804. 眠れない夜とピアノの音色

 

今日から涼しくなるかもしれない。そう思ったのもつかの間だった。小さな書斎の窓際で、バランスボールに腰掛けてパソコンに向かう私の顔にはすでに汗が吹き出している。

汗が出ているというのは良いことではある。むしろどんどん汗が出てほしいとさえ思う。

昨晩は暗くなる頃には雨が振り出し、外の空気は随分と涼しくなっていた。しかし家の中はいっこうに涼しくならない。夜間ずっと窓を開け放しておくのも不安だったため窓を閉めたが、そうすると自分の放っている熱気で部屋があたたまっていっているのではないかと思うくらいだった。

汗は出ず、その代わりに何度もトイレに立った。

意識として起きていた感覚はないが、朝 5時台に目が覚めたときには一向に寝た気がしていなかった。窓を開けると夜明け前の空気はひんやりしていて気持ちよかったので窓を開けてしばらく休み続けることにしたが、カモメが賑やかに鳴いていて、「こんなに賑やかな中では生命としての本能が(危険を感じ)眠りにつかせないのだろうか」などということを思った。

しばらく、カモメの声に揺られ、いよいよ目が覚めてきて、のろのろと起き出した。

幸いなことに今日は夜中のセッションしか予定がない。今週はできるだけ予定を減らしていたが正解だった。12時間、集中の時間はそれが限界だった。

どこからかピアノの演奏が聞こえてきている。ピアノの音が聞こえるようになったのは数日前からだ。中庭に響くピアノの音がどの家から聞こえてきているかは分からないが、その音色から、すでに随分と練習を積んでいる人なのだということが分かる。ゆっくりとしたスピードで、時折、弾き直しながらも進んでいくが、突然練習を始めた人ができることではない。しかしこれまで、2年間この家に住んでいてピアノの音を聞いたことはなかった。不思議だ。ピアノを弾く人が引っ越してきたのか、それとも、いつも別の場所でピアノの練習をしていた人が自宅にピアノを置いたのか。

あれはもう、半年以上前、おそらく10ヶ月ほど前のことになるが、近くの楽器屋で中古のピアノが売られているのを見た。日本では見たことがなかった木の色をそのまま活かした美しい佇まいのピアノだった。その数週間前には、隣町のライデンを散歩していたときに、中庭に面したリビンクにやはり木のピアノが置いてある様子を目にしていた。緑や花の茂った庭に向かってピアノを弾く老人の姿が思い浮かんだ。

私もこのままオランダで歳をとっていくならば、中庭に面したリビングにピアノを置いてきままに演奏をしたいと思った。

実家のピアノを最後の触ったのはいつだろう。兄妹3人とも小学校に上がる前からピアノを習っていたことがあり、実家に帰ってくるとそれぞれがなんとなくピアノを弾くものだから、子どもたちが大きくなった後も母は毎年調律をお願いしていたという。しかし調律師さんと連絡が上手く取れなかったタイミングがあり、それ以来、もう何年も実家のピアノは調律をしないままになっている。

前回母と話をしたときに、子どもが集まる場所などにピアノを寄贈することを提案してみたが、母の中では何かまだ思い入れがあるようだった。母はピアノを弾かないものの、ピアノを弾く子どもの姿をずっと見てきている。既に亡くなっている父の妹は音大を出て音楽の先生をしており、父方の祖父も音楽が好きだったことから、父もピアノに対して少なからず思い出があるかもしれない。

兄は少し前に、何とかというアコーディオンのような楽器を買ったということで、父の弾くウクレレと音を重ねることが、離れた家族をつなぐささやかな楽しみとなっていたようだ。

弾いている曲は知らずとも、その音色から、いろいろな記憶が引き出されていく。どこか物悲しい音色が、時の流れは常に一方通行であるということを教えている。

天気予報によると今日は14時過ぎから雷雨になるという。それまでに買い物に行き、おそらく今日が最後になるであろう夏らしい暑さのもとで、うだうだとした時間を過ごしたい。

表面上は多くの活動が止まっていた様に見えるこの一週間ほどだったが、きっと私の中で養われたものがあるだろう。この暑さの次には、実りの秋がやってくるのだ。2020.8.14 Fri 10:40 Den Haag