896. 生まれたときに感じていた世界の質感を思い出したなら

中庭を吹き抜ける風の音、電気コンロで沸くお湯の音、表の通りをトラムが通り抜ける音。

聞こえると思ったらそのときにはもう、音は身体の一部になっている。世界が眠りにつくとき、「わたし」と「わたしでないもの」の境界線はますます曖昧になる。

洗い物をしようとしたとき「クオリア」という言葉が降りてきた。「感覚質」とも訳されるその言葉は、世界を感じる質感のようなものを示している。

対話をしていると、相手が原初的に持っている「世界を感じる質感」に出会うことがある。コミュニティの中で居場所を獲得するため、社会の中でしかるべき姿であるためにだんだんと忘れていってしまうが、私たちは生まれたとき、もしくはその前に、あたたかくてやさしい世界に身を置いている。

その世界の質感を思い出したとき、今目の前に見える世界は、これまでとは全く違ったものに見えてくる。

そんなことをこれまで何度も経験してきた。

もはやこれがコーチングと呼べるのかは分からないけれど、仮にこの「本来自分以外の誰にも分からないはずの感覚」を一緒に感じることができるのが私に与えられた力だとすると、これを使わずして何をするだろう。

その人独自の「世界の質感」を感じるプロセスはとても繊細で、ある程度の再現性はあるものの、今のところ、一対一の対話が最も有効な方法だと感じている。一緒に取り組みを行うことができる人数は本当に限られていて、さてどうしたものかと考えあぐねている。

量やスピード、効率を追求するのとは全く逆の世界。しかし確信しているのは、質を高めることが結果として、量やスピードを凌駕する力を持つことになるということ。

それぞれの人が生きる現実はとても速くてときに硬くて冷たくて。だからこそ、たとえ一時の仮想の世界であっても自分の中に全く違った質感が息づいていることを知ることで、荒波の中でも揺らがない自分でいることができる。

ゆらゆらと、あわいの世界を旅するように言葉を綴ってきたけれど、ここには今日体験したこと、これまで体験したことがつながっている。2020.10.24 Sat 21:52 Den Haag