924. 本当に伝えたいこと


パソコンを持って書斎に移動してくると、先ほどまで見えていた太陽の光よりももっと明るい光が差しこんでいた。

今日は朝の比較的早い時間からセッションを持った。これまで日本時間の早朝、オランダ時間の深夜にご一緒していた方だったが、生活のリズムをととのえるために、セッションの時間帯を変更したのだが、これまでのセッションと大きな違いはないように感じたというフィードバックをもらいホッとした。

クライアントにとってより良い時間帯でご一緒したいという想いは強くある一方で、心身意識が澄んだ状態でいるためには睡眠を含め、必要な取り組みやリズムがある。生活のリズムや、日々目に入るもの、感じるものに気を配るというのは、プロとして欠かせないことが。

今日はこの日記を書き始める際に「本当に伝えたいことは、言葉になっていないことが多い」ということが浮かんできた。

誰かに何かを伝えるというのは勇気が要る行為だ。そんな自覚が起きるシーンは多くはないかもしれないけれど、人が人に何かを伝えようとするとき、思っていることがそのまま表現されるということの方が少ない。何を伝えたいのか、本人でさえ気づいていないということもある。気づいていなくても、伝えたいことをそのまま表現することとに無意識で躊躇する気持ちが働いている。

間違っていたらどうしよう。
自分が大したことがないと思われたらどうしよう。
相手に受け止めてもらえなかったらどうしよう。

人は誰しも、ちっぽけで、世界のことが何も分からなくて、心細い時間を生きてきた。
競争の中を生きてきた。
ときに居場所を見つけられずに寂しい思いをしてきた。

だから、そんな自分を必死で守るために、強い自分でいようとする。

そうして本当に大切なものを心の奥にしまっていく。

コーチングとは何かをという説明の中に「パートナーシップを築く」という言葉が使われることがあるけれど、私は対話の相手とともに「環境」をつくっているのだと思っている。心の中にあるいろんなもの、曖昧なものも、小さなものも、弱いものも、そっと顔を出すことができるような環境。

それはたとえば、低い位置から差し込む太陽の光でできるひだまりのような場所であり、あたたかい空気を含んだふかふかの干し草のような場所。

いつも感じている、ときに固くて冷たい世界とは違った質感の場所。

私は根本的に世界のあたたかさと光を信じているけれど、同じ景色を見てもそうは感じられない人がいることも知っている。

だからきっと、「一歩踏み出す」ということはその人にとって本当に大きなことなのだと思う。「どんなところかな」「大丈夫かな」ってドキドキしながら。最後には、「えいやっ」って、飛び込んでみる。

だからそんな風に勇気を出した人に、心から祝福を送りたい。その人はもう、それだけで、この先の人生「大丈夫」なのだと思う。2020.11.21 Sat 11:20 Den Haag

925. 「共に笑う」ギフトをもらった日


「今日は午前中に日記を書いただろうか?」という問いとともに「そうだそうだ、日記を書くためにパソコンを書斎に持って行ったものだから、その後にいろんなことがあったんだった」ということを思い出した。

三谷幸喜の映画が好きなことはこれまで何度か日記に書いたことがあるような気がするが、かくいう私は大事な場面で「三谷幸喜的なこと」が起こる。いたって真面目なつもりがどうしてもコミカルなことが起こってしまうのだ。それはきっと、神様が起こす愛情たっぷりのいたずらで「共に笑う」というギフトをくれているに違いない。

そういえば6年前にフィリピンのセブ島で入院したときも、「コントだろうか」と思うようなことが多々あった。高熱でうなされ、点滴の針が入らなくて泣きべそをかいていたのだが、ベッドから起き上がることのできない私の周りでは日々おかしなことばかりが起きていた。

入院をしている間、同じ英語学校に通う人たちが代わる代わるお見舞いにきてくれた。彼らは枕元に座っていろんな話をして帰っていくのだが、ベッドに寝ている私は、あるとき、面白いことに気づいた。くる人は必ず、頭の横にある机の上に置かれたものを並べ直して行くのだ。きっと、話はするものの、どこか手持ち無沙汰だったりもするのだろう。そしてどうやら物の並べ方にはそれぞれの人に独自のルールがあるようで、前の人がやったのとは違う並べ方をして病室を出ていく。何度も並べ替えられたものたちが、一日の終わりに、看護師さんによってまたもとの状態に戻される。

手持ち無沙汰ながらも、何かできることをしようとそこにあるものをととのえてくれる。それも一つの愛の形なのだとそのとき思った。それはとても真面目なのだけど、やっぱり全部を見ているととってもコミカルなのだ。そして全部を見て知っているのが私だけというのも劇場的だなあなんてことを考えていた。

毎日、ドクターたちが問診(と言っていいのだろうか)に来てくれたが、やってくるのは必ず5人組で、5人はそれぞれ、一つずつやることが決まっていた。一人は私の袖をまくり、一人は点滴の様子を確認しという感じだ。正直、それは一人で全部できるんじゃないかと思った。それでも毎日5人でやってきてそれぞれの仕事をいたく真面目にする5人組のことを私は密かに「ゴレンジャー」と呼んでいた。

採血苦手で、採血をしようとすると血の気が引いて血管が見えなくなる私の腕を看護師さんはペチペチと叩き、それでも採血の針が上手く入らないものだから、ドクターが呼ばれたものの、やってきたドクターも同じようにペチペチと腕を叩いたときには「オイオイ」と心の中で突っ込んでいた。

入院をしたのは広い個室で、全て保険で精算されたから良かったものの、二週間分の入院費を請求されていたらきっと、「ヒー!」っとまた血の気が引いてフラッと倒れかけたに違いない。

ようやく退院できたのはビザが切れる前日だったが、その日の夜にはプライベートビーチのある比較的高級なホテルに泊まった。今となってはなぜ一人なのにそんな場所を選んだのだろうと思うけれど、きっと最後に何か満喫したかったものがあったのだろう。

新型コロナウイルスの影響で、セブの英語学校も留学生が来られなくなって大打撃を受けているはずだ。普段は何時間もかけて通勤して英語学校で働いていた先生たちは給料日にクラブで踊ることをとても楽しみにしていたが、彼らは今どうしているのだろうか。

セブ、バンコク、ホーチミン、上海、香港、釜山、台北。これまで訪れたアジアの熱気ある場所を思い出す。東京で暮らした4年間も、今思えば熱気に包まれた夢のような時間だった。4年間で、得たものも失ったものもたくさんあった。残ったものは経験だけ。そんな時間だった。

それに比べると欧州に来てから、特にオランダに来てからの2年間というので得たものはたくさんあっても失ったものはあまりないという感覚だ。もともとオランダにほぼ身一つ、失うものがない状態でやってきたのだからそう思うのかもしれない。安心して暮らせる家というのはオランダで手にしているものの中で一番大きいものだけれど、何よりもこの「静けさ」に出会ったことは大きい。しかしこの静けさは、もう自分自身の中にあるものだから、どこに行っても失うことはないだろうという気がしている。それでも環境として静かなところには身を置き続けたい。

私のやり方は正直なところ特に企業社会で生きる人の参考にはならないだろうけれど、大切なのは他者と関わる私が、静かな心を持てているということで、そんな状態で他者と関わるということそのものなのだと思う。

生活の時間帯を少し朝方にずらずためにできれば今日は20時には寝たいところだがどうやらまだ眠りの気配はやって来そうにない。という側からあくびが出る。もう23時すぎだと言われたら納得するような暗闇と静けさの中、ゆらゆらと今日と明日のあわいを漂うことにする。2020.11.21 Sat 19:16 Den Haag