846. 踊ること、描くこと 内なるものの目覚めとともに

 

白い花一つ。

その佇まいが、私の中の、生まれ育った国の美しさを目覚めさせる。

それは幻想だったのだろうか。

あの国は今、どこに向かおうとしているのか。

 

すっかり明るくなった空を見上げ、そして、庭に咲く桔梗にも似たフォルムの花を見下ろし、自分の中に目覚めたものを辿った。

数日前に(もう一週間前になろうとしているのか)フローニンゲンで友人と交わした話を思い出す。日本の外にいると、日本にいる人たちが共通して持っている音楽のようなものが聴こえてくる。私の体験していることをそんな言葉で表現したように思う。

様々なメロディー、波の中に小さく流れるその人独自の音楽を捉え、伝えることが私の役割の一つだ。

そんな中で昨日出会った「過剰適応」という言葉が心に残っている。自分の外側にある慣習や期待に従おうをする。特に日本人は(他の国の人たちのことはよく分からないが)「内面化された他者」の期待に沿おうとする意識が著しく強いのではないかと感じる。それは「他者と自分にあまり違いがないという前提のもの、わざわざ表現をすることが少ない」という慣習のようなものとも繋がっているだろう。

過剰適応はさらにうつやパニック障害を引き起こすが、そこまでは至らないまでも「自分の外側にある価値観に沿うことを続けていった結果、自分にとっての幸せが分からなくなっている」という人はとても多いのではないだろうか。むしろ日本社会はそんな状態に向かわせることを意図しているのではないかとさえ思う。

そんな状態から自分を取り戻すことの後押しになるのがアートなのではないかと感じている。

先日日本の友人が送っていくれた『フォーカシング指向アートセラピー 』からだの知恵と創造性が出会うとき』(原題:Focusing-Oriented Art Therapy  Accessing the Body’s Wisdom and Creative Intelligence)をようやく読み進め始めていて、まだ内容の深い部分には至れていないのだが、身体感覚および身体性(からだの動きのようなもの)を伴ったアートというのは内なる自己に気づきそれを表現することの強い後押しになるだろうという確信がある。一方で、身体の動きを伴った表現となると「表現=わたし」という意識が強くなり、それをすることへの抵抗が生まれる可能性が高いことも想像される。ダンスなど、身体を直接使った表現は高い心理的安全性が確保された場や、プライベートな空間、自分自身の取り組みとしてまず行うことが安心だろう。

それに対して、絵を描くことや演奏をすることは多少「わたし」と切り離すことがしやすく(どんな表現も「わたしの一部」であり、それを「わたしの全体」だと規定してしまわないことが重要だと考えられる)、中でも絵を描くことは比較的手軽に取り組めるため(そうでもないだろうか)もっともっと身近にあると良いのではないかと強く思う。

そういえば祖父は絵を描くのが好きだったが、その方法も様々だった。切り絵のようなものもあればステンシルのように切り抜いた型を使って色を塗ることもある。中学生になるまで毎年のように春休みの1ヶ月間、横浜の祖父母の家に遊びに行き毎日のように日々色々な方法で創作を楽しんでいた私にとって、また、小学生の頃に通っていたシュタイナーの教室でもにじみ絵を自由に描いていた私にとって中学校の美術の時間は型にはめられるような窮屈さがあった。

「地球環境を守ることを啓発するための言葉をつくってポスターにする」

一見自由度が高いように見えるこの取り組みも、使う画材や絵の具と決まっていたし、「地球環境を守る」というお題も決まっている。しかし当時の私には地球環境のことは知識として学んでいることに過ぎず、それがどんな風に自分たちの生活とつながっているのか、なぜ守らなければいけないのかについて、知識を超えた実感はなかった。

しかし、そこそこそれらしい言葉を書けてしまう。それを大人に褒められたりする。

そうして内側から溢れ出てくるものを絵を通して表現することから遠ざかっていく。

幸いにも私の場合はダンスというもう一つの表現があったので内なるものとつながり続けることができた。

ダンスについての取り組みを振り返ってみると面白いことに気づく。物心つく前、おそらく3歳くらいから通っていたダンスの教室は「リズムダンス」と呼ばれる、現代的な音楽に現代的な(というのがどういうものなのかはよく分からないが)踊りを組み合わせるものだったが、一般的なジャンルで言うとジャズダンスをベースとしていたのだと思う。小さい頃から習っていたので中学受験のためにダンス教室を辞めた頃(6年生になった頃)にはかなり「上手」になっていた。そして中学生になった後、私が通いたいと思ったのは今度はクラシックバレエの教室だった。その頃の私はクラシックバレエの、秩序立った、一糸乱れぬような踊りが「美しい」と感じられたのだ。中学生向けのクラスは小学校からバレエを習ってきた人たちが通う言わば上級者向けのクラスだったため、私は大人向けの初心者のクラスに通い、一人、大人たちに混じって踊っていた。中学校の三年間で初心者から中級者向けのクラスに上がったが、そうすると今後は「もっと自由に踊りたい」という気持ちが強くなった。

クラシックバレエでは全体の調和が重視されるため(それはほんの一部、初心者向けの考え方だと思うが)、例えば身体が柔らかくてどんなに足を高く上げることができても、高くジャンプをすることができても、周りに合わせなければいけない(ように感じていた)。クラシックバレエを習い、「美しく」「秩序立って」踊れるようになったが、それが私にはやはり窮屈なのだと分かったのだった。

そんなわけで高校生になってからは今度はヒップホップのダンス教室に通った。クラシックバレエを習っていたスタジオよりも随分と小さなスタジオだったが、そこで身体をめいっぱい動かしたり、加減したりすることが楽しかった。

さらに高校生の終わりから大学生にかけてはジャズダンスの教室に通った。その教室はダンスの劇団のようなものも持っていたり、卒業生がミュージカル俳優になるような教室で、当時の私には小さい頃から踊っていた「ジャズダンスのようなダンス」を、もっと美しく、生き生きと、もちろん上手に、踊りたいという欲求がありその教室を選んだのだった。

そこで「型はありながらも、そこにそれぞれの個性がにじみ出るようなダンス」に出会い、自分自身もそんな、表現としてのダンスを生き生きと踊っていたように思う。

今思えば、そうやって自分の中に生まれたさらなる欲求を表現するために、通うダンス教室を変えていくことを許容してくれた両親がとてもありがたい。もちろん、一つの教室に通い続ける中で養われていくこともあるだろうし、その中でも変容をしていっただろう。

しかし、学校もダンスも「おさまりきれない」私をさらに外的に押し込めることなく、新しいステージを選ぶことを見守り後押ししてもらったことは、これまで、そして今、さらには未来の自分に大きな影響を与えていると感じるし、私もできれば他者に対してそんな風に見守ったり後押しをしていけたらと強く思う。

こうして書きながら、「絵を描きたい」という気持ちが強くなってきている。日々、言葉でも言葉でないものでも表現をしていきたい。その起点となるのは「私の中に目覚めているもの」なのだと思う。2020.9.11 Fri 10:11 Den Haag