456. 関わりと交わり

 

メールを確認する前に日記を書こうと思っていたけれど、気づけばあっという間にいくつかのやりとりへの返信を考え始めていた。

改めて、デスクトップ上に開いているブラウザやフォルダを全て閉じ、まっしろな画面に向かう。視覚的なスペースの広がりが、内的なスペースが広がることを後押ししてくれる。

日記を書き始めるときのこの「まっさら」な状態が好きだ。

昨日も生きることを存分に味わった一日だった。

久しぶりに、朝、書斎の机に座り中庭を眺めながら日記を書き、「今ここ」に生まれる感覚や言葉たちを味わい、勉強や考え事をする。

日中に飲む飲み物は、家にあったスチーマーを活用することで、ゴールデンミルクがクリーミーになり、一日一回、彼が作ってくれる抹茶ラテにはそのときどき、アーティスティックな模様が描かれている。

夕方にビーチの近くの魚屋さんに魚を買いに行ってお寿司を作ろうかと言っていたけれど、ベッドで過ごしていたら日が傾いてきたので、近くのイタリアンでピザとティラミスをテイクアウトし、いつものように彼がささっと作ってくれるサラダとともに味わった。

ティラミスと一緒にウイスキーを舐め、流していた音楽に合わせてダンスを踊り、読書をして寝る。「今日が月曜日だと信じられない」と思うと同時に、自分の中にはまだ曜日の感覚と、曜日に合わせて働くという感覚が染み付いているのだということに気づく。

ここのところ、一日数件の予定が入っていることも多かったが、自分の中で「深める」時間と、パートナーと過ごす時間がともに充実し、さらにセッションの質を高めることを考えると、一日2件のセッションもしくは打ち合わせが今の生活にはちょうどいいということを改めて実感した。

4月末にはこれまで参加してきたコーチングのプラットフォームを卒業することを決めたため、そこを通じてご一緒していたクライアントとのセッションがなくなり時間ができるが、心が澄んだ状態で、心からの喜びと祝福とともにある時間を続けていくためには、大きくクライアントの数を増やすことは控えておくことが望ましいだろう。限られた時間の中でもその人の人生と向き合うとなると、私自身の中に大きなスペースが必要になる。

以前、友人の主催したインテグラル理論に関する勉強会の中でチラリと紹介されていたタオ性科学の本の男性版と女性版をパートナーとともに英語で読み進めているが、そのためか、同時に彼が精神的身体的に多くの囚われから解放されているということもあるだろうけれど、セックスは肉体的な楽しみを超えた取り組みとなり、心や魂の関わりを深めてくれているということも実感している。相手と自分の身体の中にエネルギーを循環させることができるようになったが、これはとてもパワフルだ。(パワフルだからこそ、加減には注意が必要だということも感じている)

このあたりはまた探究と実践を深めていきたいが、ことパートナーシップ、かつセックスがテーマになると公に語られることが憚れると感じるのは、実際の社会的な慣習もあるし、私自身の囚われがまだまだあるのだろう。

パートナーシップにも生き方にも様々な形があるが、自分の人生においてはやはり欠かせないものであり、探究と実践からの学びをまた何かの形にしていければと思っている。

自分自身と向き合う時間があり、そして様々な形のパートナーと11で何かを交わしたり取り組んだりする時間があり、そして仲間たちとの時間がある。

ここ数ヶ月で「自分」を取り巻く関係性はダイナミックに変化をし、その中で「自分」どのように他者との間に境界線を設けてきたかということに気づき、その境界線が今、揺らぎ始めている。明け渡すこと、収束させようとしないこと。それが今のテーマだ。

そんなことを考えながら、意識も散漫に広がり続けている。今週から来週にかけてのいくつかの取り組みに向かっているのだろう。2021.03.02 Den Haag