871. 鳥の声を含んだ空気、悲しみと愛について

 

見上げた空が明るくて、思わず口角が上がった。昨日は一日この明るさがなかったのだということに、明るさに出会って気づく。これからどんどんとそんな日が増えていくだろうか。

暖かい時期、天気が良いとハーグの人々はこぞってビーチに出かける。残念ながら私はビーチでは時間を持て余してしまうが、天気の良い日はせめて散歩には出かけたい。

今日はもともといつもよりも随分と予定が入っていたが、不思議と無理のない予定に着地した。こういうことはよく起こるから不思議だ。「ああ、スケジュールを詰めすぎてしまったなあ」と思っていると、その波動が届くのか先方からリスケの依頼が来る。意識の世界、無意識の世界、その間の世界、様々なレイヤーで人と人、もしくは人と自然はコミュニケーションを交わしているのだろう。

もちろん、物や環境ともコミュニケーションを交わしている。だからこそ、日々自分が部屋という単位で、家という単位で、街という単位で、都市という単位で、国という単位で、どんな環境に身を置くかというのはとても重要だ。

私は、この中庭という環境に随分と助けられている。車の音ではなく、鳥の声や木々のざわめきを含んだ空気を吸い込むことができることは本当にありがたい。一方で、車をはじめとした人工物も元はと言えば自然から採取した原料から作られていると思うとそう悪いものではないようにも思えてくる。同時に、いや待てよ、と別の思考が浮かぶ。原料が何かは確かに大事だ。しかしそれがどのように使われているか、そのプロセスに関わる人の意識がどのようなものであったかもやはり重要だろう。搾取されたような労働、もしくは働く人が幸せではないような労働環境があった場合、もしくは、自然や地球環境、宇宙の環境にダメージを与えるようなプロセスがあった場合、そうやって作られたものが持つ波動のようなものはどこかで悲しみを含んだものになるだろう。

昨日読んだメールマガジンの中で「Grief is love with no place to go(悲しみとは行き場をなくした愛である)」という言葉に出会った。

優しく、美しい言葉だと感じた。悲しみに限らない。怒りも、憤りも、憎しみも、行き場をなくした愛なのかもしれない。

その感情を持つ自分さえも苦しめるような感情の奥にある愛に気づいたとき、人は自分自身と、深い信頼関係を結び直す。怒りや憤りや憎しみを恐れず、その奥にある途方にくれた愛を見つけることに共に取り組むことは、私に与えられた役割の一つなのだろ。

すっかり日が昇った。今日も世界に祈りを。2020.9.29 Tue 9:09 Den Haag