829. 犬の挨拶

 

気づけば、次の予定に向けて自分をととのえることを始める時間が迫っている。今朝は、先週末忘れていたゴミ捨てをするためというのも兼ねて久しぶりに散歩に出た。

運河沿いの道に生い茂っている草花は真夏の時期よりはしんなりとしている印象だ。散歩で感じたことも言葉にしたいが、それはまた後ほど落ち着いてからということにして、今は今朝見た夢のことを言葉にしておきたい。

今朝の夢には先日亡くなった実家の犬が出てきた。まだ子犬が少し大きくなったくらいで顔も幼く、私が知るここ数年の様子よりも目がクリッとしてエネルギーに溢れていた。

そんな犬に触れ、ぬくもりを感じたときに、「これは夢だ」ということが分かった。そして、旅立った犬が挨拶をしにきてくれたのだと思った。

「ぎん」という名前は、母が以前から犬に付けたかった名前だったという話を聞いたことがあるように思う。なぜ「ぎん」なのか、いまだに分からない。子ども三人の名前が漢字一文字で音が二音なのでそれにも合わせているのかもしれない。

5月頃、パスポートの申請のために戸籍謄本を取り寄せ送ってもらったときに入っていた母が書いた一筆箋には「絵本を声に出して読んでいます」というようなことが書いてあったが、そんな母の足元にはぎんちゃんが丸まって寝ていたのではないかと想像する。

ぎんちゃんは私が大学生になってから実家に来たので私が会うのは年に数回あるかないかだったが、実家に帰るといつも盛大に鳴いて玄関まで迎えに来てくれていたので(みんなにそうしていたのかもしれないが)私のことも少しは認識してくれていたのではないかと思うし、そう思いたい。

切り替えの時間を知らせるアラームが鳴った。

ぎんちゃん、会いに来てくれてありがとう。2020.8.31 Mon 8:33 Den Haag

830. 丸二年を過ごした家で、溢れるほどの感謝とともに


パソコンの画面の右上に表示される時刻は17時半に近づこうとしている。中庭には燦々と陽の光が降り注ぎ、隣の保育所の庭では子どもたちが声を上げて遊んでいる。こんな光景を見ることができるのも、限られた季節だということが、この家に暮らしちょうど丸二年経ってようやく分かった。ハーグの街は、日本の東京や福岡と比べて、冬は寒くて長いし、春と秋も案外雨が降る。日中聞こえてくる賑やかな子どもたちの声にすっかり和んでしまい、仕事をする気がなくなることもあるのだが、そんな風に感じられる時間というのは実は本当に限られているのだ。

そして改めて、今日はこの家に来て丸二年立つ日なのだ。


見上げると、勿忘草色の空に、一本、二本、三本と飛行機雲が伸びていく。

この二年間で、この空を何度見上げただろうか。

二年と少し前、家探しをしていた私はハーグのあまりの住宅事情の厳しさに心折れそうになっていた。今思えば8月というのは不動産業者も部屋のオーナーさんもバカンスに行っていて、賃貸物件自体の動きが少ない時期だったかもしれない。それにしても、やっと見つけた部屋を指定された公開日に見学に行くと「10組以上見学に来ている」と言われ、入居審査のためにはオランダの居住許可や欧州での収入証明等を出さなければならず、居住許可を得るために家探しをしている自分にとっては「にわとりたまご」をどこからも始めることができないというもどかしさや焦りが募っていた。さらには、ほとんどの家が1000ユーロ以上出してもSTUDIOと呼ばれる、いわゆるワンルーム、しかもさほど広くない部屋だった。キッチンに併設されたリビング、リビングよりも広い寝室、中庭に面したバルコニー、さらにオーナーさんお手製のベッドが天井部分に据え付けられた小さな書斎のある家を、居住許可も収入証明も保証人も無しで借りることができたのは奇跡と言っても過言ではない。

オーナーのヤンさんが、家をキレイに使ってくれて暮らしも静かな日本人に貸すことを希望していたことから、借りることができたのだが、これまでここで慎ましく暮らしてきた日本人たち、そして「日本人」のイメージを作った先人たちにも感謝の念が尽きない。

そして今のような状況になって改めて、広々としたスペースのある家に住むことができていることをありがたく思う。これがもし、全ての活動を同じ部屋で行わなければいけない部屋だったら、もし、寒い時期に日の差し込まない部屋だったら、もっと鬱々と過ごすことになっていただろう。

三人兄妹の真ん中で、小学校のときに「自分の部屋が欲しい」と主張した結果、三つ並んだ部屋の真ん中という窓のない環境で過ごすことになったせいか、日当たりと気の通りに関してはこだわりが強く、福岡にいるときも東京でも、贅沢ではなくとも「家から出なくても幸せ」と思えるような住環境を選んできたが、そんな自分の嗅覚にもやはり感謝である。

欲を言うなら、この家にバスタブがあれば言うことなしであり、できればこの書斎になっているスペースに大きなバスタブを置いてその中から中庭を眺めたいが、それはもう無い物ねだりでしかない。年に数回、サウナに行けば(できれば自然の中のサウナが良いが)、バスタブにつかりたい欲求も解消されるだろう。幸いにも隣町のライデンの駅前のホテルのスパにはサウナがあるし、少し遠かったが電車を乗り継いで1時間ほど行った街にも、屋外のサウナ含めて、ライデンのホテルのスパの倍くらいの数のサウナがあるスパがある。

考えるほどのこの家での暮らしは十分すぎるほど、満たされているのだ。

そんなことを考えながら、正面にある書棚を眺めていると、『万物の理論』と『無境界』が目に入った。どちらも友人が勧めてくれ、欧州に来るときに未読のものを大事に持ってきたのだが、今、『無境界』については日本におけるトランスパーソナル心理学の大家でもある、吉福伸逸さんが翻訳していたということを知り、驚いている。難解に思えた言葉も、「そうか、これは吉福さんの言葉だったのか」と思いながら読み解いていくと、じわりと身体に染み込んでくる。月日を経て、何度も味わい直したいと思えるような本とともに欧州に渡れたこと、そんな本を勧めてくれる友人がいるということがこれまた有り難く思えてくる。

あれやこれやと考えて、最終的に出てくるのは感謝だ。今日はこの家での二年目を終える節目ということで、私の中で感謝祭が始まっているのだろうか。

そう言えば今日、寝室に置いてあるものやキッチンの棚に並べてある器たちを眺めて「ここにあるのはいただきものばかりだな」と思った。たくさんではなくとも、贈り物に囲まれて日々を過ごすことができるというのも何とありがたいことだろう。

今こんなに感謝が溢れて出てくるというのは、「今ここにある時間、場所がギフトに満ちたものであり、人生そのものがギフトであることを忘れないように」ということなのだろう。

今の自分に、少しでも驕ったところはないだろうかと反省をする。

発するその一言一言が、自分自身の魂と繋がったものであり、向き合う相手の魂に呼びかけるものになっているだろうかと振り返る。

相手に一言しか声をかけることができないとしたら、何を言葉にするだろう。何と声をかけるだろう。

内なる言葉、届ける言葉、自分自身の在り方を、もっと深く育てていきたいという想いが今、湧いてきている。2020.8.31 Mon 18:28 Den Haag