912. 私が「生まれた」ということを知る唯一の人と動的平衡の世界

 

南東の空に一筋の飛行機雲がオレンジ色に輝いている。細かく羽を動かしながら右へ左へと動く三羽の鳥のシルエットが見える。

今朝は浅い意識の中で長いこと夢を見ていた。舞台はオランダかフィンランドの小学校だった。私は、意識も身体も大人になっていたが「小学生」としてそこにいた。そこでは5限までの時間割のうち、2限と4限が読書の時間になっているという。読書にしっかりと時間が充てられることに驚き「こちらの学校はさすがだなあ」などということを思うと同時に、「夢の設定は面白いなあ」とも思っていた。

2限目の読書の時間、本を読むことに没頭していたが、ハッと気づくと外が暗くなっていて自分がうたた寝をしていたのだということが分かる。夢の中でまでうたた寝をする自分の睡眠体質におかしさを感じながら、周りを見回し、周りの人たちも寝ていたことが分かりホッとした。

その後、教室を移動して、机に向かった。先ほどは一人ずつの机が同じ方向に向いて配置されていたが、今度は二人ずつの机がくっつき、さらに向かいの二人の机がこちらを向いて、四人が顔を見合わせられる形に配置されている。

何かしらの作業をしていると、向かいに座っている人が隣の島の人から紙を受け取り、チェックを入れて隣の人に渡したことに気づく。渡された人はまた紙にチェックを入れ、さらに隣の島の人に渡していく。こちらの列も同じような紙が回ってくるだろうかと見回してみるも、その気配がなく、先ほどの紙の行方を見ていると、各島で全員がチェックを入れているということが分かり、自分がチェックをし損ねてしまったのだということに気づく。

紙を追いかけようと席を立つと、教室の端の棚の前に立っている大学生くらいの男性が声をかけてくれて、回している紙は靴の購入について確認するものだということを教えてくれ、「外国から来たのか」ということを聞いてくる。日本からやってきたのだということを話すと、その人は学生が働いていい月あたりの労働時間を教えてくれた。

男性にお礼を述べて部屋を出て、前の休み時間に訪れていたトイレに向かおうとしたら道が分からなくったところで目が覚めた。

その後、数十分間をうつらうつらとベッドで過ごす間に何か考え事をしていたように思うがそれはすっかり忘れてしまった。

いよいよ起きようというときに、母からLINEが来た。今年の春に亡くなった祖母の納骨があったこと、状況が落ち着いたら家族揃ってお墓まいりに行ければということが書かれていた。

加えて、昨日質問を送った私の生まれた時刻と場所についての返事が書かれていた。

7時11分と書かれた時刻を見て、「この人は私が生まれた瞬間のことを知っているのだ」と不思議な気持ちになった。お腹の外に出てきた瞬間のことだけではない、お腹の中で生きていたことも知っている。私が「生まれた」ということを物理的に知っているのは母だけなのだと思うと、もし母がいなくなったら私が生まれたということを知る人はこの世に誰もいなくなるのだろうかいう考えも湧いてきた。

そう思うと、男性と女性、もしくは子どもを産んでいる人とそうでない人は本質的に死生観のようなものが違っているのではないかという気がしてくる。命から命が生まれるという実感があると、自分は大いなる流れの一部だという感覚が強くなるのではないだろうか。(男性も、子どもを見て同じような気持ちになるのだろうか)一方で、母親が子どもと一体化し、いつまでも子離れできないということも起こる。また、自分の子どもでなくても、命が引き継がれていっているのだという感覚が生まれることもあるだろう。産む・生まれるという出来事から何を思うかも、意識が世界をどう捉えているかによるのだろう。

そもそも、仮に人や物質を原子の集合体として眺めてみると、私たちの身体はスッカスカで、常に「身体」の外にあると思っているものと何らかのやりとりをしていて、世界全体も小さな原子の集合体ということになるだろう。そこにはもはや物と物との境目はなく、数限りない動的平衡を内包した大きな流れがあるだけなのだ。

目の前に現れている世界を何を以って「現実」だと捉えているのかはまだ分からない。その謎はいずれ解けるかもしれないけれど、今は空の中に浮かぶ現実をしっかりと味わうことを続けたい。2020.11.9 Mon 8:27 Den Haag