911. リズムのずれた週末、オンラインヨガからの学び

 

1日という単位が身体感覚から遠のいていく。金曜の夜からそんな時間を過ごしている。

はじまりは金曜の26時。つまりは夜中の2時。

日本時間の10時から開始されるトレーニングに参加するのは今回が2度目だが、やはり夜中のトレーニングはつらい。終了するのは5時。夏場だったらすっかり外が明るくなっているだろう。

しかも、トレーニング中に二人組もしくは三人組で対話をする機会がかなりあるため、意識はどんどんと活性化される。それでもまだコーチングセッションを夜中に行なったときよりは覚醒具合が穏やかだったのか、終了後、1時間も経たずに眠りにつくことができた。5時間ほどの睡眠は普段の睡眠時間に比べると随分と短いが、前日の夕方に長めの仮眠時間を取ったのでどうしても足りないというほどではない。

しかし、夕方18時を過ぎた頃に強い眠気が襲ってきて、ソファーに横になると、気づけば21時を過ぎていた。頭はすっかり睡眠モードだしこのまま休もうと着替えをしてベッドに入ると今度は目が冴えてくる。スマートフォンで本を読み始め、結局のところ眠りについたのは3時を過ぎてからだった。

夜中の2時から朝5時までのトレーニングというのは極端だが、夜中にセッションを行うというのはそのときよりもその後の生活リズムへの影響がとても大きい。とは言え、これまで何年もご一緒してきたクライアントとのセッションとなると時間帯の変更をお願いすることが憚られてきたのだが、いよいよ調整をすることにした。そんな決断をできるようになったというのは私の中でまた一つ大きな節目が訪れているという証なのだと思う。

自分が最も力を発揮でき貢献できる領域以外の仕事の相談を断る。クライアントを断る。時間帯を限定する。

専門家として成長していくということは、自分が関わる対象を狭めていくことなのだと今は感じている。(狭める分、深まるというイメージだ)

学び、実践してきたことを社会に還元していきたいという気持ちはあるが、そのためにも関わる人を限定し、濃いものが誰かに届けることができれば、自ずと広がっていくだろう。広いつながりを持っているのは自分でなくていいのだという実感がある。

提供するものや関わる相手は狭め、深め、自分自身の探究はゆらゆらと揺らし、ときに全く違う領域に触れるということを繰り返していく。そんな風に積み重ね、壊した先にどんな景色が見えてくるのかが楽しみだ。

そう言えば昨日参加をしたオンラインヨガの仕組みが面白かったので書き留めておきたい。参加をしたのは様々な講師のレッスンを提供しているプラットフォームのサービスだが、特徴的だったのはやりとりする情報の非対称性のようなものだ。各レッスンは自分の画像を先生に送るポジションチェック枠と画像を送らないオブザーブ枠がある。ポジションチェック枠は人数に上限(おそらく10人程度)があり、ポジションチェック枠の参加者全員分の画像を先生は見ることができるが。参加者には先生の画像だけが表示される。つまり、参加者からは先生は見えるが、他の参加者は見えないのだ。

特に私の参加したクラスは「顔ヨガ」とタイトルがつけられた、顔の体操のようなクラスだったのでこれはとてもありがたかった。普段使わない顔の筋肉を動かす運動は必然的に「変な顔」になる。参加者がお互いに変な顔を見せ合う必要性は全くないし、むしろ自分の変な顔をわざわざ知らない人に見せたくないし見たくもない。

通常のヨガでも、できるだけ気楽な格好で家の中から参加をするとなると、参加者同士がお互いの画像を見る必要はほぼないだろう。

コミュニティやつながりのようなものが大事な場もあるが、最近感じるのが「何でもかんでもコミュニティ化されていないか」ということだ。「他者と関わることやつながることを目的とせず、自分自身と向き合う機会は圧倒的に少ないのではないか」ということも感じている。

そんな中、講師のガイダンスに従って自分と向き合う(ひたすら変な顔をする)場はとても新鮮に感じた。ざっくり調べたものの、どのようなシステムを使っているかは分からなかったが、私も今後、オンラインで少人数制の学びと実践の会を開催していくにあたって、目的や適正に合わせて、場のデザインを丁寧に行なっていきたい。2020.11.8 Sun 9:30 Den Haag