903. スピードを緩め、内なる物語とともに生きる


微かな鳥の声とともに、ゆっくりとした呼吸、静かな思考が戻ってきた。

昨晩、寝る前に随分と色々なことを考えていたためか、今朝は身体よりも先に頭が働き出した。

ひとしきり思考が落ち着いた今思うのは、もっとスピードを緩めてもいいだろうかということだ。今は前へ前へと進もうとする気持ちがある。その気持ちに乗って行動をすればきっと誰かの役に立つこともこれまで以上にできるだろうという感覚がある。

しかし一方で、果たしてそれでいいのだろうかという気もしてくるのだ。

意味があること、効果があることばかりを考えてはいないだろうか。
優れた自分になろうとはしていないだろうか。

日常の中にあわいの時間をつくっていくこと。

それが本当にやりたいことであって、そこには意味も価値もない。意味や価値がないことが大切なのだ。

一昨日、お世話になっている会計士がビザ更新に必要な書類をまとめて送ってくれた。2週間ほど前に必要な資料を送ったのだが、そのときは週末まで休暇を取っているとの自動返信メールが来た。休暇が明けて一週間、きっと色々な仕事があっただろうし、私の送った資料から必要な書類をまとめるのは決して楽な仕事ではなかっただろう。そんなことをおくびにも出さず、手続きに必要な書類と、今後の手続きまで丁寧に説明を記して送ってくれたことに対して感謝の気持ちを伝える英語のボキャブラリーがあまりに少ないことに悔しい気持ちになった。

日本語もそうだ。いつも、伝えたいことを表現するのに言葉が足りない。

オンラインでビザ更新の申請の手続きを終え、あとは結果を待つのみになった。すでに更新料も払ったのだし、どうにか無事更新ができてほしいものだ。

今朝、この日記を書き始める前に「どこでも生きていける」という確固たる感覚が現れていることに気づいた。このままオランダもしくは欧州に住み続けることになっても、たとえ日本に戻ることになったとしても、どこでも生きていくことができる。

そんな感覚は「どうにかこうにか生きてきた」という実感の上に生まれてくるのだろう。

ああしなさいこうしなさいと言うことのほとんどなかった父が唯一と言っていいくらい明確に言ったのが「手に職をつけなさい」ということだった。

どこに行っても、どんな世界になっても生きていけるように、手に職をつけなさいと。

そのときは何か職人めいたものか、資格を持っていないとできない仕事か、もしくはいわゆる企業の中での役割のようなものしか想像がつかなくて父が言っていることにあまりピンとこなかったけれど、今ならその意味がよく分かる。

何か名前のある職業に就けと、そういうことではなかったのだ。

昨日久しぶりに日本にいるパートナーと話をしたときに「物語を持っているか」という話題になった。自分の中に物語を持っていれば、目の前のものごとや人とその物語をつなげていくことができる。どんなことも物語の一部であり、同時に自分も大きな物語の一部だと感じることができる。そんなことを考えた。

「手に職をつける」というのは、「外側で為していることと、内側にあるもののつながりを持つ」ということなんじゃないかと今は思う。外側に何かを身につけるだけではダメなのだ。外側にあるもので規定された自分は脆い。

仕事がなくなったら、会社がなくなったら、そんな自分はガタガタと崩れてしまう。

内なる物語から生まれる、誰に頼まれなくてもやってしまうことが、結局はどこかで誰かの役に立ち、大きな流れの中で生かされることにつながっていく。そんな実感がある。

予定のない休日。あれこれとやりたいことは浮かんでいるが、今日は新しい月のはじまりの日。過ぎた月を労い、自分自身と関わる人たち、遠くにいる人たちに感謝と祈りを捧げる一日にしたい。2020.11.1 Sun 10:43 Den Haag