828. 贈り物のめぐる世界

 

静けさの中に、劈くようなサイレンの音が響いた。
静けさが、物々しさを引き立てる。

この街で(この部屋で)サイレンの音を聞くことは珍しい。
空いっぱいに響き渡る音が西の地平に消えていくのを待った。

昨日もたくさんの言葉や想いと出会った。自分自身を含め、人はいつも「今の自分」や「今見える世界」を懸命に生きている。例え見えている世界が違ったとしても、誰を責めることができるだろうか。

後になって「あの人が言っていたのはこういうことだったのか」というとき、「あの人」はもういない。随分前に受け取っていた大切な手紙に気づくも、返事をどこに書いたらいいのか分からない。そんなことを人は繰り返していくのだろう。

give and take という言葉があるが、世界は大きな意味での平衡状態にあるものの、目の前の一つの対象と等価で何か交換していることなどほとんどないのだと思う。「差」からは、「流れ」が生まれる。等価でないことが世界に流れを生み出し、結果として全体の平衡を保っているのだろう。

与えられていた大いなる贈り物に気づき、それをまた誰かに贈ることもあれば、それが贈り物であることに気づかず、与えられたり、贈ったりしていることもある。いずれにせよ、絶対的に生というものを与えられて今ここに存在しているのだから、気づく気づかない、望む、望まないに関係なく私たちは贈られたものとして始まっているのだ。

今なぜそんなことを思うのだろう。

日々接する人の数が限られていると、そこに交わりや循環があることが鮮明に描き出されていくのだろうか。しかしきっと、人と関わらなくても感じるだろう。自然の中に身を置き、吹いてくる風や鳥の声を感じたならば、自分が大いなる循環の中の瞬間なのだということが浮かび上がってくるだろう。

明日で8月が終わる。

8月は「この期間にやること」が多い月だった。それに加えて暑さに参って開店休業状態だった期間もある。大好きな読書もおあずけにしていたので、Amazonの「読みたい本リスト」には本が溜まっている。

目の前の物事に追われているうちに、季節は巡り、寒さがやってきた。ここからはまた、養分を蓄えていく季節だ。

確か日本で買ったごぼう茶があと一袋残っていたはずだ。

それぞれの季節には、それぞれの季節に合ったお茶がある。初夏には初々しい新茶を、夏にはキリッとした緑茶を、秋には香ばしい香りの焙じ茶を、冬には土のエネルギーを蓄えたごぼう茶や黒豆茶を。ひとつきの中でも月のめぐりに合わせたお茶がある。

目の前の人と自分との間に置くお茶を淹れるのが大好きな私にとって、久しく訪問者がいないことは残念だが、こんなときこそ自分のためにお茶を淹れ続けよう。

暗くなった部屋で小さな灯をともし、あたたかいお茶を片手に本を読む。そんな時間を味わう季節がもうすぐやってくる。2020.8.30 Sun 8:26 Den Haag