890. あの頃夢見た未来を通りすぎて

 

黄金の秋。3年前に知った言葉を思い出す。ロシアの秋はそんな風に形容されるらしい。ロシアにはまだ足を運んだことはないけれど、そのときに暮らしていたドイツの秋も美しかった。砂時計の砂が落ちるように、落ち葉が落ちる。時間は時計が刻むものではなく、自然が奏でるものなのだということを教えてくれる。

一週間の予定を終え、気持ちがとても穏やかだ。昨日と先週の土曜日に企画していた勉強会が無事終わったということも大きいだろう。6年前、コーチングファームに在籍していたときは週に何回もコーチングスキルのトレーニングのためのクラスのファシリテーションを行っていたけれど、あの頃、クラスのテーマを自分自身がどれだけ深めることができていただろうかと思う。

最初にトレーナーになることを選んだクラスは「信頼関係を築く」というクラスだった。自分が参加者として参加したときに一番好きだったクラスでもあり、コーチングを活用する関係性をつくるための土台でもあるテーマだ。

今になってようやく「コーチングはパートナー関係だ」という意味が実感できるようになってきた。コーチングだけではない。私が仕事においてもプライベートにおいても大切にしたいのは、パートナーという関係なのだと思う。何か決まったゴールに向かってタスクを進めるための機能としての協働ではなく、ゴールさえも一緒に描くような関係。私が関心があるのは圧倒的にゴールよりプロセスで、自分が大切にしたい価値観を体現しながら日々を過ごし人と関わることができたらきっと「いい人生だった」と思えるんじゃないかと思う。ゴールのような、「実現したいこと」を描くこともあるが、描いた上で置いておくと、不思議と気づけば「実現したかったこと」は通り過ぎている。

「海外で暮らしてみたいなあ」「人と静かにじっくり対話をすることを仕事にしたいなあ」と思っていたら、それが今叶っている。でも「この目標に向かってやるぞ!」と意気込んできたわけではない。むしろ何かを意図してやろうとするほど上手くいかなくて、回り道や失敗に思えることもたくさんあった。もちろん「やるぞ」と鼻息荒くしてきた時期もある。コーチングファームへ転職をし、単身で東京に行ったときがそうだろう。

意気込んでやりたい仕事に就いたものの、自分の未熟さや不甲斐なさを感じ、毎晩、夜遅くまで残業しては帰ってきて、アパートの敷地に入るところでポロポロと涙を流していた。静かな住宅街の一角に新しく建てられたアパートは綺麗だったけれど、敷地を舗装する費用がなかったのか、わざとそうしたのか、敷地の部分には砂利が敷いてあった。

眩しく賑やかな神楽坂を登り、坂の上にある大きな神社の横を抜けて住宅街の中の細い道を下る。そうしてしばらく行くと、砂利の敷いてある敷地と、その先に小さなアパートが現れる。その瞬間に緊張の糸が切れていたのだろう。

見渡せばできないことばかりで、どうしたらできるようになるかさえ分からないことばかりで、だからせめて自分が受け持つクラスや11のコーチングの質を上げるために、できる限りの努力をしようと思っていた。

コミュニケーションは、自分が経験したことがあることが初めて実践することができるのだと今になってつくづく感じる。自分自身が機械の一部のようにしか扱われてこなかったのであれば、人に対しても同じことを行う。それはとても自然なことだ。それ以外を知らないのだから。(実際には人生の中で様々な経験をしているけれど、それを思い出せないほどに自分が身を置く環境での「扱われ方」は当たり前のものになる。)

失われた関係性の文脈を取り戻すためには、誰かとの関係性の中で実感することが必要なのだ。

そう思うと、小さなセッションブースの中で日々、顔の見えない人たちと懸命に関係性の糸を紡ごうとしていたことは決して無駄ではなかったのだと思えてくる。私との関係性は一時的なものだったとしても、日々関わる相手との関係性の中に新しい文脈が生まれることにつながっていたはずだと信じたい。

その想いは今でもある。私はいつも、自分と相手との関係性を見つめながら、「相手の先にある関係性」を見ている。その人が今関わっている人たちやこれから関わっっていく人たちとの間で編まれる関係性が、より彩り豊かで生き生きとしたものであってほしい。

世界を変えるのは難しいことのように思えるけれど、でもやっぱり、私という一人の人間が、今日という一日の中で関わる人とどう向き合うのかが、世界を形作る関係性の糸をあたたかいものにしていくことにつながっているのだと思う。2020.10.18 Sun 11:48 Den Haag

891. 久しぶりの「日曜日」


日が昇る時刻は随分と遅くなっているが、日が沈む時刻はさほど早くなっていないように感じるのは救いだ。(と言っても、最も日没が遅かった時期に比べると3時間近く日没時刻が早まっているはずなのだが。)欧州に渡ってきた年の秋、どんどんと日が沈む時刻が早まることに随分とどんよりとした気持ちを感じていたが、あれは精神的な影響が大きかったのだろうか。

今日は久しぶりに1日予定がなかった。手帳をめくってみると、そんな日は約1ヶ月ぶりだ。毎日予定に追われているわけではないがやはりこんな日も必要であるということをきっと1ヶ月前の私も思ったことだろう。

次の予定を気にせず落ち着いて過ごすことができるということでビザ更新のために必要な書類を揃える作業を行おうと思っていたが、昼前から天気が良くて、パソコンとにらめっこしながら時間を過ごすにはあまりにもったいないという気持ちが強くなり、散歩に出ることにした。

リュックに手帳と本を入れ、南の方角に向かう。

我が家はオランダで一番長いと言われている通りに面しているが、通りの向こう側、海に近い側は治安が良く、通りを挟んで家賃も随分と違うと聞く。(家探しをした際に見た物件は、通りのこちら側でもなかなかの値段のところばかりだったが。)

一番近くの商店街を抜け、さらに10分ほど進むと、より「よそ行き」な商店街がある。そのあたりは観光ガイドブックにも載っているようなエリアだと聞いたが、今日は日曜にしては人が少なかった。ハーグが今、ドイツやベルギーからレッドゾーンの指定を受けているということもあるかもしれないが、天気の良い日にはテラスの席が賑わっているであろうカフェがテイクアウトのみの営業となっている。どこか雰囲気の良いカフェを見つけて本を読もうと思っていたが、どこも同じ状況のようだ。これまで公共交通機関の中でしかマスク着用を義務付けられていなかったこともあり、それ以外の場所ではマスクをする人はほとんどなかったが、それが今はスーパーや書店に入る人は皆マスクをつけている。

私も少し前に薬局で購入した布のマスクをつけ書店に入ったが、マスクをするのが久しぶりであっという間に酸素不足のような気分になった。この時期だからまだ良かったものの、真夏もマスクをしなければならなかったなら、本当に大変だっただろう。

入った書店は街の中心部にもある大きな書店だったが文房具の品揃えも豊富で、ずっと探していたドイツ製の万年筆の換えインクを見つけることができた。

さらに、スーパーフードを使った食事のレシピ本とスープのレシピ本を購入した。

今の課題はとにかく食のバリエーションが少ないことだ。食事の支度は楽でいいのだが、何せ変化がないこともあり食の楽しみがない。長い目で見たときの栄養バランスや心身および思考のパフォーマンスを上げることに向けて食を改善したいのはもちろんのことだが、私にとっては退屈な食を変えることが何より重要だ。

科学的な栄養素だけでなく、「それをどんな気持ちで取り込んでいるのか」は、食が身体の中でどんな性質に変化するかに大いに影響を与えているのではないかと思っている。

料理が好きでも得意でもないが幸いにも二年前のクリスマスに我が家にやってきた黒いル・クルーゼのお鍋は、だいたいのものを美味しく仕上げてくれる。英語の料理本を探したが英語では欲しいものがなく、オランダ語の本にしたが、それによって今は全く分からないオランダの野菜のことも少しは分かるようになるだろう。

書店から出ると雨が降り始めていた。オランダの天気は本当に変わりやすいが、特に天気が変わりやすい時期はオランダの人々は大抵フードのついた上着を着ているので雨を気に掛けることもなく歩いていく。私も来年にはフードのついた上着を着るようになっているだろうか。

カフェで読書をできないかったことを残念に思いながら家に帰ってきたが、中庭に面したリビングは明るくてあたたかくて、「やっぱり我が家が一番」と感じた。

豆乳とライスミルクを使ってゴールデンミルクを作り、帰り道に買ったオリボーレンをあたためて食べ、ソファで膝掛けにくるまって本を読む。幸せな日曜の夕下がりだ。これで猫でもいればもう言うことはない。

中庭の葡萄棚に茂っていた葡萄の葉はもう随分落ちているが、葡萄の実はまだふんだんに成っている。静けさが中庭と心の中をつないでいる。2020.10.18 Sun 18:18