874.  舵を切れ

 

書斎に入ると、ひんやりとした空気を感じた。今日はリビングで何度もくしゃみが出たので、てっきり数日前に入れた暖房が効いていないのかと思っていたが実はすでにある程度部屋があたたまっていたのだろうか。

今日は天からの声が降ってきたような一日だった。

「自分は今こんな状況だろう」と漠然と認識していたことについて「そうだ、そうだ、だから早く舵を切れ」と後押しをする事象が次々の起こっているようだ。

そもそも基本的に人は自分の持っている前提の中でしか物事を認識しないだろうから、そんな感じることは当然のことにも思えてくる。青いレンズのメガネをかければ世界は青く見えるものだ。

仮にそうだとすると、今起こっていることについてもっと他の捉え方をすることができるだろうか。起こることについて今認識しているのと全く逆の意味のサインと捉えることもできるだろうか。

確かにそういう見方もできるだろう。「このまま行け」と、この状況を別の人が見たら言うかもしれない。

それでも、感覚を下に降ろしてくるほどに、心が、身体が、「舵を切れ」と言ってくるのだ。

例えば二十代の頃、いや、三十代の前半頃まではそうだっただろうか。

一つの仕事を一定期間以上続けていると、「この先どうなるか」がすっかり分かるような気がしていた。三十代前半でフリーランスになるまでの間に勤めた三つの会社にはいずれも二年以上席を置くことはなかった。

一年経ったところで、自分はまだまだ仕事ができていなくても周囲の人たちを見て「このままここに勤めていたらどうなるか」が分かった気になり「あと一年でここまでやろう」というようなことを心に決める。そうして二年目の後半には次のステージに進むことを考えている。そんなことの繰り返しだった。

自分は何も体験していなくても、分かった気になっていた。人のことも、世界のことも。

それが今、かつて想像したものと全く違う世界が見えている。

10年前にコーチングを始めたときにも、いや、ほんの数年前にも理解できなかったことが今は理解できるようになったし、随分と誤解していたこともあったのだということが分かった。

「ああ、そういうことだったのか」ということが今はたくさんある。

しかしそれもこれからまた変わっていくのだろう。

今そう思っていたものがいずれは「ほんの一面に過ぎなかった」と感じるのだろう。

かつての自分の姿や考えを振り返って恥ずかしくなることもあるけれど、そのときの精一杯で感じ、表現していたからこそ今があるのだと思う。だから今も、ほんの一部にしか過ぎないと分かっていても言葉にすること、表現することを続けようと思う。2020.10.1 Thu 19:16 Den Haag



875. 英語をもっと勉強するという父とよく喋りよく聞く母のこと

 

昨日は久しぶりに父と母と話をした。現在の状況の中で年内にパートナーがオランダにやってくる可能性はほぼ無くなり、持ってきてもらおうと思っていた来年の手帳と何冊かの本を母に送ってもらおうと思ったのだ。

少し前には荷物を送ってもらう手間を取らせることがなんだか申し訳なく感じて、配送サービスのようなものを利用しようかとも思ったが、手間を取らせるのもさほど悪いことではないのではないかという気がしてきた。

他の家のことをよく知っているわけではないが、父と母は割とドライだ。いつの頃からか、「あなたはあなたのパートナーと生きていくのよ」というようなことを言われ、そういうものだと思ってきた。おそらく、日舞の先生が父親だった母と、英語の先生が父親だった父は、それぞれそれなりに厳しく育てられてきたのだろう。その分、子どもたちには自らの選択で人生を歩んで行ってほしいという想いがあっただろうと想像する。

だから、結婚していたときも離婚した後も、父や母から連絡が来ることはほとんどなかった。それでも、なのか、その分、なのか、私から連絡したときは何だかんだ嬉しそうによくしゃべる。どこの家もそうなのかもしれないが、特に母はよくしゃべる。

そんな父と母にたまには頼みごとをするのも(これまで散々お世話になっているのだが)悪くないだろうと思い、8月に愛犬が亡くなって落ち込んでいた母の様子が気になっていたこともあり、荷物を送ることをお願いするのに電話をすることにした。

父も母も、数ヶ月前にLINEを使い始めたばかりである。

母にLINE電話をかけてみると、案の定出なくて、メッセージを送っても既読にならない。時間をかけて再び電話をかけてみると、私が要件を言い、詳しく説明をする前に母が「LINEのメッセージを送ったけれど届いていなかったか」ということを聞いてきた。

94日が母の誕生日だったが、犬が亡くなったばかりで母にかける言葉が見つからず、96日訪れたレーワルデンの美術館でカードと栞を選び、母に送った。母はそれが届いたということを知らせようとしたようだが、なぜかメッセージは送信されていなかったようだ。

そんなことをひとしきり聞き、手帳や本を送って欲しいこと、注文は私がするので受け取りをしてまとめて梱包し直して欲しいことなどを話し終えたところで、母は「そっちはどうなのか」と聞いてきた。季節のことだというが、実際には新型コロナウイルスのことや仕事のことが気になっていたようだ。

暮らしにも大きな変化はなく、仕事は減るどころかむしろ増えているということを伝えると随分と安心したようだった。

「私たちはいまだに草ちゃんがどんな仕事をしているか分かっていないもんねえ」と言う母だが、そんな言葉を聞きながら母がそう言うことが不思議でならなかった。

よくしゃべる母だが、よく聞くのだ。何だかんだ人の話をよく覚えているし、「今あるのは積み重ねの結果だねえ」「どんなことも無駄じゃなかったんだねえ」などと言う。「それは信頼してくれているということだねえ」なんてことも言う。

小さい頃、父や母にどんな声をかけられていたのか細かな記憶はないが、もし母が今私にかけてくれているような言葉をずっとかけ続けていたのだとしたら、私は自分自身の存在に対する信頼がとても強くなっていただろう。実際のところ、私はそうなのだと思う。

この、自分自身の存在に対する信頼は小学生のときに通っていたシュタイナーの教室や自由な校風でかつ、元男子校だった学校が共学になった年に入学した中高一貫の学校での体験から身についてきているものだと思っていたが、それだけではなかったのかもしれない。

もしかすると母も子どもたちが大きくなってから変わったところがあるのかもしれないが、それにしても母は人の話をよく聞くし、とにかく肯定的に、一方で悲しいことは悲しいままに、悔しいことは悔しいままに受け止めてくれるのだ。

話が終わりに近づいたことに気づいたのか、母が「お父さんが草ちゃんに聞きたいことがあるって言ってるから替わるね」と言い、すぐに「もしもし」と父の声が聞こえてきた。

オランダ語は話せるようになったのかと聞かれるので、オランダの人たちは英語が話せて、英語で事足りてしまうのでオランダ語はいまだに全く話せないと答えると、今度は、じゃあ英語が話せればどこの国に行ってもだいたい大丈夫なのかと聞いてくる。

大丈夫じゃない国も多々あるだろうけれど、父の想像にのぼる国であればきっと英語が通じるだろうと思い、大丈夫なんじゃないかと答えると、ならよかったという言葉が返ってくる。

「これから新しい言葉を勉強するのは難しいし、大学で学んだフランス語ももうすっかり忘れてしまっているけれど、英語なら勉強したので英語をもっと勉強しようかと思っている」と言う。

父と母の歳はいつも計算しないと出てこないのだが、おそらく来年か再来年には70歳になるであろう父が「英語が話せればどうにかなるなら、英語をもっと勉強しようと思う」と言っているのだ。

だったらオランダに遊びに来れるねと言うと、父は「お母さんはオランダに行く気みたいだからお母さんに替わるね」と電話を母に戻した。

父とのやりとりを聞いていたであろう母は「せっかく草ちゃんがいるならお父さんの車椅子を押してでも遊びにいけるかなと思って」と話し始める。父は数年前に腰を痛めて以来、足が悪くなっていって最近はあまり調子も良くないのだろう。

「小さな子どもを連れて遊びに来た知り合いがベビーカーが押しやすかったって言っていたよ」ということを伝えると(北欧の国の方がずっと押しやすかったようだが)「じゃあいけるかしらね」と言うので、「空港には大きなタクシーが来ているから車椅子でもきっと大丈夫だと思うよ」と付け加えてみる。

母方の祖母(母の母親)がこの春に亡くなり、愛犬も8月に亡くなり、母はきっとさびしい思いをしているのだろうと思ったが、今度は父の世話で生き生きしているようだ。

もしかすると子育ての途中では自分を犠牲にしているように感じることもあったかもしれないけれど、六十歳を過ぎて突然「バタフライを泳げるようになりたい」とスポーツクラブに通い始め、昨年はマスターズの大会に出場までした母は、すっかり自分の人生を生きているし、その中でも、誰かの世話をするというのは何だかんだ心が喜ぶことなのだろう。

いつになったら安心して渡航をすることができるようになるかは分からないが、母も私も「オランダに遊びに来るかもしれない」という話を楽しんで電話を終えた。

ヨーロッパを旅していると、旅行や絵を描くことが好きだった父方の祖父が描いた絵に雰囲気が似た場所があって「ここをおじいちゃんは訪れたんじゃないか」と思うことがある。

そんな景色を見たら、父と母はどんなことを感じるのだろうか。

母は60歳近くなった頃だったか「お父さんにバーに連れて行ってもらったの」と喜んでいたことがあった。ほんとかどうか分からないが(忘れているだけかもしれないが)母はバーに行ったのは初めてだったと言う。

そんな母がうちの近くにある、美味しいスーブを出してくれるバーに行ったら何と言うだろうか。

私がオランダに渡った後、父と母が長崎にあるハウステンボスに行くバスツーアに参加したことがあった。博多駅からバスに乗り、ハウステンボスの入り口まで行って、近くのハウステンボスを外から眺め、近くのホテルで食事をして帰ってくるツアーだったと言う。

そんな二人がオランダの街を見たら何と言うだろうか。

いつになるかは分からないがもし父と母がオランダにやってくることができたら、そのときはしっかりと休みを取って一緒に時間を過ごしたい。尽きないであろう母の話を聞き続けたい。2020.10.1 Thu 20:10 Den Haag