844. レーワルデンでの時間を思い返して 「敗戦」の感覚、器との関係

向かいの家の食卓に人が集まっている様子を久しぶりに目にした。私がこの時間にここに座るのが久しぶりだっただけで、あの家族はいつも同じ時間に食事を摂っているのだろうか。

今日もたくさんの対話と共にあった。「たくさんの」と表現するのは少し違和感がある。時間の長さや話された言葉、語られたことの量ではない。私にとって対話はいつも色鮮やかで、深く、濃い。だから「この対話は特に○○だった」という形容詞をつけることは無粋にも感じるのだが、それでも今日も、大切なものに深く触れることのできる時間を過ごしたという実感がある。

今日の対話の中で落ちた種、芽生えた感覚がこれからまた育っていくだろう。

そんな中、今は先週末訪れたフローニンゲンとレーワルデンでの時間について書き記しておきたい。と言ってもフローニンゲンでの時間は友人とただひたすらに話し続け、そこに動的に生まれ、変化し、感じるものがあり、その体験を言葉で閉じ込めてしまうのはもったいないという感覚がある。友人との対話の時間の中で生まれたこともこの先何度も新たな感覚として体験したり、言葉として深まっていくことになるだろう。

それに対して、一人で過ごしたレーワルデンでの時間について言葉にすることで、感覚として想起されているものが、対話をするかのようにさらに深まるのではないかと感じている。

レーワルデンで最初に訪れたのは駅から5分も歩かないところにある街の中心部にも近い広場の一角に建つフリース美術館だった。オランダは現在美術館は予約制となっているが、レーワルデンの美術館はどこもそんなに混んではいないらしく、当日でもチケットが販売されていることを事前に確認していた。

美術館がオープンするのが11時。美術館に着いたのが11時すぎ。オンラインで購入できるチケットが11時半からの分だったため、現地でチケットを購入することができるかもしれないという期待のもと美術館を訪れたところ、案の定、入り口にいた人がすぐにチケット購入窓口に案内をしてくれた。

美術館の分類には詳しくはないが、フリース美術館は現代美術の美術館、もしくはレーワルデンが州都となっているフリースラント州の文化に関する美術館というところだろうか。何の前情報もなく訪れたために、展示されていたものというのはとても新鮮に視覚にも身体感覚にも飛び込んできた。いくつかの展示の中で特に印象的だったものの一つは「eye to eye with war」というタイトルの第二次世界大戦に関するものだ。

展示を見ながらまず、終戦から今年が75年目にあたるということに驚いた。つまり、私が物心付き、戦争について学んだのは終戦からまだ50年も経っていない頃だったということだ。確かに「戦後50年」ということが大きく取り上げられたときがあったように思う。終戦時のことは記録や伝聞でしか見知っていないが、50年で驚くほど社会が変わったのだということを今になって改めて感じた。25年をひと世代と数えるとすると、50年は二世代、75年でもまだ三世代しか経っていないということだ。デジタルテクノロジーが一般に広がりだしてから25年も経っていないのに、社会は今こんなにもデジタルテクノロジー中心に回っている。同様のこと50年くらい前にも(置き換わったものは違えど)起こっていたのだろうか。そう考えると自分の親の世代というのはちょうど終戦後の日本の状態がまだ多少残っているところに生まれ、社会や世界が大きく変化するのをずっと見てきたということになる。

日本にとっては、終戦は敗戦。戦争に負けたということが今の日本の土台として大きくある。オランダにとって、フリースラントの人たちにとってはどんな感覚だったのだろうと思いながら展示を見ていくと「liberation」という言葉に出会った。「liberation」とは解放という意味だ。第二次世界大戦においてオランダは米国を中心とする連合国側に分類されているが、実際のところ、オランダは1939年に中立を宣言、しかしその後ドイツ軍に侵攻され占領をされている。

勝利でも敗北でもなく、解放。そこで初めて、私は戦争で「負けた国」「勝った国」ではない感覚があることを知った。

そもそも、人と人とが殺し合う戦いにおいて「勝ち」などというものがあるのだろうか。勝っても負けても、そこには多くの血が流れている。

展示を観進めるうちに、フリースラント州にはユダヤ人のコミュニティがあったということを知った。フリースラントにおける第二次世界大戦の歴史は、ユダヤ人に関する歴史でもあったのだ。

今もこうして日記を書きながら、第二次世界大戦中のオランダの様子やユダヤ人迫害の状況について調べ、文書を読んでいた。

改めて今、思うのは、私は世界の歴史に関して、何も知らなかったということだ。何も、と言ったら大げさかもしれない。しかし知っていたのはあまりにも一部、あまりにも一つの方向から見た景色だったのだ。

そんな展示を観た上で、さらに足を運んだ「frisians」という展示も興味深いものだった。フリースラント州はオランダ語に加えてフリジア語が公用語となっている。そしてフリースラント州の街はそれぞれに強い個性を持つことによって、全体が一つの都市として機能してきたという見方もあるようだ。

こうして考えてみると、もしかするとレーワルデン以外にも足を運ぶことで、レーワルデンの特徴をもっと捉えることができたかもしれない。残念ながらレーワルデンにしか足を運ばなかった私にとって、レーワルデンは、私が暮らすハーグの隣町のライデンと同じく「星型の水路に囲まれた都市であり、他の地域からも観光客が訪れる歴史的な街だ」ということしか感じることができなかったのだ。せめてオランダ語を読むことができたならレーワルデンの街の中にある看板などがオランダ語とは違ったものだということに気づくことができただろうか。そこで話されている言葉が、オランダ語とは違った響きを持つものだということに気づくことができただろうか。今度フリースラント州もしくはその近辺に足を運ぶ機会があるならば、いくつかの街を訪れてみたいという気持ちが湧いてきている。

昼過ぎには雨が降ったり止んだりだったこともあり、フリースラント美術館を訪れた後は近くのカフェで食事を摂り、あまり街の中は散策せず、10分ほど歩いた場所にあるプリンセスホフ陶磁器美術館を訪れた。

陶磁器美術館はさほど大きくはないが、その中に様々な時代にオランダにやってきた陶磁器たちが集められており、中でも、1880年に日本を訪れたイギリス人デザインナーが葛飾北斎の絵に影響を受けて制作したという波を模した陶器が印象的だった。さらに、中国や日本の茶器なども展示されており、静かなお茶の時間を愛する心が疼くことを感じた。

前日にフローニンゲンに住む友人と、「お互いに荷物はさほど多くはなくかさばるものは本くらいだ」(と言っても私は日本からハンドキャリーで運んできた量の本なのでたかが知れているのだが)という話をしていたが、展示を観ながら「そういえばうちには茶器があった」ということを思い出した。

我が家には、それもさほど多くはないのだが、日本から大事に持ってきた茶器や器がある。それらは、特にまだ心細かったドイツでの暮らしの中で心の支えとなってくれたものたちでもある。

フランクフルトには美しい中国茶の店があった。当時一緒に暮らしていたパートナーとは結局一度も一緒に訪れることはなかったけれど、あの場所で一人お茶を淹れて(中国茶の淹れ方をお店の人が教えてくれて、自分でお茶を淹れて飲むことのできる店だった)飲む時間は本当に静かで美しい時間であり、あの場所を美しいと思える人と時間を共にしていけたらさらに幸せだろうと今でも思う。(パートナーとその店を訪れることはなかったが、家で淹れるお茶を美味しいと喜んでくれるから、彼と一緒に居続けることができているのだろう。)

器というのは、私にとって「人と人とのあいだにある時間」を想起させるものだ。器はその形そのものよりも、器が作り出す空間、何もない部分に意味がある。それそのものの存在感が強い西洋の器よりも、空間をそっとつくりだす東洋の器が好きだ。

レーワルデンの陶磁器美術館で様々な国の陶磁器を観ながら、美術品としてつくられるものではなく、人が手にして使うためのものに心惹かれる自分がいたのだということに、今気づいている。美術品もきっと、見る者・見られる物という関係を超えることはできるのだろうけれど、私にとって実際に使う器や道具というのは使う者・使われる物の境目が一瞬にしてなくなり、一体となることができるような存在なのだ。有田焼きなど、薄くて口に触れるとその存在がなくなるような陶器に触れきた人たちと、分厚くて存在感のある磁器に触れてきた人たちでは物に対する感覚が全く違ったものに育っているだろう。

こうして言葉にしてみると、その場で意識に立ち上っていたことよりももっと深いところで、場との対話が起こっていたのだということを実感する。

フローニンゲンでの友人との対話の時間もそうだ。話した内容はもちろんだが、そこで共にした時間の中で起こっていたことがある。今後、身体を動かすことやアートとフォーカシングを組み合わせた取り組みなどを実践し、またぜひそこから浮かび上がってきたことを分かち合いたい。そしてまたフローニンゲンを訪れたときにはぜひまた、ランチをしたカフェで食事をし、焼きブロッコリーの美味しさを噛み締めたい。2020.9.9 Wed21:25 Den Haag