794. オランダの夏と共感と共観

 

早朝、というにはまだ早い時間に、カモメの声が賑やかに聞こえてきたことを思い出す。それが今は静かだ。カモメも日が昇り暑くなる前に飛び回るようになったのだろうか。

暑さはすっかり厳しくなって今は確かに「オランダの夏」なのだけど、私が知っている「夏」という感じがしないのは、セミの鳴き声が聞こえないからだろうか。湿気が少ないというのもあるだろう。

静かな夏。

そんな言葉が似合う季節を過ごすのは3度目になる。イタリアのヴェネツィアで久しぶりにセミの声を聞き、懐かしい気持ちになったのはもう二年前のことだが、それがもっと昔のことにももっと最近のことにも感じられる。

行ってみたい場所はまだまだあるが、いつまた、安心して国を行き来できるようになるだろうか。新しい景色を見続けたい。これは、誰に頼まれなくても、誰のためにならなくてもやり続けたい、私の中にある根源的な欲求である。隣に大切な人がいればそこに、その時間はさらに美しいものとなるだろう。

共感をするということは思った以上に難しいことなのだと最近改めて思う。「そういう気持ちになった」ということを受け止めることはできる。しかし仮に、自分の中に同じような感情を想像して「こういう感情かなあ。そうかそうか、共感するなあ」ということはなかなかできないのだ。

言葉の意味というのが、それぞれの人の中でつくられているものだという前提に立つと、その意味を究極的に他者は理解することができないのではないかと思う。

どんなに想像しても、想像しきれない。どんなに想像しても、それは自分の経験を通じて想像していることに過ぎず、「他人と相入れることはない」というのは、同時にそれぞれの人がそれぞれの人生を生きているという証でもあるだろう。

なぜその人がそう思うのか、今感じていることはどういう質感のことなのかは聞いてみないと分からないし、聞いてみても全てがわかるわけではない。だからこそ聞き続け、同じ景色を見ようとする。

普段、そんなことをしているためか、物理的に「同じ景色を見る」ということは私にとってとても貴重なことだ。美しい景色を眺め、息を飲み、ただ「いい時間だったね」とだけ言葉を交わす。それは、対話を重ねることとはまた違った、もしかすると言葉の延長線上ではたどり着けない世界なのかもしれない。

共感というのは、共観ができたときに始めてできるのではないかとさえ思う。

そして真の意味での共観というのは、物理的に同じ景色を見ることから生まれるのではないか。

一方で、物理的な身体を超えて、魂がスペースを共有し、そこで共に同じ景色を感じることもできるようにも思っている。コーチングセッション中に身体の感覚が消えていることがあるが、そのときはクライアントの精神空間に入っているのではないかという気がしている。

暑い時期は物理的な身体とその周りを囲むエネルギー体の内側にエネルギーが籠りがちだが、外の世界、特に自然との間で、呼吸をするように、つながり、循環する自分でありたい。今日は特に暑い1日になりそうだ。2020.8.8 Sat 8:49 Den Haag

795. やってきた暑さの中で

 

雨音が強くなり、開け放っていた寝室の窓を閉じた。まだ薄明るい空の下、バルコニーで本でも読もうかと思っていたがそれができず残念だ。

今日は午前中のセッション以降、執筆活動に集中しようと思っていたが、思ったようには進まなかった。お昼前にはスマートフォンに天気予報アプリからの警報が表示された。今日はから月曜日まで、ハーグの街は高温警報が出ているという。高温警報がどういう条件で出されるかはわからないが、さしずめ、30度を超えたら出されるというところだろうか。

確か昨年も、8月にとても暑い日(暑い期間)があった。それが8月初旬だったか中旬だったか下旬だったかは定かではないが、オランダで最高気温38度を記録したちょうどその日、私は日本から来た知人と会うためにアムステルダムを訪れていたことを覚えている。

暑い期間はそう長くは続かないことは分かっているし、汗ばむほどでもないので日本に比べるとそう暑さは厳しくないとは思うのだが、いかんせん思考が働かない。

できれば来年は8月のうち3週間は休暇期間とし、その間、仕事や執筆等も(日記を書くことを除いては)行わず、自然の近くで過ごしたい。

先日、フィンランドの先生は夏休みの間丸々1ヶ月休み、その間全く仕事は行わない(が給料はもらえる)という話を聞いた。「教育はクリエイティブな活動であり、クリエイティブな活動のためには休みが必要」なのだそうだ。確かにそうだろう。

そんなことを言い訳にせずとも、とにかくこの暑さの中ではどんどんと身体と頭に熱が溜まっていき、とくに内なる感覚にはアクセスすることが難しい。現在書籍の原稿など執筆を進めたいものがあるが、それをしっかりと魂とつながったものにするためにも、向こう一週間はゆったりと過ごす期間にしようかと思う。

ちょうど来週は普段に比べると予定があまり入っていないため、ゆったりと過ごすにはちょうどいい。言語から離れて、絵を描いたりしてもいいかもしれない。昨年は暑さが厳しい日にビーチに行ったが、1日くらいはビーチに行くのも良さそうではある。オランダの人たちはこの時期、どうやって過ごしているのだろうか。

8月にオランダに来ようかと言っていたパートナーは結局来なかったわけだが、それはそれで良かったのだろう。筋肉質の男性にとってこの暑さでクーラーがないというのは辛いはずだ。

明日からは情報からもできるだけ距離を置き、世界をただそのままに感じたい。考え事をするにしてもパソコンを開くのではなく、ノートなどに書き留めるのがいいだろう。セッションのときを除いて、パソコンは書斎においておき、いつも仕事をしている寝室(だった部屋)の大きなテーブルには持ち込まないものとするのが良いだろう。

読みたい本はたくさんあるというのは悩ましいところだ。いずれにせよ、書くことを制限することで、書くことに対する欲求が生まれると同時に頭の中が整理されることに期待したい。

それにしても暑い。今日は寝付くことができるだろうか。2020.8.8 Sat 21:24 Den Haag