855. 土曜の朝の大仕事、新しい暮らし

 

始まりがいつだったのか分からない夢を見ていた。今日一日過ごした時間を思い返しそんな感覚を感じている。それは朝、ゆっくりと起き出し、日記を書かなかったということもあるだろう。シャワーを浴び、ヨガをし、白湯を飲み、バルコニーに出て深呼吸をし、日記を書くという一連の時間が私の「朝」、そして「一日の始まり」を明確にしてくれている。

昨晩、夜遅い時間にセッションがあったわけではないが今日はいつもよりゆっくり起き出した。いつもは日中の仕事に向けてコンディションを整える必要性がありその何時間も前に起き出して活動を始めているが、本来私は長眠であり惰眠好きである。「体質なのだから仕方がない」と今は開き直っている。

そんなわけでベッドを出ようと心に決めたときには外はもうすっかり明るくて、身体もすっかり動くことを求めていた。そんな中、このところ溜まっていた欲求がとうとう沸点に達し、シャワーを浴びて早々に家具の配置換えを始めた。

数ヶ月前に中庭に面した南側の部屋のベッドを部屋の脇に寄せ、空いたスペースに北側の部屋で使っていたオーナーのヤンさんのお手製の大きな机を入れた。南側の部屋は寝室として設えられているもののそのスペースは北側のリビングよりも広く、これまで、日中日が差し込んで明るいので寝室の半分をワーキングスペースとして使ってきたのだが、資料等を広げるスペースがほしくてそれまで使っていた机を大きなものに入れ替えたのだ。作業スペースが3倍ほどになり、とても快適になった。

さらには数週間前に、大きな机を入れるために寝室からリビングに移動したソファも寝室の窓辺に戻した。夕方以降、ソファで寛ぐことも多いが車やトラムが通る北側のリビングに比べて中庭に面した寝室の方が静かで快適なため、より静かに寛げるようにと思ってのことだった。

そうしたところ、仕事も休憩も格段に快適にできるようになったのだが、いかんせん南側の部屋が手狭になってしまった。その部屋だけでも、大学生になって初めて一人暮らしをした部屋の倍くらいの広さはあり、天井も高いので圧迫感があるほどではないのだが、自分にとって快適な余白があるかというとそうではなかった。

かつその分、小さい机と一人用のソファを二つ、さらに小さな椅子を二つ置いたリビングはなんだかがらんどうになっていた。のびのびダンスを踊れるくらいなので良いスペースと言えばそうなのだが、いかんせん、二つの部屋の家具密度のバランスが悪い。

そして何より「できれば仕事スペースと就寝のスペースは明確に分けたい」という考えから、寝室の端に寄せたベッドをリビングに移動させてはどうだろうかということをここのところ漠然と考えていた。そして今朝、いよいよそのときが来た。

我が家のベッドはシングルサイズのマットレスが二つ入れられたフレームなため、キングサイズより大きいということになる。そのままではさすがに寝室とリビングの間の扉を通らないため、マットレスとその下にあるスプリングのようなものを一旦外し、ベッドフレームを立てた状態でリビングに押し込んだ。当初はリビングの端に、寝室側に寄せて置こうかと思ったがそれではどうも導線が良くないため、通り側の壁に頭を向ける形で、壁の中央にベッドを収めた。通り側の窓の上にはステンドグラスが入っており、大きな窓には緞帳のように厚手の深紅のカーテンがかかっているため、さながらヨーロッパのクラシックなホテルのようになった。

そして十分なスペースのできた南側の部屋の中央に大きなテーブルを据えた。広々としてとても快適である。かくして、かつての寝室はリビング・ワーキングスペースとなり、かつてのリビングは寝室となった。

この大掛かりな模様替えを知ったらオーナーのヤンさんはまた「自分で動かしたのか」と目を丸くするだろう。自分でもよくやったと思う。(ベッドのマットレスの下のスプリングのような部分を持ち上げるときに腰に痛みを感じ、「ここでぎっくり腰になり寝込んではたまらない」と思ったりもしたのだが。)

我が家に滞在をしたことがある日本の友人・知人たちもきっと今の様子を見たら驚くだろう。南側の大きな部屋の隣には小さな書斎があり、そこにはやはりヤンさんお手製のベッドが天井部分に据え付けられているのだが、南側の部屋をリビング・ワーキングスペースにすることにより寝室と書斎が離れ、書斎のベッドもより快適に使えるようになったのではないかと思う。

残念ながら日本から友人が来て滞在することは当分ないだろうけれど、10月に来ると言っている(言っているが本当に来るのだろうか)パートナーがやってきたときも、明るくて広い南側の部屋はこれまでよりも一緒に仕事をしやすいだろう。それでも書斎や寝室が別にあるためにプライベートなスペースを持つことができるのはこの家に住んでいて本当に良かったと思う点だ。

一番良い部屋を、一番時間を過ごすための部屋に。一番良い部屋を人が集まれる部屋に。

ドイツに住んでいたときに「広いリビングのスペースに大きな机を置きたいなあ」と思って結局机を買わずじまいになっていたが、そのとき思い描いていた以上に快適なスペースに今身を置けているというのは本当に、色々なことに対して感謝が尽きない。理想のワーキングスペースが出来上がったこともあり、この家にはしばらく住み続けることになるだろう。広々とした部屋でどんな発想が出てくるか、明々後日から仕事モードに戻っていくのが今から楽しみだ。2020.9.19 Sat 19:44 Den Haag

856. 画材屋とヨガ用品店を訪れて 黒と白、影と光

家の模様替えを終え、洗濯機を回した後は散歩がてら買い物に出かけた。今日はビックリするほど天気が良くて、長袖のシャツを羽織って外に出て「もう冬が始まりかけていると思っていたけれど、ようやく秋が(戻って)来たなあ」などと考えながら機嫌よく運河沿いの道を歩いた。

今日立ち寄ると決めていたのはヨガ用品店と画材屋だ。模様替えをして部屋が気持ちよくなると、リビングの脇に敷きっぱなしにして毎朝使っているヨガマットが随分と汚れ、くたびれていることに気づいた。1年半ほど前に手頃な価格でネットで購入したものだったが、手頃な分、痛むのも早かったのだろうか。毎日使うものなので今度はきちんと物を見て購入しようと思い、15分ほど歩いたところにある商店街にヨガ用品屋があることを思い出したのだった。

鼻歌を歌いながら歩き、一旦ヨガ用品店を通り越し、画材屋に入った。オイルパステルを眺め、イーゼルを眺め、そして結局、黒い画用紙を購入した。現在フォーカシングとアートセラピーを組み合わせた取り組みに関する書籍を読み進めていることもあり、先日久しぶりにパステルで絵を描いたところ、「この時間は日々持ちたい」と思ったのだが、今使っている白もしくはベージュやグレーがかった色のついた画用紙に加えて、黒い画用紙を使いたいという感覚が湧いていた。それがなぜなのかは分からなかったが、とにかく感覚がそれを必要としていた。

画材屋を出て元来た道を戻り、今度はヨガ用品店に入った。何度も前を通りかかったことはあったものの中に入るのは初めてだった。ヨガマットは入り口付近から4,5mのほどのスペースに何種類も並べられていたが、一旦はさらりと全体を見回し、さらに店の奥に進んだ。

店の奥にはヨガのときに使うのであろう水筒のようなボトルや瞑想の時に使う鐘が並んでおり(今、その鐘の名前を知らないことに気づく。あのボウルのような鐘は何と呼ぶのだろうか)、お店の人が試して大丈夫だと声をかけてくれたのをいいことに四種類の鐘を順番に軽く叩いて鳴らしていく。スピリチュアルグッズでもよく見かけるものだが、これまで見たことがあるものとは金属の質感が違い、音質も違うように感じた。「そう言えばこの近くのスピリチュアルグッズでクリスタルボウルを入荷するかもしれないと聞いたことがあったなあ」ということを思い出す。

スピリチュアルな取り組みとなると、どうしても言語的・論理的・科学的なものから離れていくが、やはり、突き詰めるほどに非言語の身体的な取り組みもしくはアプローチは欠かせないものだということを感じている。サウンドバスは無意識の領域を治癒するような取り組みの一つと言えるだろう。まずは自分自身の取り組みとして音を活用したいという思いは以前からある。音に関しては「これだ」と思うものとまた出会うときがくるだろう。

そんなことを考え、再びヨガマットのコーナーに戻り、自宅でストレッチをするのに使うためのマットを探していることをお店の人に伝えたところ、店のオリジナルのベーシックなものを勧められた。10年以上前からオランダで作っているということにも好感を感じ、マットを持ち運ぶための紐とともに購入し、早速紐でくくったヨガマットをたすき掛けにして店を出た。

そこから数十メートルのところにクリスタルボウルを入荷するかもしれないと言っていたスピリチュアルグッズの店があったが、そちらは今日はピンと来ず、通り過ぎた。

帰ってきてフォーカシングとアートセラピーについての書籍を読み進めていると案の定、自分でも絵が描きたくなり、購入した黒い画用紙を目の前に起き、深く呼吸をした。自分の中にあるエネルギーの動きを感じてみる。呼吸とともに右手に持ったパステルを通じて線を引き、左手でその線をこする。

白い光が黒い紙に灯り、より一層深い黒が現れる。

青みがかった白で線を引き、伸ばすと、またより一層白が際立ち、黒が深まる。

白や他の色の紙に描くのとは全く違った感覚。黒だからこそ際立つ色。

すでに現れている色の光の動きたがっているエネルギーを感じ、新たな線を引きながら、「今起こっていることはどういうことだろう」と考える意識が立ち現れる。「黒とともにあるからこそ明るさが際立つ白。白とともにあるからこそ深まる黒」「人間の意識も同じようなことが言えるのだろうか」などということが浮かんでは消える。

「光を感じることは影を感じることで、影を感じることは光を感じること」
「影や闇なしに光が輝くことはない」

改めて今、そんなことが浮かんできている。

黒い紙を選ぶ私は今、深い影と出会うこと、ともにあることを望んでいるのだろうか。

南の空の低い位置に輝き出した星を眺めながらそんなことを考えている。2020.9.19 Sat 20:26