810. 季節の変化とカップル専用の歯医者の夢

 

6時すぎ、まだ薄暗い寝室の中で「今日は天気が悪いのか、それとも日の出の時刻がすでに変わってきているのだろうか」ということをぼんやりと考えていた。

確認してみると今日のハーグの日の出は632分。おそらく一番早いときよりも1時間ほど遅くなっているだろう。そして日の入りは2059分。こちらも、最も日が長い時期に比べると1時間半ほど前倒しになっている。

先週は暑さのピークだったが、その裏で新しい季節はこっそりと、でも着実にやってきていたのだ。ここから一気に日照時間は短くなっていくだろう。欧州に来て一年目はこの、年間を通じた日照時間の変化の大きさ、特に秋の時期には気分が憂鬱になっていたが、だんだんとそれにも慣れてきた。オランダに来て2年間、一人暮らしでかつバスタブがないにも関わらず冬の間快適に過ごせていたのは、家の保温機能が高くあたたかさが保たれること、そして薄いピンク色の壁の色が気持ちを明るくさせてくれていたということが大きいだろう。

今朝見た夢の断片を書き留めておく。

夢の舞台は銀座だった。母と妹と連れ立っており、母が新しく暮らす場所を見つけたというのでついていったところ、そこは古くて大きな日本家屋のような場所だった。その中の一部を借り、私と妹にもあてがうということだったが、渡された間取り図を見る限り、プライベートなスペースが他の空間と明確に区切られておらず(壁ではなく、柵のようなもので区切られている感じ)、かつ建物の中には何人もの人が暮らしているということが分かった。さらに、木造である。

仕事のためにプライベートな空間が必要な私としてはその家は住まうのに向いていないということを感じた。そんな私はオフィスが近くにあるようで「基本的にはオフィスに行くけれど、天候が悪い日などに家で仕事をすることになる。その際にこの環境では落ち着いて仕事をすることができない」ということを母に伝えた。そして結局、オランダの家に戻ることにした。

数日後にオランダに戻ることになっている中で数人の友人たちと合流し、何らか話をし、その後歯医者に向かうことになった。しかし、行こうと思っている歯医者がどこにあるかが分からない。そもそもその歯医者は友人の1人が予約をしてくれた場所だったので予約をしてくれた友人に歯医者の名前を聞き直し、歯医者の場所も教えてもらった。

歯医者は歩いて行ける場所にあったが、なぜかそこはカップル専用の歯医者だった。しかも、カップルではない人(男性)は女性の出てくるビデオを見ることができるという謎のシステムである。

歯医者の中で、結局、歯の治療をしてもらえる場所にはたどり着けず、目覚めに至った。


今日からセッション等が通常のリズムに戻っていく。芋虫がさなぎの中で一旦溶けてから蝶になるように、暑さで溶けた私の脳も変態していることに期待したい。2020.8.18 Tue 7:22 Den Haag

811. 言葉を綴ること、自分と向き合うこと

 

中庭に斜めに差し込む日差しが眩しくて目を細めた。正面に生えている大きな木の西側の枝に垂れ下がった洋梨の実の周りを蝶が舞っている。洋梨の実はいくつかの種類の鳥も啄んでいたのを見たことがある。

ひっそりと庭に佇む木の枝に実が成り、生き物たちがその周りにやってくる。静かに巡るその自然の営みが、美しいと感じた。

人間もその一部。自然の恵みをいただいているのだ。

それがひとたびスーパーの棚に並んでいると忘れてしまう。そこにある果物の実が、少し前まで木の枝に成っていたのだということを。その実が育つのに、人間はもちろん他の生き物や自然の力を借り、長い時間がかかったのだということを。

野菜も果物も、動物たちの肉もそして人間も。工業製品のように均質に作ることができるものだと思うようになってはいなかっただろうか。

「一人一人の人間、違う人と向き合っている」と思ってはいるが、それが生身の人間であることを、ダイナミックに躍動する生命エネルギーを内包した存在であることを忘れてはいないだろうかということは何度でも自分自身に言い聞かせたい。

今日から通常のペースに生活が戻ってきているが暑さで一度脳が溶けたためか、雑念がなくすっきりした状態でいられていることを感じている。「ブレインウォッシュ」というと「洗脳」という意味になってしまうようだが、まさに脳が洗われたような、そんな感覚だ。

振り返ってみると年間を通じて夏の時期以外は今の状態に比較的近い状態でいられているように思う。脳の状態を不安定にさせる一番の要因は睡眠不足だ。協働プロジェクト等の関係で以前に比べると多少早く起きることが必要になっているため、寝る時間はなるべく早めに保ち続けたい。

日記を書き始めるときにふわりと思い浮かんだのは、自分自身と向き合う上でやはり書くことは大きな後押しになるということだ。これは自分を振り返っても言えることだが、同時に自分が関わるクライアントを見ていても感じる。

リフレクションジャーナル等を書くことを強制はしてないが、毎日でなくとも、自らに書くことを課している人というのはより深い気づきに出会えているように思う。それはもしかすると書かれたものを読むということを通じて私がその人の気づきに出会いやすいという側面もあるだろうけれど、それを差し引いたとしても長期的に見て書くことを含めて自分自身に向き合うことにコミットしている人というのは世界の見え方が大きく変わっていっているように思う。

しかしそれは、スピードが速まったというわけではないようにも思う。変化の質、もしくは世界の見え方の粒度が変わっていると言ったほうがいいだろうか。

もちろんタイミングもあるだろう。もしかすると、すでにあった内なる変容の欲求が書くことをさせたのかもしれない。

そもそも書くということは時間がかかる。その時間を自分のために取ろうというところから変容の道のりはすでに始まっているのだろう。わかりやすさでも美しさでも賢さでもなく、たどたどしく洗練されておらず不格好に。一見バカバカしく無駄に思うようなこともいかに言葉にできるか。それが今の自分なのだと抱擁することができるか。


その積み重ねが、人生の後半で出会う景色を大きく変えていくことになるだろう。そこにあるのは決して、一般的に言われるような「幸せ」でも「成功」でも「華々しさ」でもないかもしれない。むしろ苦しみや葛藤はより複雑なものとなり、自己もしくは他者という存在そのものが揺らぐかもしれない。

それでも目の前にある扉を一つ、また一つと開けていくことを魂が希求するのであれば言葉を綴ることは大きな後押しになるだろう。

軽やかに、でも真剣に。

そう思うとコーチングセッションもそんな風に取り組むことを前提としたものにするのが良いのではないかという気がしてきている。

それも9月以降に取り組みたいことの一つだ。未来に向けて動き出したいという欲求と、目の前で取り組むべきことが微かに引っ張り合いをしている。大元を辿ればそれらはつながっていることであり、何か相反したことだというわけではない。多少時間軸と性質が違うだけだ。

いくつもの線でつながりあった物事の本質を見極めながら、あと二週間、踏ん張りどころと向き合いたい。2020.8.18 Tue 19:10 Den Haag