451. 現実の中で気づく、因果関係と境界線に関する意識について


20時
30分すぎ、久しぶりに書斎で机に向かって日記を書き始めている。「パートナーが体調を崩して寝込んでいるから日記を書くことができる」という、なんとも皮肉な言葉が頭に浮かび、そして同時に、今の自分自身が持っている視点の限界に気づく。「できないこと」が自分自身の外的な環境もしくは人に起因していると考えているのだ。ここに、他者と自己の間に未だ大きな分断があり、その中で、ある一方向の因果関係が発生しているという意識の持ちようがあることが分かる。

 

これが恒常的な自分の意識かというとそうでもないと思いたいものだが、深層では世界との関係をそんな風に捉え続けて来ていたのだろうか。

オランダ人のパートナーと暮らし始めて1ヶ月半。自分たちの暮らす「世界観」の違いに未だ驚くばかりで、どうしてそれを日々書き留めてこなかったのだろうという後悔も浮かんでくる。自分自身と向き合うための日記だが、どこかで「あまりに歯の浮くようなことばかり書いて、浮き足立っていると思われないだろうか」などと思った自分が少なからずいたことは事実だ。

「学びと実践の最も重要な題材は現前にある」と思ってきたが、どうやらそれは本当にそうで、肉体を持って接する「現実世界」というのはこうも生々しくてもどかしいものなのだということを実感している。

欧州に渡って3年半、全ての活動をオンラインで行なってきた結果、オンライン上の「空間」は飛び越えることができて、時間軸を超えることもできるのだと分かった。そこには一瞬であり無限の空間が広がっているのだ。

一方で、生身の身体が身を置く世界との間ではその感覚についてまだ一致してはいない。一人のときは良かった。他者と過ごす以外の「時間」は「自分の時間」であり、それを深く、広く、拡張することもできる。(実際には、自分にとって優先順位の低いものを「やらない」というだけなのだけれど)

それが今はそうはいかない。「フランス人は食べるために生きていて、オランダ人は生きるために食べている」という言葉を聞いたことがあるけれど、幸か不幸か、私の出会ったオランダ人は身体に良いだけでなく、見た目も美しく盛り付けた料理を食べることを楽しむのが好きな人だった。肉はほとんど食べることがなく、ベジタリアン的な食事をしてきているということだが、私の想像する「ベジタリアン」よりも、いつも随分と食卓の彩りが豊かだ。(これもまた私の想像の乏しさもあるのだけれど)

と、こんな風に書き出すとキリがなくて、ただただ「違って驚き!」という話になってしまいそうになる。ここから何をどう深めていけばいいのだろうか。自分がどうやって日記を書いてきたかさえ記憶の彼方にある感覚になるくらい、「現実」に生きる世界の感覚がとにかく日々すさまじい。

そんな中、ここのところずっと感じている課題感のようなものを書き留めておくと、それは言語の壁だ。もう少し正確に言うと、言語レベルに合わせて、思考とコミュニケーションのレベルが下がる(「レベル」と言う言葉は完全にしっくりきているわけではないが、でも端的にはそういうことなのだと思う)という現象に頭を悩ませている。いや、これは結局のところ他者との関係性の枠組みがあまりに限られた生活をしてきたが故に起こっていることであって、根本は言語の影響ではないということも実感している。

家にいる「わたし」は「私」であって、この環境において、他者との間に様々なことに折り合いをつけるということが結局のところできないのだ。これを離婚後5年だか6年に渡る独身生活のせいにはできないだろう。かつての結婚生活でも私はきっと「私」と「私たち」の折り合いをつけることができなかったのだ。

物理的には人と距離を置き、対話という形と時間を通して他者と関わりながら一人で探究をするというスタイルはそういう意味でとても自分に合っていたのだと思う。

その生活を続けていたら、もっと見えていた景色があったかもしれない。でも、私たちの人生には実際のところ「もし」なんてものはなく、今この瞬間に立ち現れる世界の道の上を歩んでいるのだろう。「選択肢」なんてきっと、私たちの想像の産物に過ぎないのだ。

出会った人がいて、互いに一緒にいることを決めた。そこに大いなるものの意図や流れがあったかどうかは分からない。ただ、今こうしてここに共にいるというのが起こっていることなのだ。

自己と他者、関わりと関係性、この二つの軸からできる4つの象限ないしはさらなる立体、もしくはn次元の世界が、これからの探究と実践のテーマになっていくだろう。

このあたりはまた改めて言葉にしたい。

久しぶりに日記を書いたが、改めてやはりこの時間は私に欠かせないものなのだということが分かる。今の暮らしの中で、日記を書き続けることができたらきっと本当に大切なものに向き合い続けることもできるだろう。

書斎と隣り合った寝室から、ヒーリングミュージックのような音楽が微かに聞こえてくる。微かだが、実際には割としっかりと音が出ているはずだ。小さな音でも大きく聞こえてしまう私にとって、「体調の悪いときにこんなに大きな音の中で寝るのが、果たして回復につながるのだろうか」などと思ってしまうけれど、青い目の彼にとって世界が随分と明るく見えるのと同じように、私には世界の聞こえ方が違うだけなのだ。


いつか、自分たちの体験している世界をもっと伝え合える日が来るのだろうか。そのためにもせめて鍋と雑炊以外の、栄養があって美味しいものが作れるようになりたいものだ。2021.02.16 Wed Den Haag

452. パートナーシップと関係性の構造


ウェブサイトにアップしていなかった数日分の日記を読み返して驚いた。
21日、私は自分の「死」について書いていた。それが朝のことだった。

 

パートナーのお父さんが亡くなったという連絡が来たのは何時頃のことだっただろうか。

「お父さんが亡くなったって」そう呟いた彼に、どんな言葉をかけていいか分からなかった。スピリチュアルな力を持っているという彼の友人が、ちょうどお父さんがなくなった時刻にそのことを知らせるメッセージを送ってきていた。

それから一週間後に葬儀があり、私は彼の「パートナー」として葬儀に参列をした。そのときに過ごした時間は、物語のようで、書き留めておかないといけない気がしていた。もしかすると、そのときは「自分を見ている自分」がいたのかもしれない。もしくは身体から魂が抜け出ていたのだろうか。

とにかく、その日、オランダに来て初めて運河が凍っているのを車の助手席の窓から眺めながら「現実」ではない感じがしていた。

一回り年上の彼は、いつも随分若く見えるけれど、葬儀の時は特にまだ青年のように見えた。それがお父さんとの関係性の中で完了していない部分だったのかもしれない。文化も慣習も言語も違う場所で、哀しみだけではない複雑な感情の中にいる人をどうやって支えたらいいのだろうかと自分自身の未熟さを悔いた。

今もその感覚は同じだ。自分の好きに生きてきた私は、自分の好きにはできるけれど、誰かにために現実世界で何かをすることが本当に、全くと言っていいほどできないのだ。

「他者との関係性は、自分との関係性を起点とし、身近な人との関係性、さらに大きな関係性、と、フラクタルな構造になっている」と思ってきたけれど、一体私の関係性の構造はどうなっているのだろうか。


今、仕事およびいくつかのプロジェクトで大人数ではなくまずは二人という関係性から始まろうとしているものがいくつかあるが、これは私の中でそういうタイミングだということなのだろうか。

それにしても、今ここで体験しているパートナーシップというのは想像もしなかったものであると同時に、私が強く望んでいたものにも近いのだと実感している。パートナーは良く「We are team.」と言う。私が苦手な料理をほぼやってくれているときも、買い物に行くときも。驚いたのは生理痛がひどいときに痛みを和らげるためのマッサージをしてくれ、それについて「だって生理についても僕たちはチームでしょ」と言われたときだ。この人には「自分」という円も、「私たち」という円も、どちらも、戦わずに存在しているのだと思った。

「いくつかの国で暮らして、定住したい場所を見つけてそれから、子どもができたら僕がごはんを作って子どもの世話をするというのもいいよ。あなたは好きな仕事を続けたらいい」とサラリと言う。どうやら彼の中の「Team」には、「どちらが何をしないといけない」という枠組みはないらしい。それは私が日本にいたときに感じていた「夫婦」と言う言葉に対する違和感にもつながるものなのだと今になって分かる。日本における「夫婦」には、いつも「夫」と「妻」の役割がセットになっている(気がする)のだ。これが彼がオランダ人だからか、それともモンテッソーリ教育を受けているからか、はたまた別の理由からかは分からないけれど、やはり自分よりも一回り年上の人がそんな考えを持っていることは驚き以外の何物でもない。

ついでに言うと、関係が深まり始めるときに子どもが欲しいかという話になり、そのときに「あなたは私たちのBabyが欲しいか、それともKidsが欲しいか」と聞かれたのも衝撃に近い驚きだった。オランダは国際養子縁組を含む養子縁組が珍しくないと聞いてはいたけれど、ここまでフラットにそんなことが話されるとは

それでもきっとこれを「オランダ人」と括ることはできないだろう。国民性のような大きな傾向はあっても、その中でどんな考えを持ってどう生きるか、今は本当にきっと多様になっているのだと思う。

そんな中で私にとっては理想とも言えるパートナーシップのイメージを持っている人に出会えたことは奇跡にも近いし、一方で、「何か」がないときっと関係は深まっていなかっただろうから、ある意味必然とも言えるだろう。

それでも、始めることよりも続けることの方がずっと難しくて、「理想」ではない「現実」に向き合い続けることができるかが重要になってくるだろう。日本語が通じればどんなに楽だろうと思うことは多々あるけれど、ここにきっと、お互いの人生にとって大切な学びと経験があるのだ。

悲しいときは悲しい顔をし、嬉しいときには嬉しい顔をする。当たり前のようで生きているうちにできなくなってしまうことを屈託無くする彼が幸せであり続けてほしいと思うし、その笑顔を少しでも増やすことができたらいいなと、今は思っている。2021.02.16 22:05 Den Haag