927. 静けさに寛ぎ、「触れる」ということを思う

 

静けさの中に星の瞬きのような音が聞こえている。心が静かな状態になっていると聞こえる音だ。音というにはその音をどんな言葉でも表現することができない、空気の振動とは違う、存在そのものがただそこにあるという感覚。私はいつも、人の声や言葉の先にこんな音を聞いていたんだなあと思う。

先日我が家にやってきた加湿器はころんとした形と木目調の外見がすこぶる可愛らしく、仕事をするデスクの上に置いて、セットになっているアロマオイルをその日の気分に合わせて選ぶのが楽しみになっているけれど、微かな電子音がすることだけが悩ましい。実際には使っているときにはその音は気にならないけれど、1時間のタイマーが切れると、ピピっという音がした後に、静寂が訪れる。その瞬間に自分がずっと微かな音に包まれていたのだということに気づく。そして訪れた静けさに毎度のこと寛ぐ自分がいる。特に、今の時間帯の静けさは本当に穏やかだ。先週は朝の比較的早い時間から加湿器をつけていたが、今週は試しに日が昇ってからつけることにしてみよう。

しかし、今更ながらこれは加湿器なのだろうか。アロマディフューザーと加湿器は同じものなのだろうか。加湿器というとてっきり暖かい空気が出るものだと思っていたがどうやらそうでもないということだろうか。細かい振動を起こすことによってできた霧のような空気は物にあたって水滴をつくることもないのでこれはこれでいいのかもしれない。加湿器のおかげだけではないだろうけれど、荒れていた肌の調子も良くなってきた。一週間前のヒリヒリカサカサとした状態とは比べ物にならないくらいしっとりしている。一番はおそらく、スーパーに入るときに使うマスクを変えたことが大きいだろう。見た目がおしゃれなものと、肌に良いものは違うのだということを改めて感じる。

一週間前にオンラインでアーユルヴェーダーの考え方を元にしたセルフケアの方法を教えてもらってから、毎朝セサミオイルを足の裏に塗り込んでいるがこれもなかなか心地いい。今日は両足にオイルを塗り込んでいるときに、右足と左足の足の裏の大きさが随分と違うことに気づいた。何となく大きさが違うということは知っていたが、よく見ると左足の方が1cm近く大きいのだ。左右の足でこれだけの違いがあるのだから、個体同士を比べるともっともっと違いがあるだろう。物理的な肉体としても見えない部分も、ひとりひとりは全く違うのだということを知ることができていたら随分と自分にも人にも寛容になれる気がする。

足の裏にオイルをすり込みながら、私にとって触れ合いというのは本当に大切なものなのだなあということが浮かんできた。大切というか、コミュニケーションの一部である。自分の身体も人の身体も、丁寧に触れていくと色々なことが分かる。まさに音がするのだ。身体の部位によって、閉じ込められた記憶のようなものや、感情がそれぞれ違った音を立てている。そしてそっと触れていると、その記憶や感情が癒されていく。病気や日常生活に支障がある状態になっていなくても「手当て」をすることでその人に必要な癒しが起こっていくのだということは身を以て感じている。

カリフォルニアにあるエサレン研究所で誕生したエサレンマッサージというのは、受けてみたいマッサージの一つだ。マッサージを一方的な施術ではなく間主観的・相互的な体験と捉えて捉える考え方は、私自身の対話に対する捉え方も重なるところがある。

肌の触れ合いというのはものすごくパワフルで(パワフルであるがゆえにときに人間を魅了しすぎてしまうこともある)自己との信頼関係を取り戻し、本体持っている力を発揮することを効果的に後押しすることができる。専門家の力を借りるのはもちろんだが、対話と同じく、身近な人と良い関わり、良い触れ合いができるようになれば人は日々の暮らしそのものをもっとスピリチュアルな実践として体験することができるのではないかという気がしている。

昨日、買い物帰りに我が家の数軒先にタイマッサージの店ができていることを見つけた。身体の状態は良いが、寒さの中で無意識に縮こめている部分もあるだろうから、久しぶりにマッサージをしてもらうのはいいかもしれない。冬は随分長いように感じていたが、もう直ぐ12月に入ることを考えると、あと数ヶ月ということでもある。自然のリズムと同じように、静かに内なる自分と向き合い続けると、春には自然と世界に向かう花が開くことになるだろう。2020.11.23 Mon 7:58 Den Haag