854. 魂の表現としてのダンスと肉体と性差に関するオランダの人々の認識 Netherland Dance Theaterの公演をライブストリームで観て

 

書斎の小さな机に向かいぼんやりと空を見上げ、何かがやってくるのを待つ。ほどなくして今日はまだゴミ出しをしていないということが頭をよぎる。金曜のゴミ出しは唯一、「一週間が経った」ということを定期的に知らせてくれるものだ。

「知らせてくれる」という表現は適切だろうか。確かにゴミ収集車が通り過ぎるのを見て「今日は金曜だった!」と気づくことはあるけれども(そのときはゴミ出しを忘れている)、たいていの場合、「ああ、今日は金曜日だ。ゴミを出さないとな」という思考回路が働く。金曜日であることに気づき、ゴミ出しの日であることを認識し、それによって「また一週間が経ったのだなあ」と思う。月曜日だろうが水曜日だろうが、前の週の同じ曜日から数えると、一週間が経っているのに、曜日を認識するだけでは「一週間が経った」という感覚が生まれないのは不思議だ。「ゴミ出し」という単純で明確な行為が伴っているからだろうか。クライアントや自分のコーチとも二週間に一回対話をしているが、そのとき「二週間経ったんだな」という感覚と、ゴミ出しの際に生まれる「一週間が経ったんだな」という感覚は明らかに違う。「金曜日」というもの自体に、何か刷り込まれた感覚があるのだろうか。

昨晩はNetherland Dance Theater の公演をライブストリームで観た。一言で言ってとても素晴らしかった。

ライブストリームでの配信という言葉から私は「公演はあくまで現地で観る人向けであって配信はおまけのようなもの」だと思っていたのだと思う。「舞台全体を見渡せる固定カメラで撮られた映像」のようなものを無意識に想像していたのだろう。

それが実際には時にダンサーの表情や肉体をしっかりと映し、ときに舞台に作られた余白がたっぷり映された映像は一つ一つのシーンが練られた美しい映像作品を観ているかのようだった。秀逸なカメラワークは、一朝一夕に作られたものではないだろう。劇場を多くの人が訪れることはできない中で、舞台という芸術をどう届けるかと考え続けてきた様々なプロフェッショナルたちの気概のようなものを感じた。

そんな風に届けられたダンスは、「ダンス」と言えばいいのか、「踊り」と言えばいいのか、はたまた「身体芸術」と言えば「魂のアート」と言えばいいのか

あえてジャンルをあてはめるとすると古典的なバレエの基礎を叩き込んだモダンバレエという感じだろうか。3つの演目のうち特に最初の演目はクラシックな音楽が使われていたこともありバレエの要素が強かったが、あとの2つの演目も、現代的な踊りやテーマの土台にあるのは徹底的な基礎であり、何より、鍛え抜かれた肉体と魂の結びつきがエネルギーの躍動の連続としての踊りを作り出していた。

最初の演目は男女のダンサーが少しゆったりとした白いズボンのようなもののみを身につけての踊りだった。トップレスで現れた女性に正直最初は驚きを感じたが、あっという間に、「踊りとしての美しさ」「肉体とその動きそのものの美しさ」「作り出す世界観の美しさ」に引き込まれていった。そしてそれを舞台とライブストリームで公開することに対して「これがオランダなのか」ということを改めて感じた。演じる側にとっても観る側にとっても消費ではない、芸術としての身体表現。こんな表現に小さな頃から触れてきたら、自分自身の身体や他者の身体に対する認識も大きく変わるだろう。身体は私たちにとって大切な表現であり尊厳でもあるのだということを認識しているオランダの人々の(そういう芸術に触れる人は全てではないかもしれないが)意識の高さのようなもの(と、表現してしまうと何かそれが陳腐なものにも感じるが)を改めて実感した。

そして私が何よりも好感を持ったのは、踊りの最後にダンサーから観客になされる挨拶の方法だった。

一般的なバレエでは(私が知るものは10年以上前のものだが、おそらく今もそうだろう)最後の挨拶のときには男性が女性に先を譲り、女性は片方の足を斜め後ろに引き、比較的深くお辞儀をする。そして次に男性が中央に出て足を揃えて上半身を折る形でお辞儀をする、さらに最後に男女が並んで、もう一度お辞儀をする。最後も女性は深く腰をかがめ、頭を下げる。

この方式のお辞儀は、エレガントで丁寧なのだが、前提として男女の差のようなものが顕著に現れているように思う。踊りの中でもそうなのだが、男性は常に女性を支え(もちろん男性がスポットライトを浴びて踊ることもあるのだが)女性は常に支えられる側だ。これは一見、女性を優先しているようにも見えるが前提にあるのは「男性の方が強い」という考えなのではないかと思う。

確かにその考えは間違いではない。構造的、機能的、生理的に男女は様々な差があり、それを数値で測ると「低い」とか「弱い」ということになる。しかし、どうもそれに、権力のような力関係としての弱さが付加されているのではないかと思うのだ。

そう思ってきたわけではない。しかし、昨日、NDTのダンサーたちが、男女関わらず真っ直ぐに立って同じ形式でお辞儀をする姿をとても「対等」だと感じた自分から、これまでの(主にクラシックバレエにおける)男女の関係性を対等ではないと感じてきたのだと気づいた。

性差を含め、様々な違いがある。しかし人と人として対等である。そんな人間に対する認識を昨日のダンサーたちの踊りから、そして公演全体から感じた。

3つの演目とも、終わったときは思わず画面の前で拍手をしていた。
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つ目の演目では、ダンサーの踊りや呼吸に自分のエネルギーも呼応していることを感じた。

ダンスは、いつでも自由に踊ることができる。
どんな人でも内なるものを動きにのせることができる。

その素晴らしさを感じるとともに、同時にプロという存在の素晴らしさや必要性も強く感じた。全力で魂を表現する人がいるから、私たちの魂も鼓舞されるのだ。

ダンサーや画家、詩人の生きていけない国に、人々の魂が輝く未来はないだろう。

オランダに生きて学ぶこと、実践することは、この、魂の躍動のようなものだと改めて思った。2020.8.18 Fri 8:37 Den Haag