893. 関係性のコンテクストを広げる

 

16時半。いつも何をして過ごそうかと迷う時間帯だ。

日中はフルーツやナッツ類、飲み物を中心とした軽い食事しか摂らない私にとって、そろそろしっかりと食事を摂りたくなってくるし、それに伴って思考力や集中力も低下している。

しかし、食事を摂るとすぐには余計に思考力が働かなくなるため、やっておきたいことをあと少しだけ進めておきたいタイミングでもある。

こうして書いている側から、今日やろうと思ってまだやっていないことが2つほどあることが浮かんできている。

今日は「言葉と関係性」というテーマが降りてきた。

きっかけは元同僚と話をしたときにいわゆるタメ口がポロリと出たことだった。

私は今、タメ口で話しをする相手というのがほとんどいない。クライアントや協働者、自分のコーチとも丁寧語で話すし、それは私にとって心地いい距離感を生み出している。

特に女性同士ではすぐに打ち解けてフランクな言葉遣いになる人もいるが私はそれがどうも苦手だ。

6年ほど前にコーチング・ファームにいたときは同い年や同年代の同僚も多かったため、タメ口で話す機会も多かったが、組織を離れてからはその機会が極端に少なくなっている。

それでも、相手が自分に対してタメ口で話しているときに自分もポロリとタメ口が出ることがある。それは少しバツが悪くて、一方で少し心地がいい。

その感覚を探るに、自分の中には今あまり発揮されていない関係性のコンテクストがあるのだと思う。

そしてその関係性の中で発される言葉がつながる意識の場所があるのだろう。そこはある意味、とても若くて奔放な自分が生きている場所だ。とても感覚的で自由で、いつも踊りを踊っていたり、寂しがり屋で甘えん坊な自分がいる場所でもある。

最近、年を取り、経験を積むに連れて自分の立ち位置や役割が変わってきていることを感じている。自分ではどんなに対等だと思っていても経験をしている分、それを共有することで誰かの学びや成長を後押しすることもある。経験はあくまで経験として、共に学び共に創るような関係を出会う人と築けていければと思うが、同時にこれまで与えられてきたことを還元するという使命のようなものも感じている。

それを実現するために、自分がこれまで身を置いてきたものとはまた違ったコンテクストや関係性をつくることが必要になってきている。しかしそれはこれまでの私があまり経験をしていないコンテクストなものだから、どう創っていけばいいのかも正直よく分からない。

こうして書いている今も私の中であまりに「対等」という言葉の示す関係性の幅が狭いことに気づき、愕然としている。

教える・教えられるという関係性が対等でないわけではないし、支援する・支援されるという関係性が対等ではないわけではない。お互いに立場や役割が違いながらも人としては対等であるということは実現できるのだろうけれど、今のところ私の中ではそれはコーチという役割においての実現しかイメージが湧かないのだ。

今そんな話に意識が向いているということは、関係性のコンテクストを広げるときがきているのだろうか。

自分の見ている世界に狭さにショックを感じながら、まだ見ぬ世界の広さに喜びを感じている。2020.10.20 Tue 16:58 Den Haag