが、心が澄んだ状態で、心からの喜びと祝福とともにある時間を続けていくためには、大きくクライアントの数を増やすことは控えておくことが望ましいだろう。限られた時間の中でもその人の人生と向き合うとなると、私自身の中に大きなスペースが必要になる。
 
以前、友人の主催したインテグラル理論に関する勉強会の中でチラリと紹介されていたタオ性科学の本の男性版と女性版をパートナーとともに英語で読み進めているが、そのためか、同時に彼が精神的身体的に多くの囚われから解放されているということもあるだろうけれど、セックスは肉体的な楽しみを超えた取り組みとなり、心や魂の関わりを深めてくれているということも実感している。相手と自分の身体の中にエネルギーを循環させることができるようになったが、これはとてもパワフルだ。(パワフルだからこそ、加減には注意が必要だということも感じている)
 
このあたりはまた探究と実践を深めていきたいが、ことパートナーシップ、かつセックスがテーマになると公に語られることが憚れると感じるのは、実際の社会的な慣習もあるし、私自身の囚われがまだまだあるのだろう。
 
パートナーシップにも生き方にも様々な形があるが、自分の人生においてはやはり欠かせないものであり、探究と実践からの学びをまた何かの形にしていければと思っている。
 
自分自身と向き合う時間があり、そして様々な形のパートナーと1対1で何かを交わしたり取り組んだりする時間があり、そして仲間たちとの時間がある。
 
ここ数ヶ月で「自分」を取り巻く関係性はダイナミックに変化をし、その中で「自分」どのように他者との間に境界線を設けてきたかということに気づき、その境界線が今、揺らぎ始めている。明け渡すこと、収束させようとしないこと。それが今のテーマだ。
 
そんなことを考えながら、意識も散漫に広がり続けている。今週から来週にかけてのいくつかの取り組みに向かっているのだろう。2021.03.02 Den Haag
 
 

2021.03.01 454. エピローグとプロローグ

 
向かいの家の茶トラ白猫がガーデンハウスの向こう側から顔を出している。向かいの家にやってきて数ヶ月、あっという間に太ってきたと思っていたが、その顔にはまだ子猫の面影が残っている。
 
1階のヤンさん宅の庭には三毛に近い毛色の、赤い首輪をした猫がいる。先日初めて中庭で見かけた猫だ。
 
茶トラ白猫と三毛猫はどうやら目が合ったようで、見つめ合いながらピターっと止まっている。
 
この中庭の景色を見るのもあとちょうど1ヶ月かと思うと感慨深い。
 
ゆっくりと季節の移り変わり猫たちが遊ぶこの場所の景色を、私はずっと眺めることができただろう。それも一つの幸せな人生の形だったと思うけれど、結局のところ私は「もっと外側」を見てみたくなる性分なのだ。
 
昨晩、夕食を終えて、リビングの脇に並べた一人がけのソファに腰掛け、かけていた音楽を、日本語の歌に変えた。耳から入る言葉が「意味」や「世界」として頭や身体の中で瞬時に立体的に膨らむ特性があり、それは自分の中のスペースを占領してしまう感覚があるため普段日本語の歌を流すことは少ないが、昨日は少し前にヒットしたアニメ映画の挿入歌が目に留まり、再生ボタンを押した。
 
3mを超えるところにある天井に掘られたレリーフを眺めながら、言葉から生まれてくる感情や感覚をそのままに浮遊させていたら、涙が溢れてきた。目をつぶっても、自分の中の海がやってきている感覚が分かる。
 
この家にやってきて2年半、いろんなことがあった。
 
大好きな人と一緒に過ごす少しの時間は、とても幸せで、悲しい時間だった。指折り数えることはもうしないけれど、随分と長い間一緒にいて、随分と長い間一緒にいることができなかった。ずっと夢見ていた幸せな物語を一緒につくることはできなかったけれど、私の中の「愛」の質感を変えたのは、間違えなく彼との時間だ。
 
でもきっと、オランダに住むと決めたとき、この部屋に住むと決めたときに、「終わり」は始まっていたのだろう。終わりを始めたかったのかもしれない。
 
今、この部屋でひとりで過ごしてきた2年半の時間が、そして、新しいパートナーと「知り合う」時間が、終わろうといている。これまでの物語の「終わり」の 終わり(これはもう、エピローグに近いだろう)と、そして新しい物語の「始まり」の終わり(こちらはプロローグということになる)。
 
この先の世界はもう、描いてきた夢を超えていて、どんなものになるか想像もつかない。
 
この2ヶ月間、パートナーシップの「始まり」の時間を過ごしてきて知ったのは、パートナーシップにも成熟度合いがあるということ。現在のパートナーは一回り歳が離れていて、忙しく働くということから経済的にも精神的にも解放されている。「悠悠自適」という言葉が適切かは分からないけれど、とにかく毎日を好きに過ごすことができる。私も彼ほどではないが、自分一人であれば心の望むことに取り組み、たくさんの喜びを感じて日々を過ごすことができる。私たちの間には、一緒にいることの必要性も義務もない。誰かに稼いでもらう必要もないし、誰かにごはんを作ってもらう必要もない。彼は「We are team」とよく言うけれど、何か機能を補完し合っていく必要性があるチームではないのだ。もちろん補完し合っているところはたくさんあるけれど究極的にそれが必要かというと、お互いにそうではないだろう。(少なくとも、料理をはじめたとした暮らしのことも何でもごきげんにできる彼にとってはそうではないはずだ)
 
一人で、機能としての暮らしや人生は成り立たせることができる中で一緒にいるということはどういうことなのだろう。
 
日々彼との間に生まれているのは間主観的な体験だ。お互いの人生やエネルギー、身体がつながりあってその中をぐるぐると流れていくものがある。それは自然や宇宙との間に起こっているものとも共通しているけれど、生きた生身の人間との間に起こることはもっと生々しくて不恰好だ。
 
ここからきっとまたパートナーシップの形とそこで生まれるものも変わってくるかもしれないけれど、これから始まる新しいステージはさらにお互いの「命」のようなものを鮮明に感じることになるだろう。
 
エピローグとプロローグが重なり合う。そんな3月を過ごしていくことになりそうだ。2021.3.1 Mon 8:58 Den Haag
 
 

2021.02.28 453. 旅立つことを決めたなら

 
静かな日曜の朝。霧がかかっているのか、窓の外の景色は絵画のようにぼんやりとした光を含んでいる。
 
昨日、オーナーのヤンさんに3月いっぱいで部屋の解約をしたいという希望を申し出た。
 
長い旅に出ること、この部屋が大好きだったこと、部屋や私のことをいつも気にかけてくれていたことへの感謝を伝えると、ヤンさんは「残念だけど…」と返事をくれた。
 
1月にインターネットの不調を改善するためにヤンさんが部屋にやってきたときに彼がいて、「今はパートナーシップを始めるために試しに一緒に住んでいるところだ」と話したと聞いた。そのときに、彼がこれまで旅をしながら暮らしていたことを話すとヤンさんが顔をほころばせていた。
 
だからきっと、私が、彼とともにここを出て旅に出るのもそう遠くない未来だと分かっていただろう。
 
モーリシャスが最初の滞在先候補に上がったのは数日前のことだった。日本かバリ、そして他の場所にも数ヶ月ずつ滞在してそれから拠点にする場所を決めたいねと話してきたが、日本が外国人の受け入れを再開するのがいつになるか分からないこと、バリは入国できるようになったとしても30日間(最大60日間)しか滞在できないことから、他の候補地を探していた。「できれば日本との時差が5時間くらいだと、仕事もそれ以外のこともバランスよくできそう」と世界地図を眺めていたときに目に留まったのが、モーリシャスだった。モーリシャスの西側には(地図上では近いが実際にどのくらい近いか分からない)マダガスカルがあり、マダガスカルの北側にはセイシェル諸島がある。マダガスカルにも惹かれるが、何せ大きい。
 
セイシェルはフランス人のバカンスになっているということで、それよりも物価が低く、かつ自然が美しいだろうということでモーリシャスが一気に候補となった。
 
モーリシャスに行くことを検討していることを打ち合わせで話した際に「最近よくインド人がバカンスでモーリシャスに行ったという話を聞く」という話を聞いた。そして昨日、「そう言えばモーリシャスは今、入国規制をしているのだろうか」と思って調べてみると、現在モーリシャスは南アフリカ・日本・ブラジル・英国に過去15日間の中で滞在したことがある人は入国できないという条件になっていることが分かった。PCR検査や隔離期間は必要だが、それを受け入れるのであれば入国できるということになる。
 
「モーリシャスに行けるよ!」と彼に告げると、「出発のときだ」と返事が返ってきた。
 
4月の上旬はまだ入っている予定が少ないため、今なら自由にスケジュールを組むことができる。もともと4月は調整期間にするつもりだったため、1月から3月に開催してきた勉強会は一旦お休みになり、生活環境が変わるタイミングとしてもちょうどいい。問題は家の契約だ。契約上、2月中に解約の申し出をした場合、3月分まで家賃を払う必要があり、3月に入っての申し出の場合、4月の上旬に退去するとしても4月分の家賃の支払いが必要になる。これまでは「気持ちの余裕が大事。タイミングを決めることは難しいから1ヶ月分余計に払うことは構わない」と考えてきた。しかし、もし4月の上旬に出発するとなると、そのあたりも改めて考える必要があるだろう。と言っても、2月は28日までなので、3月いっぱいで解約をする場合はあと2日のうちにヤンさんに伝えなければならない。
 
夕方、散歩にでかけると、いくつかのサッカーコートのある大きな公園の脇で、ダンスを踊っているカップルがいた。「サルサだ」と彼が声をあげ、「One, two, three、five six, seven」 とリズムを口ずさむ。公園の周りをぐるりと回ってもなおカップルは踊り続けていて、彼らが見えるところで立ち止まり、フェンス越しにサッカーをしている人たちを眺めた。
 
「どうやって旅の計画を始める?」と声をかけ、旅についての話を始めた。モーリシャスは滞在できる可能性が高いこと、モーリシャスに行けなくても、スペインやイタリアなど、南ヨーロッパでいい場所があること。彼がコロナを発症し回復し、私もおそらく抗体ができているので、再び検査を受けて陰性になっていれば、(新型のものが広がらない限り)発症する可能性が低いことなどを話した。それから少し歩いて、たくさんの子どもたちが遊んでいる公園の脇のベンチに腰掛け、また話した。
 
そうして、その日のうちにヤンさんに3月末で解約をすることを申し出ることを決めた。家までの帰り道、「ハーグの街で暮らすのはあと1ヶ月なのだ」と思うとなんだかとても感慨深くなった。
 
欧州に渡ってもうすぐ丸4年が過ぎようとしている。いろいろなことがあったけれど、昨年は、コロナで日本から友人たちが遊びに来ることができなかったことを除けば、静かで、穏やかで、特に最後の半年は仕事の流れも変わり、充実した時間だった。
 
そして彼との出会いがあり、今は、毎日ヘルシーでかつ美しい食事を楽しく摂ることができている。(充実した時間の中で、唯一食事の時間だけが事務的でどこか味気ない時間だった)大好きな街、大好きな暮らし。そう思うときが旅立ちのタイミングなのだ。そして旅立つことを決めたとき、街や暮らしはさらに美しく見える。
 
この「美しいものを手放す」感覚は、これまで何度も味わってきた。
 
今分かるのは、自由に生きるためには、経済的な自由よりも心の自由が必要だということ。それは彼と暮らしていて学んでいることでもある。無理に働く必要がない彼も、心の自由を手に入れていなければ今のように毎日をごきげんに過ごすことはできないだろう。経済的な自由は心の自由の後押しにはなるけれど、経済的な自由を手に入れたからと言って必ずしも心が自由になるとは限らない。
 
さらに、成長欲求や社会貢献欲求のようなものもときに私たちの心を不自由にするのだというのが最近感じているところだ。これは「善」の感覚にも近いだろう。成長欲求や社会貢献欲求のようなものが自分自身の中に本来ある「美」の感覚と結びついているのであれば話はまた別だが、多くの場合、「善」はこれまで生きてきた社会や人生の中で刷り込まれてきた通念のようなものがベースになっている。しかしそうだということにはなかなか気づくことができない。私自身は今まさに、内在化した他者および社会に対して自分がどうあるかということにとても影響を受けている。これだけ物理的身体的に人との関わりから距離を置いても、まだそうなのだ。おそらくここから起こるのは、自分自身が内在化した他者および社会の呪縛から離れていくことと、同時に、そんな状態の他者を見たときに自分の中に反応が生まれるということだろう。それは嫌悪感のようなものかもしれないし、悲しみのようなものかもしれない。
 
とにかく、自分の中でまだ葛藤しているものを他者の中に見ることになるだろう。その経験がまた、自分自身の在り方を深めていくことになるはずだ。「在り方を深める」というのは漠然としているが、そこには自分なりの「美」が存在しているのだと思う。
 
気づけば日の出の時間は随分と早くなっている。これから1ヶ月でまた、どんどんと心地いい季節になっていくだろう。1ヶ月の間にどれだけこの暮らしを味わうことができるだろうか。
 
あたたかくなったらフローニンゲンに住む友人を訪ねたいと思っていたが、それはまた、数ヶ月先、次にオランダに戻ってきたときになるかもしれない。
 
できれば日々の中で少しでも日記を書き続けたいが、きっとそう思いながらあっという間に1ヶ月が過ぎていくだろう。
 
旅立つことを決めた2月の終わり、眼に映る世界が一層輝きを増した。2021.2.28 Sun 8:59 Den Haag
 
 

2021.02.16 452. パートナーシップと関係性の構造

 
ウェブサイトにアップしていなかった数日分の日記を読み返して驚いた。2月1日、私は自分の「死」について書いていた。それが朝のことだった。
 
パートナーのお父さんが亡くなったという連絡が来たのは何時頃のことだっただろうか。
 
「お父さんが亡くなったって」そう呟いた彼に、どんな言葉をかけていいか分からなかった。スピリチュアルな力を持っているという彼の友人が、ちょうどお父さんがなくなった時刻にそのことを知らせるメッセージを送ってきていた。
 
それから一週間後に葬儀があり、私は彼の「パートナー」として葬儀に参列をした。そのときに過ごした時間は、物語のようで、書き留めておかないといけない気がしていた。もしかすると、そのときは「自分を見ている自分」がいたのかもしれない。もしくは身体から魂が抜け出ていたのだろうか。
 
とにかく、その日、オランダに来て初めて運河が凍っているのを車の助手席の窓から眺めながら「現実」ではない感じがしていた。
 
一回り年上の彼は、いつも随分若く見えるけれど、葬儀の時は特にまだ青年のように見えた。それがお父さんとの関係性の中で完了していない部分だったのかもしれない。文化も慣習も言語も違う場所で、哀しみだけではない複雑な感情の中にいる人をどうやって支えたらいいのだろうかと自分自身の未熟さを悔いた。
 
今もその感覚は同じだ。自分の好きに生きてきた私は、自分の好きにはできるけれど、誰かにために現実世界で何かをすることが本当に、全くと言っていいほどできないのだ。
 
「他者との関係性は、自分との関係性を起点とし、身近な人との関係性、さらに大きな関係性、と、フラクタルな構造になっている」と思ってきたけれど、一体私の関係性の構造はどうなっているのだろうか。
 
今、仕事およびいくつかのプロジェクトで大人数ではなくまずは二人という関係性から始まろうとしているものがいくつかあるが、これは私の中でそういうタイミングだということなのだろうか。
 
それにしても、今ここで体験しているパートナーシップというのは想像もしなかったものであると同時に、私が強く望んでいたものにも近いのだと実感している。パートナーは良く「We are team.」と言う。私が苦手な料理をほぼやってくれているときも、買い物に行くときも。驚いたのは生理痛がひどいときに痛みを和らげるためのマッサージをしてくれ、それについて「だって生理についても僕たちはチームでしょ」と言われたときだ。この人には「自分」という円も、「私たち」という円も、どちらも、戦わずに存在しているのだと思った。
 
「いくつかの国で暮らして、定住したい場所を見つけて…それから、子どもができたら僕がごはんを作って子どもの世話をするというのもいいよ。あなたは好きな仕事を続けたらいい」とサラリと言う。どうやら彼の中の「Team」には、「どちらが何をしないといけない」という枠組みはないらしい。それは私が日本にいたときに感じていた「夫婦」と言う言葉に対する違和感にもつながるものなのだと今になって分かる。日本における「夫婦」には、いつも「夫」と「妻」の役割がセットになっている(気がする)のだ。これが彼がオランダ人だからか、それともモンテッソーリ教育を受けているからか、はたまた別の理由からかは分からないけれど、やはり自分よりも一回り年上の人がそんな考えを持っていることは驚き以外の何物でもない。
 
ついでに言うと、関係が深まり始めるときに子どもが欲しいかという話になり、そのときに「あなたは私たちのBabyが欲しいか、それともKidsが欲しいか」と聞かれたのも衝撃に近い驚きだった。オランダは国際養子縁組を含む養子縁組が珍しくないと聞いてはいたけれど、ここまでフラットにそんなことが話されるとは…。
 
それでもきっとこれを「オランダ人」と括ることはできないだろう。国民性のような大きな傾向はあっても、その中でどんな考えを持ってどう生きるか、今は本当にきっと多様になっているのだと思う。
 
そんな中で私にとっては理想とも言えるパートナーシップのイメージを持っている人に出会えたことは奇跡にも近いし、一方で、「何か」がないときっと関係は深まっていなかっただろうから、ある意味必然とも言えるだろう。
 
それでも、始めることよりも続けることの方がずっと難しくて、「理想」ではない「現実」に向き合い続けることができるかが重要になってくるだろう。日本語が通じればどんなに楽だろうと思うことは多々あるけれど、ここにきっと、お互いの人生にとって大切な学びと経験があるのだ。
 
悲しいときは悲しい顔をし、嬉しいときには嬉しい顔をする。当たり前のようで生きているうちにできなくなってしまうことを屈託無くする彼が幸せであり続けてほしいと思うし、その笑顔を少しでも増やすことができたらいいなと、今は思っている。2021.02.16 22:05 Den Haag
 
 

2021.02.16 451. 現実の中で気づく、因果関係と境界線に関する意識について

 
20時30分すぎ、久しぶりに書斎で机に向かって日記を書き始めている。「パートナーが体調を崩して寝込んでいるから日記を書くことができる」という、なんとも皮肉な言葉が頭に浮かび、そして同時に、今の自分自身が持っている視点の限界に気づく。「できないこと」が自分自身の外的な環境もしくは人に起因していると考えているのだ。ここに、他者と自己の間に未だ大きな分断があり、その中で、ある一方向の因果関係が発生しているという意識の持ちようがあることが分かる。
 
これが恒常的な自分の意識かというとそうでもないと思いたいものだが、深層では世界との関係をそんな風に捉え続けて来ていたのだろうか。
 
オランダ人のパートナーと暮らし始めて1ヶ月半。自分たちの暮らす「世界観」の違いに未だ驚くばかりで、どうしてそれを日々書き留めてこなかったのだろうという後悔も浮かんでくる。自分自身と向き合うための日記だが、どこかで「あまりに歯の浮くようなことばかり書いて、浮き足立っていると思われないだろうか」などと思った自分が少なからずいたことは事実だ。
 
「学びと実践の最も重要な題材は現前にある」と思ってきたが、どうやらそれは本当にそうで、肉体を持って接する「現実世界」というのはこうも生々しくてもどかしいものなのだということを実感している。
 
欧州に渡って3年半、全ての活動をオンラインで行なってきた結果、オンライン上の「空間」は飛び越えることができて、時間軸を超えることもできるのだと分かった。そこには一瞬であり無限の空間が広がっているのだ。
 
一方で、生身の身体が身を置く世界との間ではその感覚についてまだ一致してはいない。一人のときは良かった。他者と過ごす以外の「時間」は「自分の時間」であり、それを深く、広く、拡張することもできる。(実際には、自分にとって優先順位の低いものを「やらない」というだけなのだけれど)
 
それが今はそうはいかない。「フランス人は食べるために生きていて、オランダ人は生きるために食べている」という言葉を聞いたことがあるけれど、幸か不幸か、私の出会ったオランダ人は身体に良いだけでなく、見た目も美しく盛り付けた料理を食べることを楽しむのが好きな人だった。肉はほとんど食べることがなく、ベジタリアン的な食事をしてきているということだが、私の想像する「ベジタリアン」よりも、いつも随分と食卓の彩りが豊かだ。(これもまた私の想像の乏しさもあるのだけれど)
 
と、こんな風に書き出すとキリがなくて、ただただ「違って驚き!」という話になってしまいそうになる。ここから何をどう深めていけばいいのだろうか。自分がどうやって日記を書いてきたかさえ記憶の彼方にある感覚になるくらい、「現実」に生きる世界の感覚がとにかく日々すさまじい。
 
そんな中、ここのところずっと感じている課題感のようなものを書き留めておくと、それは言語の壁だ。もう少し正確に言うと、言語レベルに合わせて、思考とコミュニケーションのレベルが下がる(「レベル」と言う言葉は完全にしっくりきているわけではないが、でも端的にはそういうことなのだと思う)という現象に頭を悩ませている。いや、これは結局のところ他者との関係性の枠組みがあまりに限られた生活をしてきたが故に起こっていることであって、根本は言語の影響ではないということも実感している。
 
家にいる「わたし」は「私」であって、この環境において、他者との間に様々なことに折り合いをつけるということが結局のところできないのだ。これを離婚後5年だか6年に渡る独身生活のせいにはできないだろう。かつての結婚生活でも私はきっと「私」と「私たち」の折り合いをつけることができなかったのだ。
 
物理的には人と距離を置き、対話という形と時間を通して他者と関わりながら一人で探究をするというスタイルはそういう意味でとても自分に合っていたのだと思う。
 
その生活を続けていたら、もっと見えていた景色があったかもしれない。でも、私たちの人生には実際のところ「もし」なんてものはなく、今この瞬間に立ち現れる世界の道の上を歩んでいるのだろう。「選択肢」なんてきっと、私たちの想像の産物に過ぎないのだ。
 
出会った人がいて、互いに一緒にいることを決めた。そこに大いなるものの意図や流れがあったかどうかは分からない。ただ、今こうしてここに共にいるというのが起こっていることなのだ。
 
自己と他者、関わりと関係性、この二つの軸からできる4つの象限ないしはさらなる立体、もしくはn次元の世界が、これからの探究と実践のテーマになっていくだろう。
 
このあたりはまた改めて言葉にしたい。
 
久しぶりに日記を書いたが、改めてやはりこの時間は私に欠かせないものなのだということが分かる。今の暮らしの中で、日記を書き続けることができたらきっと本当に大切なものに向き合い続けることもできるだろう。
 
書斎と隣り合った寝室から、ヒーリングミュージックのような音楽が微かに聞こえてくる。微かだが、実際には割としっかりと音が出ているはずだ。小さな音でも大きく聞こえてしまう私にとって、「体調の悪いときにこんなに大きな音の中で寝るのが、果たして回復につながるのだろうか」などと思ってしまうけれど、青い目の彼にとって世界が随分と明るく見えるのと同じように、私には世界の聞こえ方が違うだけなのだ。
 
いつか、自分たちの体験している世界をもっと伝え合える日が来るのだろうか。そのためにもせめて鍋と雑炊以外の、栄養があって美味しいものが作れるようになりたいものだ。2021.02.16 Wed Den Haag
 
 

2021.02.11 450. だから大切な人の手は離さないでいよう

 
郊外の住宅地を抜けて間も無く、静かな場所に葬儀場はあった。
 
まばらに車の停まっている入り口付近を抜けて、駐車場の奥、まっさらな雪の中に車を停める。
 
深呼吸をしようと助手席の扉を開ける。
 
冷んやりとした空気が一気に車の中に入ってくる。
 
パートナーのお父さんが亡くなったのは1週間ほど前のことだった。
 
新型コロナウイルスが原因ではないけれど、医療現場や社会が混乱している今、どこからが「コロナが原因ではない」と言えるのだろうか。
 
・・・・・・・・・・
 
ちょうど1ヶ月前。
 
1月1日に会ったばかりだった。
 
私が想像し実感している「オランダ人」よりも随分と小柄な男性は、車椅子に乗ってはいるものの元気そうで、グラスに注がれたシャンパンを前ににこにこ微笑んでいた。
 
「これまで何度か体調を崩したことはあったけれど、その度、持ち直したんだ。彼は強い意志を持ってる」
 
そんな話を聞いていた。
 
体調が崩れ、病院に運ばれ、「できることはない」と自宅に返されたときも「彼はまだ生きる意志がある」という話をしていた。
 
・・・・・・・・・・
 
敷地の横を流れる運河は凍っていた。
 
オランダに来て3度目の冬、運河が凍るのを見るのは初めてだ。
 
立ち止まると、「トトトトト」と何かを叩くような音が聞こえる。
 
「またキツツキだ。僕はこれまで一度もキツツキに会ったことがなかったけど、あなたといるとキツツキが挨拶をしてくるね」
 
いつもと変わらない調子で彼が言葉を口にする。
 
聞こえてくるのは、鳥たちのつくりだす音、風の音。
 
凍った世界には、私たち以外に人がいないんじゃないか。
 
そんなことを思いながら運河沿いの小道を進む。
 
道の脇に、自転車の車輪ほどの大きさの円が区切られていて、中に「Gereserveerd」と書かれた看板が立っている。
 
「これは何?」と聞くと、「予約済みだって。自分の場所を生きているうちに予約しておく人もいるんだ」という答えが返ってくる。
 
「あ、ここは木を植えるんだね。新しいスタイルだ」
 
そう言われ、目を向けた先に、木と呼ぶにはまだ早い、腰の高さほどの細い枝が見える。
 
「最近植えられたんだね」
 
そう言いながら、木の下に置かれたプレートを覗く。
 
二人分の名前と、それぞれの名前の横に二つずつ日付が並んでいる。
 
1943年と1940年生まれの二人。
 
亡くなったのは2020年8月と2020年9月。
 
「コロナでなくなった人だ…」
 
「一人が亡くなって、その一ヶ月後にパートナーが亡くなってる…」
 
他の若い木の根元に立てられたいくつかのプレートにも、2020年の、そう遠くない日付が並んで書かれている。
 
「Terrible(ひどい)…」
 
と、彼が呟く。
 
・・・・・・・・・・
 
時間になり案内された待合室には、壁沿いに椅子が転々と並べられていた。
 
やってくる人たちが彼と、近くに座るお姉さんに声をかけにくる。
 
 
腕で触れ合う人もいれば、握手をする人もいれば、抱き合う人もいる。
 
誰かが来る度に、私も立ち上がって挨拶をする。
 
と言っても、名前と、一言何かを言うくらいしかできない。
 
人々が話すオランダ語が、静かな音楽のように宙を漂う。
 
新たにやってくる人がいなくなって、間も無くして、係の女性が会場にいる人たちに声をかけ、人々が立ち上がった。
 
彼のお姉さんが、旦那さんと手を繋いで歩き出す。
 
彼に手を引かれ、その後ろに続く。
 
10mほどの廊下を歩く僅かな時間の中で、色々なことが頭を駆け巡る。
 
オランダで、誰かのパートナーとしてお葬式に参加をする。
 
数ヶ月前には想像もしなかった現実が目の前にある。
 
非日常的なことが起こるのが夢だとしたら、これは夢の一部なんじゃないか。
 
・・・・・・・・・・
 
式典の会場は中央に置かれた棺を囲んで半円状に椅子が並ぶ小さなコンサートホールのようで、それは私の知る会場とは全く違うものだったけれど、すでに夢のような感覚の中にいる私の心は静けさを保っていた。
 
一番前の列の、一番奥の席に座る。
 
隣に座ったお姉さんの目から涙が溢れ、旦那さんがその肩を抱く。
 
涙ぐんだ彼の腕を抱き寄せて、手を握る。
 
気づけば、周りの人が皆マスクを外している。
 
急いでマスクを外す。
 
係の女性のアナウンスにより式典が始まり、間も無くして、彼が立ち上がった。
 
胸元から折りたたんだ紙を取り出し、広げ、話し始める。
 
・・・・・・・・・・
 
 
前の晩、リビングでスピーチの練習を終えた彼に声をかけた。
 
「私はオランダ語が分からないから、明日あなたのスピーチを理解することができない。だからよかったらあなたが話すことを英語で教えてくれる?」
 
そう聞くと、彼はスマートフォンに保存した原稿を開き、大きく息を吸って、練習と同じように、はっきりとした声で英語でスピーチを始めた。
 
小さい頃の思い出。
 
お父さんが過ごしたであろう時間のこと。
 
そして、晩年の楽しみのこと。
 
・・・・・・・・・・
 
言葉は分からないけれど、彼が何を話しているのかを知らせる感覚が身体の中に生まれる。
 
「音楽をかけてください」
 
おそらく、彼が口にした言葉はそんな意味だったのだろう。
 
会場に音楽が流れ始める。
 
英語の曲が始まり、歌が聴こえてきた瞬間に、スピーチの台の近くに座る彼の方を見た。
 
つい数週間前に、一緒に観た映画のワンシーンで流れた歌だった。
 
お葬式までの間にお葬式で流す曲のリストを作っていたことは知っていたけれど、その曲を彼が選んでいたことは知らなかった。
 
おそらく、彼のお父さんはこの曲を知らないだろう。
 
でも、きっと、ぴったりの曲なのだと思った。
 
サビの部分で、再び彼の方を見る。
 
お互いに、微かにうなづく。
 
スピーチを終え、席に戻ってきた彼と、再び手を繋ぐ。
 
Uncle(おじさん)だと紹介された老齢の男性のスピーチが終わり、再び音楽が流れ、スライドショーが流れた。
 
そして、係の人のアナウンスがあったためか、みんなが一斉に立ち上がり、私も続いて立ち上がる。
 
中央に置かれたアイボリー色に塗られた棺が、ゆっくりと沈み始める。
 
そのとき音楽が流れていたのかどうかは覚えていないけれど、手を合わせるでもなく、目をつぶるでもなく、そこにいる人たちがただ静かに佇む、そんな時間だったように思う。
 
・・・・・・・・・・
 
式典を終えて案内された部屋には、大きなサンドイッチと小さなケーキが用意されていた。
 
さらに、ビタバーレンという、オランダ名物の丸いコロッケのようなものも運ばれてくる。
 
「日本で言うと、唐揚げのようなのだろうか」
 
そんなことを思いながらビタバーレンをつまむ。
 
見渡して、改めてそこにいる人たちの人数を数える。
 
20人ほど。
 
その日は雪が降り積もった次の日で、「雪のために行けない」という連絡が朝から何件も来ていたけれど、来られないことは雪のためだけではないことは分かっていた。
 
何日も夜中の間ずっと看病をしていたというもう一人のお姉さんは、旦那さんがコロナに感染していることが分かり、お葬式に出席することができなかった。
 
大切な人を見送ることもできない。
 
「これが、今私が身を置く社会の、世界の、現実なのだ」
 
と思った。
 
・・・・・・・・・・
 
1時間ほど、飲み食いをしながら話をしていただろうか。
 
ぱらぱらと、半分以上の人が帰っていく。
 
「あと5分ほどです」と係の女性が告げに来た。
 
残ったサンドイッチとケーキが箱に詰め手渡され、入り口に置いてある花束とともに、その場にいた人たちが運び始める。
 
そしてそのまま、駐車場に向かう。
 
花をお姉さんの車に乗せる。
 
サンドイッチの入った箱の一つを渡される。
 
そこにいる人たちがオランダ式の、頬に3回するキスを交わし合い、女性たちと私もハグとキスを交わす。
 
老齢の女性の一人がオランダ語で何かを言う。
 
「日本では挨拶でキスをする習慣がないのか?って」と彼が言うので、私たちにはその習慣はないと答えると、
 
また女性が何か言い、
 
「じゃあ私があなたがキスをした初めの女の人ね、だって」と彼が英語で言い直し、そこにいるみんなが笑った。
 
そのまま車に乗ろうとするので、思わず彼に「骨はどこ?」と聞くと、
 
「4週間保管して、それから焼くんだ。その後に家族が取りにくることになってる。でも、お母さんのときのは受け取っていないんじゃないかな」
 
という答えが返ってくる。
 
「コロナだからじゃない。そういう決まりになってるんだ」
 
そう話す彼はさびしさともあきらめともつかない顔をしていた。
 
・・・・・・・・・・
 
駐車場を出て間も無く、「ロッテルダムのツアーをして帰ろう」と彼が言った。
 
「お父さんもきっと街を見たいだろうから」
 
と。
 
・・・・・・・・・・
 
ハーグの街に戻り、車をレンタカーショップの駐車場に停め、鍵をキーボックスに入れた。
 
近くのトラムの停留所に、タイミング良くトラムがやってくる。
 
20分ほどトラムに揺られ、家の最寄りの停留所で降りる。
 
歩行者信号が青になるのを待たずに道を渡ろうとすると、ちょうど道を曲がった車がやってきて、足を止める。
 
「One more funeral!(お葬式がもう一つ)」
 
と彼が笑い、「ほんとにやめてね」と一緒に笑う。
 
涙と笑い、哀しみと愛おしさが混じり合う。
 
名前のついていない感情をたくさん感じている。
 
それが、私たちの生きる現実。
 
2021.02.11 Den Haag
 
 

2021.02.01 949. これまでの自分が死を迎えるとき

 
あたらしい月がやってきた。
 
1月はどんな時間だっただろうと考えると「死」という言葉が浮かんできた。これまでの自分が死を迎え、新しい自分が生まれた。それは本当に、恐ろしくて不安で、先の見えない真っ暗なトンネルを歩くような、そんな時間だった。
 
そんな言葉を選ぶと何かとても苦しい時間だったように思うけれど、毎日はとても幸せだった。一日が終わるたびに、「今日も素敵な時間をたくさん過ごしたなあ」と噛みしめるような、そんな時間が重なって一ヶ月が経った。
 
これまでとは違う生活リズムになって、一旦手放したものがたくさんある。日記を書くことを含めて、これからまた、「これまで」との統合が起こっていくのだろう。
 
自分自身がより良い状態、静かでクリアな状態でいるために日々のルーティンがいくつもあったが、それは方法に過ぎなかったのだと分かる。やり方は変わったとしても、目の前のものごとや人に向き合うこと、目の前に現れることが大切なことを教えてくれる。
 
そうにも関わらず、これまでは随分と新しいことを足そうとしていたように思う。あたかも、新しいことをすれば、新しい自分が手に入るかのように。あたかも、自分の外側に大切なものがあるかのように。
 
人間や宇宙の謎を解こうとしたら、生きている時間では到底足りない。大きなものとしての「全体」を見ながら、自分自身の中にある宇宙と関わる人との間に育まれるものに目を向けて生きていくことができたら、そこには足るを知った深い幸せが訪れるのではないか。
 
1月に過ごした時間についてまた改めて振り返るかもしれないし、そうではないかもしれない。今はぼんやりと、こんなことを考えている。2021.02.01 10:16 Den Haag
 
 
 
 
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