863. 街について考えを巡らせる朝

空が明るくなるのとともに、庭に咲く白い花の蕾が微かに開いたように思えた。一週間ほど前には二つの花が咲いていたところに、今は六つの蕾が揺れている。一日の中、一年の中でフラクタルになった輪廻が繰り返されている。

昨日は先日カレー屋で知り合ったロッテルダム在住のオランダ人がロッテルダムで日本映画の上映会が開催されているということを教えてくれた。案内のサイトを見てみると『Shall we ダンス?』の周防正行監督をはじめ、日本の様々な監督の比較的新しい作品が上映されるようだ。

今週末はすでに予定が入っていることもあり行くことはできず残念だと思う反面、そもそもロッテルダムまで出かけるのに腰が重いという自分にも気づく。ロッテルダムまでは長距離電車で1時間半ほど。乗ってしまえばさほど遠い距離ではないし、まだロッテルダムの街自体に行ったことがなく街を見てみたいという気もするのだが、オランダの中では比較的近代的な都市と言われる街を訪れることに強い関心が向くかというとそうでもない。

ハーグから電車で15分ほどのところにあるライデンとデルフトはこれまで何度も訪れたことがあり、それに加えてベルギーのアントワープにもバスで3時間ほどかかる中何度か訪れたこともあることを考えると、私にとって「訪れたくなる街」というのは、「こじんまりして街歩きが楽しい街」という要素が大きいのだろう。かつ、古い街並みが残り、迷路のように散策できる街というのは想像するだけで楽しくなる。幼少期から長くを過ごした福岡も大好きなのだが、いかんせん街が新しく平らで、さっぱりとし過ぎているような感覚がある。多少起伏があり(オランダの街は起伏がないが)曲線的な、女性的な街が好きなのだと気付いたのは福岡を離れ、東京で様々な街を訪れてからだっただろうか。

街の雰囲気という意味ではハーグの街はどちらかというと男性的だ。ライデンやデルフトと違って街が運河で囲まれていないことと行政機関の入る大きな建物が多いということにも起因するだろうけれど、街の中心部も直線的な通りが多い。そんな中でも好きなお店があるのはメインの通りではない裏道のような通りで、細いながらも通り沿いのレストランの前に並ぶテーブルで楽しそうに食事をしている人たちを見ると「日本とは随分違う世界に来たのだなあ」ということを今でも感じる。

オランダでもドイツでも大抵古い都市の中心には広場があり、季節の催しが開催されていることもあれば催しがなく人々がのんびりと過ごしていることもある。

街の中心に動的なものを受け入れることのできる余白があることの良さというのも欧州に来て感じるようになったが、気づかなかっただけで日本の街もそんな構造になっているのだろうか。

東京もあれだけの都市の中心に皇居があるというのは改めてなかなか面白い作りだ。京都には結界が張られているなんていう話もあるが、都市構造というのはそこに暮らす人々の意識や生き方に、大きな影響を与えているだろう。

それにしても今日の私はなぜ朝から街や都市のつくりのことに考えを巡らせたのだろうか。昨晩、8月末に復刊した日本語版が出版された『INTEGAL LIFE PRACTICE』を読み始めてその冒頭でボディの実践について触れられたいたことから、「生身の身体を持って感じることのできる『世界』は『街』である」というようなことを寝る前に考えていたからかもしれない。この感覚はこの先また変わっていくのだろうか。もっとたくさんの街を身体で感じたら、それらが集まったものがさらに大きな有機体として感覚の中に立ち現れてくるのだろうか。

中庭に咲く六つの花は随分と開いてきた。私の意識も、今日の世界に向けて開き始めている。2020.9.24 Thu 8:01 Den Haag