929. 安心の場所から抜け出して

 

この静けさの中で、静けさを感じること以上に大切なことがあるだろうか。

そんなことが浮かぶ。そうは言っても、表の通りの往来はすでに少しずつ増えているようで、時折、ブーンという、車やバイクが通り過ぎる音が聞こえる。一方で、中庭側にあるのは相変わらずの闇だ。視覚的な闇なだけでなく、聴覚としての闇。目を閉じて、ゆっくりと呼吸をすると、身体と闇は一体になる。そのときにはもう「闇」という対象はなく、ただ、無限の空間がそこにある。

セルフコンパッションの取り組みのときに、オンライン上で向き合う人と、お互いがただ「存在」としてそこにいた体験を思い出す。自分自身や他者のただそこに在る存在を、もはや「在る」と表現していいのかさえ分からないエネルギーとしての輝きを感じる。その体験はとてもパワフルで、所有するものや所属するものに規定されない自分や他者をあるがままに認めることを強く後押ししてくれている。

そんな体験は、自分自身の、根っこを生やすための土台、土をととのえる(柔らかくする)ことにもつながるので、今後何かの形で提供していければと思っているが、一方で注意が必要なものでもある。

ときにその場所に留まってしまいたくなるのだ。そうして、安心感を感じる相手やコミュニティの中に関係性が閉じてしまうということが起こる。同時に、現実世界やコミュニティの外との間に断絶が起こる。

「わたしのことを大切に扱ってくれない人とは関わらない」と言いたくなる気持ちは理解できなくもない。それだけその人が苦しい思いをしてきたのだろう。しかし、真の安らぎは、苦しいと思っていた世界に出ていき、そこでこれまでとは全く違った景色が見えたときに起こるのではないだろうか。

ここに、私がコミュニティのようなものを作ることへの躊躇がある。安心できる居場所としてのコミュニティは確かに必要で、その安心感の中で起こる変化や変容もあるけれど、最終的に私たちはひとりひとり、自分の生きる現実の世界へ帰っていくのだ。「内と外」をつくりたいのではなく「あわい」をつなぐのが私の想いであり役割とするならば、どんな場や関係性をつくるのがいいのだろうか。

そう考えると、個人だけでなく、私の組織に対する関わりというのも見えてくるように思う。

内も外も、上下もなく、ただともに、流れの一部であるように。
そう思うと、やること、やらないことが自ずと見えてくる。

7時を過ぎたが、まだ外は暗い。暗闇の中の静けさに、その中にだんだんとさしてくる明かりに耳を澄ます。今日もそんな一日になるだろう。2020.11.25 Wed 7:20 Den Haag