821. 日本の文学を「メランコリー」と表現するイタリアの青年の見る世界

目覚めたときからずっと、風が世界を揺らしている。夏は終わり、新しい季節が訪れている。

1日の日照時間はもう、一番長いときに比べて約3時間短くなっている。

数日前、いつも買い物をしているオーガニックスーパーに向かっていると、スーパーの手前の道端で、スーパーのスタッフの一人が花壇の端に腰掛けてスマートフォンを眺めている様子が目に入った。店の中で会うと「コンニチハ」と話しかけてくれる、日本好きな男性だ。

声をかけようかと思ったが、いつも見ていた屈託無く笑う笑顔とは違った、スマートフォンの画面を見ながらもさらにどこか遠くを見るような眼差しがどこか寂しげで、声をかけずに通り過ぎた。

スーパーで買い物をしていると彼もスーパーに入ってきて、同僚でもある他の店員とにこやかに話し始めた。その様子にホッとし買い物を続けているとレジの手前で目が合い、挨拶を交わし、夏をどう過ごしたかという話になった。ビーチには行ったかと聞かれ、今年はまだ行っていない、行っていないうちに夏が終わりそうだ、などと話す。何かの拍子に、彼が大学院に通っているということを口にしたので、何を専攻しているのかと聞くと心理学という答えが返ってきた。

以前彼は、「吉本ばななの『キッチン』を読んでおり、村上春樹や太宰治も好きだ」という話をしていたのだが、心理学を学んでいるという話を聞き、色々なものがつながっているように感じた。

以前、数ヶ月日本に滞在し、鎌倉などを巡ったという話に続けて、彼は「日本は世界の中でもユニークな文化を持っている国だ」と言った。「例えば新宿二丁目」とのことで、確かに新宿二丁目は日本の中でも、東京の中でも特にユニークだろうと思ったが、私にとってはオランダも国全体がとてもユニークに見えるということを伝えた。

日本以外の国に住む人が日本についてどんなことを感じるのかというのは、これまで言葉として聞いたことはあるが、感覚としての実感はまだない。どんな世界に見えて、どんな感覚を感じるのか。それに似たものを、私の場合は他の国に行ったときに感じているのだろうか。例えば台湾やフィリピンは私の中で「アジア!」という感じがしているが、日本に対して感じる感覚はまた違ったものなのだろうか。

そんな彼が日本の文学を表現した言葉で印象的だったのが「メランコリー」という言葉だ。日本語にあてはめると「憂鬱」ということになるようだが、心理学を学んでいるという彼にとって「メランコリー」はもっと違う質感を含んだ言葉なのだろうか。村上春樹については対談やエッセイしか読んだことがないため、小説が憂鬱さを含んだものなのだろうというのは、なんとなく想像上での納得感しかなく、さらにそれを他の国の人にとって日本の文学に現れる特徴だというのも不思議な感じがする。


以前、元同僚のフランス人が日本のことを「エキゾチック」と表現したときも全くピンとこなかったということを思い出す。日本語で言うところの「異国情緒のある」という言葉は、その言葉自体に自国や母国との比較が含まれていることになる。そのため私にとっては日本という国は決して「エキゾチック」にはなり得ないのだ。

彼はイタリア人であり、日本の本はイタリア語にもたくさん翻訳されているがイタリアの本は日本語にはなかなか翻訳されていないとのことだった。おすすめの本を尋ねると、古いものがいいか、新しいものがいいかと聞いてくるので、古いものがいいと答えると、ヘッセやゲーテの名前を挙げた。そして、ふと考え、スマートフォンを取り出し、『Watermark』という本の画像を見せてくれた。その場で調べてみると、著者のJoseph Broodskyはロシア人の詩人だということが分かる。

家に帰りさらに調べてみると、『Watermark』はヴェネツィアを舞台にした小説で、『ヴェネツィア 水の迷宮の夢』という邦題で翻訳されていることが分かり、ちょうど海外発送をしている書店が扱っていたので早速注文をした。それが数日前のことなので、あと数日か、長くても1週間ほどで届くだろう。

今の私には言葉の持つ情緒を味わうには、日本語に翻訳されたものを読む方が適しているのだが、翻訳されている時点で翻訳者の見る、もしくは受け取った世界観が反映されている日本語を読むということになる。もともとの小説や言葉の世界観をよく知った上で表現されているものであることを考えると、自分で拙い訳を当てていくよりはずっといいだろうと思うのだが、果たして本当にもともとの言葉の世界観を受け取ることができるだろうかいう疑問も湧いてくる。

とは言え、慣れ親しんだ母語で書かれたものであっても、最終的にはそれを読む自分自身のフィルターが描き出す世界を決めるだろう。そうして考えると小説や詩に描かれた世界をどう捉えるのかは究極的には個々の心が決めるものであって、他の誰かが感じた感覚を同じように感じることなどできないのだろ。

本が届くこと、そしてそこに描かれた世界を味わうことが今から楽しみだ。2020.8.26 Wed 9:21 Den Haag