826. 犬の旅立ち

隣の部屋の、開け放った窓から鳥の声が入ってくる。普段から静かなハーグの街が、週末はますます静かになる。中庭を挟んで見える向かいの家々も、びっくりするくらいひとけがない。まだバカンスに行っている人もいるのかもしれないが、それにしても、である。

オランダでは住宅の価格・価値が基本的には下がらないと聞く。ということは、住宅を購入した人にとって、家賃というのは長期的に見るとかからないということだ。毎月家賃を支払っている私からすると何週間、ときに数ヶ月と家を開けるのは(階下に住むオーナーのヤンさんはそんな感じだ。家にいる期間の方が少ないのではないだろうか)家賃がもったいないなあなどと考えてしまうのだが、オランダで家を持っている人にとってはそうではないのだろうか。

今日も、微かに頭痛がしている。昨日も感じたこの感覚はおそらく天気や気圧によるものだろう。昨日、夕方には雹が混じっているのではないかと思うくらい激しい雨が道路を叩いた。雨が降り出すとともに、室内の気温も下がり、日中にも多少感じていた頭痛がまた姿を表した。頭痛と言っても、水面のゆらぎのようなものだ。自然とのつながりの中で、身体の中の水分にも変化が起こる。内外の環境変化のサインだと思うと、その感覚を評価することよりも、そこにある質感に意識を向け味わい、共にありたいと思う。

昨日の朝、まだ早い時刻だったか、母から家族が入っているグープのLINEにメッセージが送られてきた。前日の夜に実家の犬が旅立ち、昨日火葬を済ませたということだった。

犬が旅立ったこともだが、その文面から母の悲しみや寂しさを想像し、涙が出た。母方の祖母が亡くなったのは今年の5月頃だっただろうか。一人で東京に行き、ひっそりと火葬を済ませてきた母が、今度は可愛がっていた犬とも別れのときを迎えた。もうすぐ16歳を迎えるところであり、すでに高齢だった犬はこの1ヶ月弱っていたということだが、それでも母は心の準備ができていなかったということが送られてきたメッセージの中に記されていた。

別れはいつも突然だ。心の準備ができていることなどあるのだろうか。毎日どんなに共に時間を過ごし、言葉をかけていたとしても、そうしていたからこそ、いなくなった相手に対してもう何をすることもできない寂しさが強く感じられるのだろう。愛は行為なのだ。愛するという体験は今この瞬間に生まれ続ける。保存することも、再現することもできない。たとえどんなにそれを頭の中で行なったとしても、相手の不在を引き立たせることになるだろう。それでもいつか、物理的な存在を超えた愛の行為があるのだと気づくことになるかもしれないが、それにはきっと時間がかかるだろう。少なくとも私自身にはまだそんな実感はない。

動物と暮らすというのは、多くの場合、出会いから別れのときまでをともにするということだ。親子であれば基本的には親が先に旅立っていくことになるが、動物はそうはいかない。出迎えたときから、別れを迎えることが分かっている。そんな悲しいことがあるだろうか。それでも人が動物と暮らすのはなぜだろうか。

最近思うようになったのは、たくさん笑って、たくさん泣いて、いろいろな感情を味わって生きていたいということだ。人と一緒にお腹を抱えて笑い合ったのはいつだろう。どうにもならないもどかしさや悔しさに涙したのはいつだろう。どうしても許せない怒りのようなものを感じたのはいつだろう。

感情や衝動に身を任せてそれを他者にぶつけるということはしたくはないし、現在の心静かにいられる暮らしはとても気に入っている。それでも、なのか、だからこそ、なのか、笑ったり泣いたり、とにかく心が動いたときに、普段とは違う質感で心が喜んでいるように感じるのだ。この感覚は、人間や動物と共に過ごさずとも、例えば大自然の中などでも感じられるようになるのだろうか。静かな1日の中でももっと心の躍動のようなものを味わうことができるのだろうか。今のところ私にとってそれは、他者との関わりの中、偶然の積み重ねのようなものの中で生まれるものだと感じている。ひとりの時間を味わい切ったら、その先にまた見える景色があるのだろうか。気温が下がり、ぬくもりが恋しくなっているのかもしれない。2020.8.29 Sat 8:13 Den Haag

 

827. 一週間後にせまったフローニンゲンへの旅、いつも遅れて到着する自分のこと

すっかり暗くなった部屋の中で、一週間前の日記に目を通しウェブサイトにアップをした。一週間前の私は「二週間後に予定しているフローニンゲン友人を訪ねていくこと」をとても楽しみにしていた。一週間経ち、その気持ちがさらに大きくなっている。この日記をアップするのは一週間後、土曜の朝には出かけるため、金曜のうちにアップしておくことになるだろうか。そのときは楽しみな気持ちがさらに大きくなるだろう。1ヶ月ほど前、ひょんなことから久しぶりに、でもたっぷりと話をすることになったが、その前に彼に会ったのは約1年ほど前だろうか。

同じオランダ内とは言え、ハーグからフローニンゲンまでは長距離電車で2時間半ほどの時間がかかる。2時間半というとちょうど新幹線で福岡から新大阪までくらいの時間だ。と、福岡新大阪間の間の時間を調べようとすると、その区間には「みずほ」といういう新幹線が走っていることが分かる。新卒で入った会社で、福岡の事業所は西日本エリアの管轄であり、西日本エリアの拠点が大阪にあったことから月に1回は新幹線を使って出張をしていたが「みずほ」という新幹線の名前を聞いたことはなかった。はて、そんなことがあるのだろうかと「みずほ」についての説明を読んでみると、2011312日、九州新幹線全線開業とともに鹿児島中央間と新大阪間を結ぶ新幹線として運行を開始したということだった。

どうりで知らないはずだ。

忘れもしない2011311日。その日私は運営をしていた熊本にある商業施設の店長会に出席するため朝から熊本に向かい、夕方の電車で博多に戻っていた。312日に九州新幹線が全線開業するということで、前日はセレモニーが開かれ、ブルーインパルスが上空を飛ぶと聞いていた。飛行機に興味があるわけではないが、私はブルーインパルスを見るのをなぜだかとても楽しみにしていた。

しかし博多駅に着くと、思ったほど賑やかな雰囲気はなく、上空を見上げる人もいなかった。おかしいなと思いながら博多駅から歩いて10分ほどのところにあるオフィスに着いた後に、東北地方で大きな地震が起こったこと、津波が来て沿岸部が大変なことになっていることなどを知った。

そのとき私はすでに勤めて2年になろうとする会社を辞めることを決め、上司にその意向を伝えていたのだったと思う。だから3月に開かれた大阪での会議には出席しておらず、新しい新幹線「みずほ」の存在も知らなかったのだ。

それから退職するまでの約半月のことはあまり覚えていない。退職までの間に数回、取引先への挨拶等のために東京に出張に行ったときに、オフィスビルのエントランスの電気が消え、物悲しい雰囲気だったことをおぼろげに覚えている。

当時福岡に住んでいた私にとって、東日本大震災の影響を直接暮らしの中で感じることは少なかった。しかし、311日に博多駅に降り立ったときのあの異様な空気感、世界が変わってしまったような感覚は今でも鮮明に覚えている。

私はいつもそうなのだ。何かちょっとしたタイミングの違いで、大きな出来事を周りの人よりも少しだけ遅れて知ることになる。すでに変わってしまった世界で一人取り残されてしまったような、出来事の衝撃を直接受けることなく、周囲の人との温度差がある。

その後勤めた会社で、同期入社で私のことを可愛がってくれていた人が海外駐在先で亡くなったときもそうだった。

その日は営業先を訪れ、夕方ごろにオフィスに戻った。そのときは役員のアシスタントを兼任していたため、フリーアドレスの席があるフロアではなく、決まった席に座る人の多いフロアに席を置いていた。もともとあまり人が多くないフロアだったが、その日、もどるとオフィスはがらんとしていた。

「何かあったのだろうか」という疑問は持たなかったように思う。月に一度の決まった会議以外に全社員が集められることはなかったし、そんな必要があることが起こるなんて想像さえしていなかった。

どのくらい時間が経ったか分からないが、全社のミーティングで使っているフロアにみんなが集まっていると教えてくれた人がいたように思う。そしてそのフロアに着くのとちょうど同時くらいにぞろぞろと会議室から人が出てきて、そこで人づてに、その日起こったことを知った。

だから私は、いまだに、その人の死がどんな言葉で、どんな様子で伝えられ、その場にいた人たちがどんな反応をしていたかを知らない。

悲しみに沈む人たちの中、何をどう受け止めたらいいかさえ分からず、ひとり、取り残されたような気分だった。

突然変わる世界。そこに少し遅れて到着する自分。

そんなことが繰り返されてきたように思うけれど、もしかしたらどんな状況であっても私は取り残されてしまったように感じるのだろうか。取り残されるというのは、受け止めきれないということだ。

自分の理解や想像を超えたことが起こり、それを受け止めきれず、取り残された感覚になる。生きていると、そんなことが何度か訪れるのだろう。

新幹線の話から、色々な記憶や感覚が蘇ってくる。

私にとって「約束通り人に会うことができる」というのは、奇跡のようなことに思えるのだ。出かけた先から帰ってきて、元の暮らしがあるというのは、とてもホッとすることなのだ。

「みずほ」という言葉はどんな意味なのだろうと思って調べてみると「みずみずしい稲の穂」のことを表すのだということが分かった。

オランダはすでに秋。日本のように稲穂が輝く景色は見ることができないが、きっとこの季節ならではのオランダの景色があるだろう。2時間半の列車の旅。平ら大地に広がる自然を味わいながら、北の街に向かいたい。2020.8.29 Sat 22:16 Den Haag