894. 意識と身体、時間の投資

 

ゴオーっという風の音がして、キャアーという子どもたちの声が舞い上がる。隣の保育所の庭で遊んでいた子どもたちは急いで屋内に入っていっただろう。

「秋の嵐」と呼んでいいのではないかと思うくらい強い風が吹き荒れている。

「今の家はとても気に入っているけれど、やっぱりバスタブがある家に住みたいなあ。でもこの街で、単身向けでバスタブがある家を見つけるのは難しいだろうなあ」なんてことが浮かんできている。

幸いなことにこの家は冬の間もあたたかく、二回の冬を快適に越すことができている。しかし今年はおそらく冬の間にサウナにいくこともできないだろう。そう思うと無性にバスタブが恋しくなってくる。これは日本を訪れている友人の日記でバスタブの話が出てきたことにも関係しているだろう。身体感覚に紐づく言葉というのは(それが「バスタブ」という一言であっても)、見るだけで自分の感覚が浮かび上がってるものだ。

いつにも増して、今日は午前中から先ほどまでの記憶がない。真っ暗な中目覚め、どうにかこうにかあたたかい布団から抜け出し、シャワーを浴び、身支度をし、仲間との対話をすることからスタートした一日。その場、その時にしっかりといたのだという感覚はあるが、そういうときほど記憶はない。

今日はマイコーチの一人とのセッションだったが、そのときのことさえ記憶がないのだ。しかし大事なこととしっかりとつながっていれば、特に身体感覚とつながった感覚がなければ話した内容そのものは覚えていなくても問題はないという確信がある。

潜在意識の影響というのは思った以上に大きくて、そして潜在意識は身体と深くつながっている。

例えば不安を感じる物事に対する身体感覚が変わったのなら、それは潜在的な認知が書き換わったというサインでもある。逆に言えば身体感覚が変わっていないのなら表面的な意識しか変わっていないということだ。

表面的な意識しか変わっていなければ不安が一時的に解消されたとしてもまた別の場面で登場をしてくることになる。

私自身はコーチとして言語的なアプローチを主としているが、言語を通じてでも身体感覚にはかなりアプローチができるし、別のアプローチを用いれば身体感覚に深くアプローチをすることができるだろう。そちらの方向に大きく舵を切ることもできるが、できれば言語の限界までたどり着きたい。

それにしても一日というのは何て短いのだろう。予定が入っていたらあっという間に一日が過ぎてしまう。

時間を共にする人たちとじっくり対話をすることを大事にし続けたいと思うと、時間投資のポートフォリオについてはよくよく考えなければならないとつくづく思う。もっと深いものを届けるためには研究・探究に充てる時間が圧倒的に足りていないように思えるが、それは私の身体の質を変えることによって変化させることができるだろうか。脳の働きを高めることによって変化させることができるだろうか。

仮に、バイリンガル、トライリンガルの脳になることによって思考のキャパシティが増えるのであれば母国語以外の習得に時間を費やすことも長期的に見ると有効な投資に思えてくる。

これまで学び実践し深めてきたことを他の人に活用してもらうための方法が色々と浮かんではいるが、書籍を書き上げる方が先決だろう。テキストを通して伝えられることはできるだけそうして、その上で関わりを通してだからこそ生み出されるものを共に創ることに力を入れていきたい。

探究と実践と、それを元に書籍を執筆することを繰り返したら、より大きな力で与えられてきたものを社会に還元ができるようになるだろうか。

ここでボタンをかけ違うと、1年後も2年後も同じことをやり続けていることになってしまうだろう。

進むべき道は分かっていて、その道に進むためには少しの勇気と根気が必要だ。心がしなやかに強くあれるように、身体をととのえることも必要だ。

昨日は「ハロウィンっぽい」と購入したオレンジパンプキンを使ってカボチャのスープを思いの外美味しくつくることができた。

この後は静かに食事をし、読書の時間に充てたい。2020.10.21 Wed 17:32 Den Haag