898. 昼下がりの陽だまりの中で

 

眩しい太陽の光を浴びるのは随分と久しぶりな気がする。オランダの秋が、ずっとこんな風に天気の良い秋だったらどんなに良いだろうと思う。

そうもいかないからこそ、短い夏の間、この国の人々はこぞって日光浴をするのだろう。

ここ数日、他の季節には見かけたことのなかった鳥が葡萄の身を啄ばみに やってきている。(濃い茶色の体に白い点々のような模様が入ったその姿を「点々恐怖症」の私はあまり直視することはできないけれど。)

昨晩は書斎で小さなネズミの姿も目にした。

電気をつけると一目散に走っていくその姿を見て「ネズミが我が家に住んでいるというよりも、私がこの家に住まわせてもらっているのだなあ」という考えが湧いてきた。ネズミたちはきっと、世代を超えて、種としてこの築70年を超える家に暮らしてきたのだろう。衛生面には気を配りたいが、そもそもこの家にいる個体を退治したところでまたどこからかやってくるだろうと思うとできれば静かに、お互いの生活領域に立ち入らずに共存したいものだ。

今日は午前中、お世話になっているコーチの一人とのセッションだったが、あれやこれやと対話をした今、昨日までとはまた違った世界が見えてきている。

バラバラに立ち上がってきていたコンテンツの向こうに一つの大きなスクリーンが見えてきた。そんな感じだ。

ざっくり言うと、今の私にはスピリットの領域につながる身体性を伴った取り組みが必要で、でもそれは「何かに取り組もう」として作為的・意図的に作るというよりも、「向こうからやってくる」のだと感じている。

ぽかぽかと差し込む日差しの中で、意識がゆらゆらと揺れる。言葉になるのにもう少し時間が必要なものたちが静かに降り積もって行っているのかもしれない。


そんなときもある。世界の美しさは本当に眩しくて、ピカピカの画面や、意味という文節で世界を区切るよりも大切なものがあるということを教えてくれているように思う。2020.10.26 Mon 13:02 Den Haag