889. 未知の野菜で作る「冬の味」のスープ

 

8時前、ようやく外が明るくなってきた。来週末サマータイイムが終わるとこの時間が7時ということになる。7時でこのくらいの明るさであれば納得がいくが、来週末にはさらに日の出の時刻は遅くなっているだろう。

欧州で迎える4度目の秋、そして冬。少しは身体が慣れてきたように思う。昨年までは日照時間がどんどんと短くなるこの時期はなんだか気持ちも鬱々としてきたり体調を崩すことが多かったが今年は今のところそんな気配はない。体調を崩すと言ってもさほど大きく崩すわけではないのだが、私は体調の崩れが喉からやってきて声が出なくなるということが起こるため仕事柄それはなかなか辛かった。

心や身体の状態は直接外的な変化の影響を受けているというよりも、これまでこの時期に経験してきたことの積み重ねの影響を受けていると言ってもいいだろう。それが今年は随分と楽に過ごすことができている。昨年、この時期に体調を崩した後に自分に起こっていたことを振り返ったのが良かったのだろうか。

昨日は朝7時から3つほどミーティングが続いた。気のおけない仲間たちやコーチ仲間とのミーティングだったため軽やかに楽しい時間を過ごし、その後も「今日のうちにやっておきたい」ということに精力的に取り組んでいたら終日日記を書くのをすっかり忘れていた。

昨日のことで書き留めておきたいのは新しく料理に使った野菜にまつわる話だ。

あまりにバリエーションの少ない食生活に変化を加え、食を少しでも楽しい時間にするためにこれまで使ったことがない野菜で料理をしようといつもいくオーガニックスーパーに向かった。

入り口を入ると、何度か話をしたことがあるイタリア系の男性スタッフが野菜の整理をしていたため、「コンニチハ」と声を掛け合った。日本好きで以前は吉本ばななや太宰治を読んでいるということだったが、近況を聞くと今は田口ランディを読んでいるということだった。この人は一体どんな感性を持っているのだろうと思いながら、以前から気になっていた野菜について「これはどんな味でどうやって食べるのか」と聞くと、「それは味はセロリに似ているがもっと苦くて、スープに入れたりする。スープがグレーになって、冬の味という感じがする」という答えが返ってきた。全く味の想像がつかないし、正直美味しそうにも思えない。しかしスープの説明をする彼からは美味しいものだという雰囲気を感じ、何よりも彼にとっての「冬の味」がどんなものか気になってその野菜をカートに入れた。

ちなみにその野菜は苔玉のようにごろんとした形状のハンドボール大の本体?部分から人参の葉っぱとセロリを合わせたような葉っぱがにょきにょきと出ている。オランダのスーパーで見かける野菜の中には見たことがないごつごつとした形状のものがいくつかあり、それらを私はこっそり「怪獣の野菜」と呼んでいるのだが、その代表格である。

家に帰り、土を流し、葉っぱの部分を切り落とすと怪獣の野菜は「大きなカブ」のようになった。さてどうしよう。オランダではどこのレストランやカフェでもオリジナルの野菜スープがメニューに含まれているくらい、野菜スープが身近だ。どこで食べてもそれぞれ味が違って美味しくて、オランダの家庭ではそれぞれに野菜スープの秘伝のレシピがあるんじゃないかと思うくらいだ。

スープはたいていドロドロしていて複数の野菜が入っているようだが、自然でありながら割としっかりと味がする。どうやってあの味を出しているのかいまだに謎である。何度かスープのレシピ本を買おうか迷ったが、残念ながら今のところオランダ語のものしか見つけられず、レシピ本がインテリア化しそうなのでまだ本の購入には至っていない。もし明日、天気が良くて元気もあったら散歩がてら料理道具屋に行ってスープの本を求めてもいいかもしれない。

そんなことを考えながら大きなカブを前にし、しばし考えた末、とりあえず皮の部分を剥くことにした。ぐるぐると皮を向いていくと、カブよりはもう少し繊維が詰まった感じの中身が出てきた。試しに一部を削って、ラップで巻いてレンジで温めてみる。ジャガイモのスープを作るときはいつも一旦レンジで加熱し、柔らかくなったら鍋に入れマッシュして豆乳を入れ煮込んでいるので同じ手順でできるのではないかと思ったのだ。1分ほど加熱したものを口にすると、思ったより甘みがあり少しホッとした。しかし思った以上に水分が多いのかレンジで加熱するとかなりしおれてしまう。というわけで結局手のひらよりも小さいくらいの大きさに切り分け、豆乳とともに煮込むことにした。

途中、電動ミキサーで細かく潰そうとしたところ野菜がまだ固い状態だったため豆乳が飛び散るというハプニングはあったが(そういうハプニングは私の料理にはつきものである)、最終的には穏やかなクリーム色のスープができた。味も、思ったほど苦味がなくほっこりする味わいである。

「冬の味」かは分からなかったが、ひとまずは私の中でそれが「冬の味」となった。

この一連のことからも分かるように私はとにかく「まずやってみる」というのが好きだ。野菜の種類を調べて、レシピや調理方法を調べてとしていたらもっと美味しいスープが作れたかもしれない。

それでもやっぱり、観察して、触れて、対話して、「こんな感じかなあ」と自分なりにやってみるのが好きなのだ。

結果として美味しいものができたらもちろん嬉しいが、私にとっては上手くいくことが目的なのではなく、未知との出会いを楽しむことそのものが大切なのだと思う。

そのプロセスにおいて原初的な身体感覚を感じるというのも重要な要素になっている。小さい頃に通っていたシュタイナーの教室ではにじみ絵を描くときにはまず画用紙を水につけるところから始めていた。私にとって絵を描くことは、何かそこにある感触に触れることなのだ。もしかしたら、視覚的な要素はおまけのようなものなのかもしれない。

そう考えると、今の暮らしでは様々な質感に触れたり、身体的な感覚を感じたりすることはとても少ないのかもしれない。(コーチングセッションでは内臓感覚のようなものを大いに働かせているのだが。)

いっとき書に取り組んでいたのも、墨を磨ることによって立ち上る墨の香りを味わうことに始まるあの一連の身体的な体験が私にとっては心地よかったのだろう。

原稿を書いたり書籍を読んだりと思考活動としてやりたいことは多々あるが、今年の冬は家の中でできる身体的で五感を使った活動にも力を入れてもいいかもしれない。秋冬は感覚は内に向かう時期であり、内なる繊細な感覚とのつながりを深くすることができる季節でもある。そういう意味ではフォーカシングを活用したアートセラピーに本格的に取り組むというのもいいだろうか。

今も家中にほのかなセロリのような香りが漂っている。料理や食事もまさに五感を使う取り組みである。一人ではそれらに対するモチベーションが湧かないということを先日書いたように思うが、感覚とつながる活動の一つとして捉えたらまたそのあたりも変わってくるだろうか。2020.10.17 Sat 8:55 Den Haag