943. 何もしない一年のはじまり

8時が近づいているがまだ外は暗い。調べてみると、今日の日の出の時刻は850分。どうやら一番日の出が遅い時期のようで、ちょうどここから日の出の時刻がまた早くなっていくらしい。それでも2月でもまだ820分くらい、3月になりようやく730分頃が日の出の時刻となる。昨年、一昨年のことは覚えていないが、日の出の時刻に関わらず真っ暗な中起き出して仕事や打ち合わせをしていたのだろうか。きっとそうだろう。それに特に疑問も苦も感じていなかったが、真っ暗な中あかりのついている家が少ない様子を見ていると日本を出ても結局働きすぎな暮らしはあまり変わっていないのではないかという気がしてくる。

大晦日から昨日まではロッテルダムで過ごしていた。ロッテルダムはハーグから長距離電車で15分ほどのところにあるが、これまではもっと先にある街に向かうときに通り過ぎたことしかなかった。オランダの他の街の駅舎の多くがそうであるように、ロッテルダムの駅舎は近代的で無駄がないデザインだ。「ロッテルダムにはcity boy, city girlが住んでいる」と聞いたことがあるが、ここで言う「city」というのは都会的ということを指すのだろうか。そんなことを考えながら降り立ったが、ロックダウンのせいか駅前にも街中にも人は少なく、思いの外静かな年末年始を過ごすことになった。

パソコンを開くことなく過ごす休暇はいつぶりだっただろう。オランダには「ニクセン」という言葉があり、それは「何もしない」という意味だと聞くが、散歩をして、ゆったりと過ごす時間は「ニクセン」に近かったのかもしれない。(きっと本当のニクセンは本当に何もしないのだろうけれど)

休暇ということもあったが、その前からライフスタイルが変わり、日記を書く習慣をどこに持ってこようかと考えながら、書く日、書かない日が入り混じることが続いている。

日常というのはこんなにも大きく、突然変わるものかと驚いている。もしかするとゆっくりと、だんだんと、変わっていたのかもしれない。現実を見ているようで見ていなくて、変わっている多くのこと、変わっていない多くのことに気づかず、自分が認識している世界だけを見ていたのだろう。

「夢の中にいるみたいだ」と思っていた時間が現実になっているが、それが夢ではないということにまだ確信が持てずにいる。ここからもっと時間が経てば今過ごしている時間が現実になり、これまで過ごしてきた時間が夢のような時間だったということになるのだろうか。

オランダで一人で過ごしてきた時間、誰かを待ってきた時間に後悔はないけれど、これまでの時間を続けることなく、変化を受け入れて良かったと今は思っている。大きな変化を自分でつくったようにも見えるが、私にとってはやはり「受け入れた」という感覚だ。

まだ全てを受け入れたわけではなくて、変化の途中、統合の最中にいる。この時間はしばらく続くことになるだろう。

それにしても、一人で過ごすというのは随分楽なことだったのだと改めて思う。身に降りかかる出来事も一人分。私は特に人間関係や関わる人にかなり限りを設けているので、よほどでない限り他者の言動に大きな影響を受け、それが生活や仕事に影響を与えるということはない。言葉にならない小さな感覚たちの音が聞こえてくるが、それもこれだけ人間関係と情報を制限していたらある意味当然のことなのかもしれない。それが二人分となると、自分では予想もつかない、調整もできない色々なことが起こる。自分自身をどんなにととのえていても、近くにいる人の心や身体の状態から何かしらの影響を受ける。これからは、自分ではどうにもならないことに対する耐性もしくは受容力のようなものを身につけていくことがテーマになるのだろう。

きっと、人生として、新しいステージに入るタイミングだったのだ。改めて、全く違う人生を送ってきた他者から学ぶことは本当にたくさんあると感じる。生まれ育った国も、使う言葉も、身についている慣習や文化も違う相手であればなおさらだ。それでも共通した感覚が心の中にある。今ここにある現実と日常。その中で言葉を交わし、感覚を味わい、生きる。2021年はそんな風に始まっている。2021.1.4 Mon 8:26 Den Haag