791. 身体と思考、浄化

ゆっくりと呼吸を繰り返していると、身体の中にエネルギーの循環が生まれてくることを感じた。上半身がポカポカとあたたまる。しかし下半身、特に膝より下は冷えたままだ。

先日、動物は同じ動物でも種類が違うと栄養特性が全く違うということを知った。必要な栄養素が、別の動物かと思うくらい違うそうだ。人間もおそらく同様のことが考えられる。

以前、日本人女性と結婚していたドイツ人男性が、奥さんが夏になると寒い寒いと言っていたという話をしていた。そんなことがあるのだろうかと思っていたが、今になるとよく分かる。身体が冷えるのだ。湿気が少なく、空気がカラッとしているとは言え、暑い時には30度以上に気温が上がるし、それに対して一般家庭にはクーラーがない。暑くて思考が働かない日もあるが、よっぽど暑い日もしくは、暑い時間帯以外はどちらかというと身体は冷えている。

これはおそらく、食べ物から来ているだろう。(さらに入浴がシャワーのみということも影響しているに違いない。)

身体の冷えは脳の冷えにもつながり、思考力の低下にもつながる。もしかしたら、身体が縮み、感覚も硬くなっているかもしれない。

食については探究するテーマの一つにしていきたいと思っていたが、この1年は自分自身の食というところに留まってしまっていた。しかし今、改めて身体をつくるものの重要性を感じている。

極端な話、食と身を置く場所を改善すれば人が発揮する思考や感情、そして交わされる対話の質は大きく向上するのではないかと考えている。身を置く場所についてはすでに確信がある。

これはにわとりたまごかもしれないが、例えばコーチングセッションの際に、周囲に人がいたり周囲の音が入ってきたりする環境、もしくは安心することのできない環境に身を置いている際、概して、身体感覚へのアクセスというのは非常に弱くなる。身体感覚について直接扱う必要はない。しかし、自身の発話から気づきが起こっていくかどうかや浅い思考で短時間で結論を出すことに終始するのとは違った探索的な思考ができるかどうかは、どんな環境に身を置くかと大きく関係しているということを実感している。裏を返せば、周囲の環境が自分に与える影響に無頓着な場合、探究的な思考や対話をすること自体が難しいのかもしれない。

もちろんそれでも十分に物事の整理はできるが、物事の整理をするだけであれば、それは自分が関わる必要はないだろう。

自分自身が特に後押しができる領域において関わることがクライアントにとってもリターンが大きいし、何よりお互いにとって時間という有限なものを十分に活用したり味わったりせずに過ごしてしまうということになる。

これまで、コーチングセッションの際に身を置く環境についてご案内程度に留めていたが、今後は整えることを必須事項とし、整えることが難しい方についてはお断りをしていくというのが望ましいだろう。「自分の代わりに考え、何か解決策を提案してくれる」と思っている方についても同様である。

専門家・実務家としての知見や経験を提供することはできるが、あくまでそれは題材に過ぎない。人から聞いたことを自分自身の体験に紐づけて、独自の理論として昇華させることができなければ、少なくとも昇華させようとする思考や試行をすることができなければ、いつまで経っても「情報を受け取る人」「消費する人」「消費される人」になってしまうだろう。

それが決して容易なことではないということも理解している。タイミングによっては負荷をかけすぎて、成長のメカニズムを壊してしまうかもしれない。

だからこそ、お互いに、今、時間を投資して関わり合うことが本当に必要かどうかは見極める必要があるだろう。

考えれば考えるほどに、自分が提供しようとしているものは修行のようなもので、よっぽどの物好きの方に向けたものだろうという気がしてくる。同時に、現在は自分自身に活用し、多少セッションの中でも活用することのあるcleaning up、浄化の領域についても深めていきたいという想いはずっと心の中にある。それは、どんなに経験を積んだ方でも(そんな方こそ)自分自身と深く向き合う上でぶつかるテーマだと実感しているためだ。

ライデンにはアントロポゾティーのアートセラピーの専門学校があるということを、以前、オランダで知り合ったアントロポゾフィーの医師の方が教えてくれた。ただ、専門学校に通う必要は必ずしもなく、まずは自分がアートセラピストとアートに取り組み、それをすでにある自分の専門領域と組み合わせる独自の形をつくるのが良いのではないかということも付け加えてくれた。それは想像すると、楽しみな気持ちになってくる。

日本にいる友人が、日本のものを送ってくれるということで、その中に、先日セルフコンパッションの講座で知り合った別の日本人が教えてくれたフォーカシング指向のアートセラピーの本を入れてもらおうかと思う。

9月に会うことになっているフローニンゲンに住む友人もアートや芸術の探究をしているためそのときにも自分の実践を元に話ができるといいなと思っている。

今日は、ハーグに住む元英語教諭で、現在オランダの教育について探究している方にオンラインでインタビューをすることになっている。今年のはじめにもオランダでイエナプランを学び、日本に戻った社会科教諭の友人のインタビューを記事にし、それを見て、日本の教育に携わる方々が色々な反応をくださったので、今回も日本の教育の未来に対して何か少しでも考えるきっかけをつくることができればと思う。

インタビュー記事の作成と書籍の執筆、そして9月に行われるICFの資格受験のための認定試験に向けたセッションの書き起こしの作業を考えると、8月はこの先、できるだけ予定を入れない方が良いだろう。1日の3分の2くらいは言葉に向き合うことに収集し、残りは言葉から離れた、感覚の世界に身を置いていたい。

まずはこのあとの打ち合わせの前に、昨晩と今朝浮かんできたアイディアを執筆内容にどう盛り込むかという検討をしたい。2020.8.6 Thu 7:41 Den Haag

792. やってきたモニターとインタビュー

目を閉じて、両手を目に当てるとたくさんの光が揺れていた。

それだけパソコンの画面を見つめていたということだろう。

今日は一昨日注文したモニターが届き、早速設置してみたのだが、これがなかなか眩しい。デュアルモニターにすると作業効率が約40%上がるとのことだが、その分、光量と視線の移動による眼精疲労は40%増を超えるのではないだろうか。少なくとも、普段、蛍光灯もなく、ほぼ自然光の中での生活をしており、刺激が大きく入ってくる私としてはかなりこたえるものがある。執筆等をする際に、資料を広げたまま文章を書くために役立つだろう、そして長期のプロジェクトや大きなプロジェクトのデザインをする際に、思考領域を広げるために役立つだろうと考え購入に至ったが、仮に作業効率が40%上がるのであれば、パソコンに向きあう時間はこれまでの7割以下に抑えたいところだ。それができないのであれば、モニターを購入した意味はなくなってしまうだろう。クリエイティブな思考活動や探究、そして思考から離れた芸術活動や自然に触れ合う時間を増やすためにモニターを購入したのだ。

画面の眩しさと同時に、画面をつけていないときの画面の黒さもなかなか強烈である。こちらも、なにせ、普段、元々家に据え付けられているテレビに使っていない白いシーツをかけて過ごしているほどだ。あの、使ってもいないのに存在感を放つ物体が私は正直あまり好きではないのだ。少なくとも静かな暮らしの中には必要ないと思っている。

そもそも、パソコンやテレビの画面というのはなぜ消している時に黒色なのだろか。テレビの構造上仕方ないのだろうけれど、自然界に黒いものはないという前提に立つと、あんなに黒くて大きなものが側にあるというのは生物として不自然なことなのではないだろうか。

と、ここまで散々、せっかく購入したモニターについて不満を述べてきた。それでも背面が白色なのはせめてもの救いである。(それを理由に選んだと言っても過言ではない。)土台の部分のスマートなフレームと、液晶の薄さも加味すると、例えば横から見る分にはあまり存在感がなく、現状売られているものの中では良いものを選ぶことができたのではないかと思っている。あとは使い方だ。

今は黒い画面の上に布をかけその存在感が目立たないようにしているが、普段このモニターをどこに置き、どんな場面で使うのか、適切な使い方を探すためのまずは色々と試してみたい。

少なくともこうして日記を書くときは静かに一つの画面に集中するというのが合っている。思考をうちに向かわせるときはノートパソコンのみ、いくつかの考えを照らし合わせたり、アイディアを膨らませるときは二つの画面を使うというのが良いだろうか。私としては、書籍の執筆スピードが上がることが何よりの願いだ。

モニターが届く前にはハーグに住む元英語教諭の知人へのインタビューをオンラインで行なった。

オランダだけでなくフィンランドの教育の話なども聞くことができてあっという間に2時間が過ぎた。

当初、テキストのみの記事にする予定だったが、彼女が話をする雰囲気や熱がこもった言葉がきっと人の心に響くものがあるのではと思う。さすがに全部を公開するのは長いかもしれないが、いくつかのトピックについては動画の公開を検討しても良いかもしれない。

インタビューというのはコーチングセッションにも近いものがあるが、読み手が持つであろう疑問などを想像し、あえて語られていない部分にもスポットを当ててみたり、様々なもののつながりなどを聞いてみることができるのは独特の面白さがあると感じている。

昨年末にもオランダで教育について学んでいた友人にインタビューをし、その記事を公開したが、あと数人、オランダに暮らしている人にインタビューをすればそれだけで本になりそうだ。今のところオランダで過ごしている(過ごした)二人に共通しているのは、「独自の言葉を持っている」ということだ。それは日本を出ることを決めたときに自分自身と深く向き合ったこと、さらにオランダという異国で何者でもない自分ながらも、想いをもとに人と向き合い続けたことから育まれた言葉だろう。

そうい言葉を持っている人の話を聞いてみてくなると言ってもいい。

身を置いていた場所で限界を感じ、それまでの自分の死、さらに新しい地で、「自分」だと思っていたもののさらなる死を体験し、世界に自分を開きながら新たな自分をつくっていこうとしている人の言葉を、これからも聴き続けたい。2020.8.6 Thu 21:06 Den Haag