793. 一面しかしらないカモメのこと、言葉の意味について

にわかに声を上げ始めた上空のカモメたちを見上げながら、「私はいつも、飛んでいるカモメのおなかの側しかみていないなあ」ということが浮かんできた。背中の側はどんな風に動いているのか、筋肉はどんな風に動いているのか。

それは例えば水面を進む水鳥にも同じことが言える。水面より上しか見ることができない。

それなのになぜ、人に対しては「全部が見えている」などという気になるのだろう。「全部」とまでは言わないものの、「この人の大半が見えている」という気になってくる。短い時間で発揮されたとある一面しか目にしていないにも関わらず「あの人はああいう人だから」と思ったりする。それは結局のところ、自分自身の中の一面であるにも関わらず。

昨日、ハーグに住む元英語教諭の知人へのインタビューをした際に出てきた話が浮かんでくる。教育は短期間で経済指標が変化することを追おうとするとその価値が非常に低く見積もられてしまうということだ。

「見えるもの」「計測することができるもの」ばかりに目を向けた結果が今の日本なのかもしれない。

欧州に来て驚いたのが、日本はその精神性がとても美しいと捉えられているということだ。それが、実際に日本を訪れ心底実感されたものなのか、何か伝え聞かれたものを通したある種の幻想なのかは分からない。そのどちらもあるだろう。

日本の外の人もまた、日本の一面を見ている。

昨日はインタビューの前に言葉について考えていた。社会的に合意された意味を持つ言葉、その中でも時代や地域、組織や人と人との間で意味が変化していく言葉、他者との間ではその意味が合意されていないももの、自分の中で指し示す対象や内容が明確になっている言葉、そしてその手前の、言葉という形はとっているもののまだその意味が曖昧で世界を文節する前の言葉。

言葉の意味について考えるときもまた、それがほんの一面に過ぎないということが浮かぶ。言葉の意味とは動的で揺らぎも奥行きもあるものだ。

そのことを実感することができたとき、世界はまた違ったものに見えてくるだろう。

今日もまた、未知の言葉、未知の言葉と出会うことになるだろう。2020.8.7 Fri 7:28 Den Haag