木の枝が揺れ、風の音が聞こえる。確か数日前に「嵐が来る」と聞いたけれど、今日がその日だっただろうか。昨晩、3月末の気温を調べるために月間天気予報を見たところ、4月末までほとんど気温が変わらないことが分かった。最高気温は12度くらい、最低気温は5度くらい。すでに「春が来た」という気分でいるものだから、今の気温があと2ヶ月続くのはなかなか辛い。

4月には、少なくともここよりもあたたかい場所に滞在したい。そして来年からは冬の時期はあたたかい場所にいたい。そんな考えが湧いてきて、すこし不思議な感覚を感じる。欧州に来てもうすぐ4年。最初の年こそ、どんどん短くなる日照時間や降り積もった雪に気が滅入りそうになったものの、翌年からは「これまではあたたかく熱気もあるアジアの国が好きだと思っていたけれど静かで冬の長い場所もいいなあ」なんて思っていた。感覚が変わるのは、自分の中に大きな季節が巡っているからだろうか。それともこれは単に、季節の変わり目にお決まりのようにやってくる感覚だろうか。

言葉も身を置いてきた文化も違う相手と暮らしていると毎日のように何かが巻き起こる。その半分はミスコミュニケーションだ。そもそも正直なところ普段相手が話していることの半分も私は理解することができていないだろう。なんとなしに話すことであればそれでいいが、大事なことがすれ違うとお互いの間に不和が生まれる。

そんな中、昨日は英語の単語の意味を、相手の意図と違うように受け取り、私が怪訝な顔をするということが起きた。私は文脈の中でその意味が分からなかっただけなのだが、彼には私が傷ついたように見えたようだ。すぐさま隣の席に腰掛け、言葉の限りを尽くして誤解を解こうとする。言葉の意味を説明するのではない、自分がいかに私のことを大事に思っているかまで滔々と説いてくる。それはまだともにする時間が少なくて気持ちが盛り上がっているから行うことではないだろう。言葉は心の現れであり、どんな心からその言葉を発しているかということが関係性に影響を与えることを知っているのだ。生きている時間やその中で経験してきたことが違っても、一人の人間としてその人のことを尊重し、その気持ちと一致した言葉や態度で相手を扱っているか。彼からは本当にたくさんのことを学んでいる。

言葉が通じる同士だと、私たちはあたかも、「同じ言葉で同じ意味を共有している」と思い込んでしまう。でも本当は、言葉の意味はそれぞれの人の中にあって、人と人との間で常にアップデートされている。

コミュニケーションそのものや言葉についての意識を更新することを後押しする。これは5月から7月に開催する講座のテーマとして考えていることだが、このテーマは本当に奥深くて、私自身、もっともっと深めていきたい。そのためにも、仕事やスケジュールについてはバランスを再検討する必要があるだろう。深めるほどに、大切なものを世界に届けることができる。思いの外、外に開いていた数ヶ月間を過ごしてきたが、ここからまた探究に比重を置いた時間に入っていくかもしれない。いや、そんなことを考えることさえ、もう手放すときなのだろうか。ここ最近のテーマである「明け渡す」は、まだ身体感覚に落ちるところまでは至っていない。2021.3.11 Thu 8:23 Den Haag