901. 正しさという刃、自然のリズムを取り戻すために

 

今日はこのあとはゆっくり本でも読もうかなあと思った瞬間に、やり残したことがあることに気づいた。先にそちらを終わらせてしまおうかと思うが、そうすると日記を書く元気は残らないかもしれないということが浮かぶ。

今、頭の中には「信頼関係」という言葉が浮かんでいる。

どんなに相手のことを思って言うことであっても、信頼関係がなければなかなか伝わらない。むしろ、「相手のことを思って」という自分自身をまず疑った方がいいかもしれない。

先日読書会の題材にもなっていた『人を助けるとはどういうことか』という書籍の内容が思い出される。

私たちは普段、自分の専門分野のことほど「相手が今必要なことが私には分かっている」と思ってしまう。しかしそういうときほど要注意だ。

注意深く相手の言葉を聞いただろうか。言葉の意味を理解した気になってはいないだろうか。伝えようとしたことが伝わるだけの関係性が築かれているだろうか。

そんなことを考えながら、私自身、何か使命感に燃えているときほど「せっかくなのでしっかり伝えないと」という考えに駆り立てられることを思い出している。

正しさという刃は鋭い。

思いの他スパっと人の心を切る。

その関係性に多少なりとも上下関係のようなものができていると、余計に刃の力は強い。

正しければ正しいほど、その正しさは鞘に納めておくのがいいのかもしれない。

これはおそらく当面、私にとっての「忘れるべからず」になるだろう。

今日は考え事をする時間がたくさんあったので、来年何をどんな形で世界に届けていくか、還元していくかについて考えていた。

考えるというよりも、呼ばれている声を聴くと言った方がいいかもしれない。木の中から自然と仏像の形が現れてくるように、やるべきことは現前に自ずと立ち現れてくる。

与えられた使命がある。あとはそれをどう自分らしく、自然に全うするかなのだろう。

降りてきたのは「季節の流れに合わせたプログラムをつくる」ということだった。

毎日こうして中庭を眺めながら日記を書いていると、自然や生き物というのは、エネルギーの流れの方向があり、それが季節によって変わっているということを感じる。

春には初々しい新茶を、夏にはキリッとした緑茶を、秋には香ばしい焙じ茶を、そして冬には大地の味のする番茶を飲んで大いなる自然とつながるように、それぞれの季節のエネルギーの流れにふさわしい取り組みがあるのだ。

季節のお茶を淹れるように一人一人と関わることができたらずっと取り組みたいと思ってきたことにまた一歩近づけることになる。これはもう、私が考えていることのようであって、私が考えていることではない。

「自然がそう言っている」

そんな感じなのだ。

ゆっくりと呼吸をするように、一人一人にとって自然な波が起こっていく。

早くも、来年一年はまた大きな喜びと出会うことになるだろうということを感じている。2020.10.28 Wed 17:30 Den Haag