936. 記憶と記録

 

久しく記憶がない。記憶がないのか記録がないのか。そのどちらもだ。記憶がないときというのは大抵、目の前のことや少し先の何かに向かって追い立てられている。

もともと忘れっぽい方ではあるが、コーチングセッションで「今この瞬間の言葉そのものや言葉の表面的な意味でないもの」に感覚を強く集中させるようになってからというもの、そしてまっさらな心で向き合おうという意識を強く持ってからというもの、記憶に何かを留めることがことさら薄らいでいるように思う。

コーチングセッションでは基本的に指がほぼ勝手にタイプをしてメモを取っている。深く体験をしているので、言葉ではないものが心身に色々と残っているのだが、それがそのまま積み重なってしまってはいけないので、セッション前の瞑想の時間に、記憶や感覚はどんどんとクリアにしていく。

そんな風なことをしているから、人と向き合うこと以外にも目の前のことに向き合う集中力というのは高いはずなのだが、それについてあえて振り返りをしなければ、その時間のことはすっかり忘れてしまうということが起こる。というわけで、ここ二日三日のことがほぼ思い出せないのだが、何かよっぽど目の前のことに集中していたのだろう。

それにしてもなぜ今こんな状態なのだろうかと振り返ると、一昨日、昨日、今日と、朝の早い時間から打ち合わせやイベントのオブザーブなどが入っていたため、朝に日記を書くことができなかったのだと分かる。わざわざ思い出さないとそれが分からないくらい、やはり記憶のなさが重症である。

それがいつからなのか定かではないが、明らかにこれまでとは流れが変わっている。

意識の変化の後、現実はいつも少し遅れて変化をする。少し、というのは、数週間のこともあれば数ヶ月のこともある。様々な因子が複雑に影響を与えあっている中で、必ずしも一対一の対応では語ることができないが、それでもやはり、意識が変化し、現実が変わるのだろう。

そしてその意識の変化は明らかに対話によって後押しされている。ここ1年以上、2人のコーチに伴走をしてもらっているが、もしセッションがなければ現在のような景色を見てはいなかっただろうと感じる。

しかし、私のコーチは二人とも、目標達成のための行動促進を扱うことが専門ではない。一人は感覚を感じることに深く働きかけ、一人は自分自身に起こっていることに深く向き合わせてくれる。話された内容ではなく、セッションのプロセスで体験していること、無意識の領域で起こることが大切なのだとつくづく感じさせられる。

それは自分自身がセッションを提供していても感じるし、その精度のようなものをもっと上げていきたいと思うけれど、一方で結局のところクライアント自身のタイミングや状態・状況が重要であり、いかに焦らず、持っている力や可能性が開花する環境を対話を通じてつくることができるか、世界を感じる感覚質をよりやわらかくあたたかなものにできるかがキーになるようにも思う。「自分が何かができる」などというようなおごりは手放すに越したことはないのだ。

こうして書きながら、まだ読みたい本があるなとか見直したい動画があるなということが浮かんでいるが、今日はひとまずベッドに入ることにする。明日は読書会だ。主催者ではあるものの、進行は別の仲間がしてくれることになっているので、久しぶりに「参加者モード」でゆらゆらと対話に参加できることが楽しみだ。2020.12.11 Fri 21:03 Den Haag