813. 企業内のコーチングはどこまで有効かというテーマについて

薄暗い部屋の中で「夏は本当に過ぎ去っていったんだなあ」ということが浮かんだ。今日は気温が27度まで上がる予報が出ているが、今のところ空には雲が広がり、開け放った窓から吹き込んで来る風もひんやりとしている。

名前のない季節がもうやってきている。

今朝も長いこと夢を見ていた。夢の中には知人の男性が出てきたが、自分が持っていたイメージと、実際に(夢の中で)話をしたときのその人があまりに違って驚いたという感覚が今でも残っている。

物腰柔らかだと思っていた人がものすごく高圧的な態度で私のことを「お前」と呼び、女性を見下すような言動をしていたことがよっぽどショックだったのだろう。辟易したという言葉をあてるのが適切かもしれない。

夢の最後ではそんな男性が旅行に行くからと、自分の背丈よりも大きなスーツケースをいくつも転がし駅に現れ、私を含めたその場にいた知り合いたちがスーツケースをホームに降ろすためにエレベーターを探すもなかなか見つからずあたふたしていたところで目が覚めた。

夢の中では、知人の言動にショックを受けながらもどこか心底嫌いになれない自分がいた。人間とはそんなものだ。完璧な人などいない。むしろこの方が人間らしいのではないだろうか。そんな意識もあったように思う。

昨晩寝る前に読んだ記事から、企業内でのコーチングはどこまでのことをすることが適切だろうということがなんとなく頭の中にある。昨晩読んだ記事はカウンセラーの書いた記事であったため、特に密室での一対一の会話においては転移(クライアントが、親など過去に出会った人に向けるのと同じ感情を治療者に向けるようになること)が起こることがあるため、適切な対応ができないと精神衛生上危険であるというようなことが書かれていた。また、話を聞かれる側が依存的になる場合もあるため、10分から15分程度の会話にとどめることが望ましいという見解も表明していた。

これについては確かにそうだろうと共感する部分もある。端的に言えば、コーチもカウンセラーと同じく専門職である。一方で、カウンセラーと違って精神的な落ち込みや疾患を抱えている人を相手にするわけではないため、「じゃあちょっとやってみましょうか」という感じで、それなりのことをすることもできるし、専門的なトレーニングを受けていない人がコーチングをしても、さほど害はないだろう。ただ、効果的かというとそこは正直疑問である。

主体性を上げる・やる気を出すというテーマについては効果的かもしれないが、例えば意識の発達という観点においては、むやみやたらに「上司部下を組み合わせてコーチングをする」というのは、博打のような、運任せの行為なのではないかとさえ思う。実際に、ある特定の意識段階の組み合わせはコーチングをしても意識の発達における効果は薄く、場合によっては悪影響なことさえあるという研究結果があることからも「コーチングスキルを活用する」ということと、「コーチングをする」ということは、もっと注意深く扱っても良いのではないだろうか。

先日、ハーグに住む元教員の知人との間で「日本では教員が専門職だと思われていない」(仕事の時間配分が専門職と呼ぶには程遠い実態になっている)というような話が話題になったが、コーチも同様に「コーチングスキルを使う人」くらいにしか思われていないのではないかと思う

それは実際にコーチ側が表面的なスキルの習得しか行わず、自分自身と深く向き合うことを怠ってきたということともつながっているだろう。

そういう意味では、企業内でのコーチングは、一般にコーチと呼ばれる(名乗る)人と同じレベルで行うことは十分に可能である。ただ一点違うのは、企業内のコーチはあくまで、企業内での関係性がすでにあるということだ。それには、人事の権限や評価の権限が伴っている場合もある。

そんな関係性の中で行われる対話において、実際のところ心理的安全性はどのくらい確保されるだろうか。

同時に企業の中には暗黙のダブルバインドが存在していることが多い。
「主体的に動いてね、でも決められた範囲からは逸脱しないでね」
そんなメッセージを人は敏感に感じ取り、その通りに動く。
人が行なっているコミュニケーションや行動は基本的にはその場で求められるものに対して非常に忠実であり合理的なのだ。

「筋トレ」と一言で言っても様々な種類と効能があるように「コーチング」と一言に言ってもその中身はとても幅が広い。結局のところ「企業内でコーチングを導入するのは適切か・効果的か」というテーマは、組織全体と一人一人の状態を見つめることなしには適切な解が出せないのではないだろうか。コーチングに限らず「○○は役に立つのか」と言った議論は、ある意味、課題の本質から目を背ける格好のテーマになってしまってはいないだろうか。方法論だけを語ることほど不毛なことはない。

今のところ、企業の中ではコーチ・クライアント、問う人・話す人という立場をつくるのではなく、例えば社交ダンスでどちらがリードをするのかというのが一つの曲の中でも入れ替わるように(そんなやり方があるかは知らないが)、ジャズのセッションでそれぞれの楽器の奏者がお互いの音色を感じ、時に強弱をつけながら結果としてエネルギッシュな音楽を奏でるように、生き生きとした対話ができていたらそれでいいのではないかと思っている。

今ここに生まれるものをもっと率直に交わすだけでも、生きているという実感は大きなものとなり、結局のところ人間が手に入れたいのは、そんな感覚なのではないかと思う。2020.8.20 Thu 7:56 Den Haag