853. 深い時間とそれぞれの人が見る世界、アリゾナ美術館はどこにあるのか

開いていたウィンドウを閉じていくと、頭の中にあった言葉や意味たちも静かに足元に積もっていった。

今日は久しぶりにセッションや打ち合わせの予定がない。スケジュール帳をめくり振り返ってみると、友人を訪ねてフローニンゲンを訪れた95日と6日を除き、一日まるまる予定がない日は823日以来だということが分かる。

とは言えそもそも一日あたり三つ以上の打ち合わせやセッションを入れることはないし、一つの予定しかない日もあるため「忙しい毎日を過ごしている」という感じでは決してないのだが、24時間以上予定がないというのは脳や心身をいつもと違った状態にしてくれるのだということを感じている。そして同時に、こんな時間が自分にとってはとても大切なのだということを感じる。

私が体感する限り、コーチングセッションでは45分間と60分間では15分間以上の大きな違いがある。45分を過ぎた15分というのは対話や探究が指数関数的に深まるのだ。もちろん最初から一気に深い探究に入っていく場合もあるが、それはクライアントが日々静かな時間を持つことができているという要因が大きく、それ以外の場合は、通常の思考モードから徐々に意識が切り替わっていく。

一人で行う考えごとや読書などについても同様のことが言えるだろう。日々の予定の合間をぬって読書をするのと、読書そのものに深く没頭した時間を長く過ごすのでは、「最後の數十分間」に出てくるものや無意識から汲み上げるものの質が全く違ったものになるだろう。

日々の中で予定を詰めないということには取り組めているという実感があるが、今日のように一日、もしくは数日間、全く予定を入れない日というのも定期的につくっていきたい。理想としては1ヶ月のうち1週間は予定を入れず探究や研究・芸術活動に打ち込む時間を持ちたいものだ。

そんなわけで今日は一日たっぷり、読書や学びの時間にしたいと思っていたがあれこれとやっていたら11時を過ぎていた。

この日記を書く前にフローニンゲンに住む友人の日記を読んでいたところ、コペンハーゲンにある美術館に関する記載があった。2年半ほど前、コペンハーゲン郊外にある、海の見える美しい美術館を訪れたのだが、私はその美術館の名前をずっと「アリゾナ美術館」だと思っていた。しかしその美術館は「ルイジアナ美術館」ではないかと書いてある。調べてみると確かに、「ルイジアナ美術館」が私の訪れた美術館だった。

何ということだろう。その美術館を訪れて以来、私はずっと「アリゾナ美術館がとても良かった」と人に伝えてきた。何ならその度に「コペンハーゲンにあるのに何でアリゾナ美術館と名付けたのだろう」と心の中で思ってきた。(「ルイジアナ美術館」でも不思議なのだが。)

アリゾナもルイジアナも米国にある州の名前だが、調べてみるとアリゾナ州とルイジアナ州は全く違う場所にあり「近くだから何となく思い違いをしていた」という話でもないということは明らかだった。

なぜ私の中で、ルイジアナ美術館はアリゾナ美術館になったのだろう。アリゾナ州がどこにあるかさえ今知ったばかりの私は当然アリゾナに足を運んだことはない。しかし、一つだけ「アリゾナ」に関する記憶がある。それは「アリゾナ大学」に通っていた知人がいるということだ。

その話を聞いた当時の私はまだアジアにしか足を運んだことがなく、そんな私にとって「アリゾナ」は、「アメリカにある、想像もつかない場所」だった。その言葉の響きから「アマゾン 」的なジャングルのような場所さえ思い浮かべたくらいだ。

そんなわけでもしかするとルイジアナ美術館に足を運んだ際も「アメリカにある想像もつかない場所の名前だなあ」というざっくりとした分類から、ルイジアナがアリゾナにすり替わったのかもしれない。

今となっては知人が通っていたのが「アリゾナ大学」だったかさえも怪しいくらいだ。もしかするとそれも「ルイジアナ大学」だったのかもしれない。

ちなみに以前、母から送られてきたメールに「ストックホルムは寒いですか?」と書いてあったことがある。どうやら私は「北の方の寒そうな場所」に住んでいることになっているらしい。ストックホルムはハーグよりはまた随分と寒いだろう。

こうして考えてみると、私たちはひとりひとり全く違う世界を生きているのだということをつくづく感じる。「地図は土地ではない」という言葉もあるが、どう頑張っても結局のところ、それぞれの人が自分にとっての地図(世界)を見ているのだろう。それなりに多くの人の合意がなされているかのように、物事が滞りなく進んでいくのが不思議なくらいだ。

物事は進んでいくが、人の心はときにすれ違っていることもあるだろう。一つの言葉の意味解釈やその言葉の持つ世界観について擦り合わせるだけでもなかなか大変だ。なにせ、その擦り合わせに使う言葉の一つ一つの意味について、それぞれの人が異なる解釈や世界観を持っているのだから。

日々、異星人と意思疎通をし、何かを交わそうとしていると思うと、他者とのコミュニケーションがこの上なく尊いものに思えてくる。2020.9.17 Thu 11:40 Den Haag