779. 関わりと循環

 

玄関の扉が開く音がした。2週間ほど前から行なっている工事を今日も進めるのだろう。と言っても、どこで何をしているのかいまだに分からない。家の前には養生のネットが張られた足場が組まれ、それは屋根までの高さがあり少しずつ移動していっているので、屋根の上を補修しているのだろうと思っている。

オランダの伝統的な家は何十戸もの家が連なっている。月に1回ほど通り沿いの窓は専門の業者が外側から掃除をしてくれている。それは、町内会費のようなもので賄われているのだろうか。同様に、屋根の補修も共同で行なっているのだろうか。

オランダでは地域医療に携わるチームが、お年寄りが周囲の人とネットワークを築くこともサポートするという。個人個人を尊重しながらも、暮らしをつくること、生きることを行う共同体をつくっていく社会の在り方から学ぶことは大きい。

できれば、社会やコミュニティがどのように形成されているか、その歴史と現状を実体験の中から学んでいきたい。それにはここで自分がよりリアルな暮らしを営んでいくのが一番だろう。

小さな子どもが、自分自身の生活と地球環境がつながっているという意識を持っている。そんな意識はどうやってつくられるのだろうか。

見上げると、青空に一筋の飛行機雲が引かれ、それが今消えつつある。

誰に、どのように関わっていくか。

先日友人と話をしてからこのテーマが何度も頭の中に立ち現れている。

人生のステージが変わっていくことに伴って身を置く場所や関わる相手も変化をしていく。それは自然なことだろう。

今いる場所を離れることに何か感じることがあるとすると、その要因の一つは今自分が手にしているものへの執着かもしれない。手にしていると言っても大したものではない。ただそこに、安心感があるだけだ。

一歩踏み出さない理由はいくらでも挙げることができる。

いつまでも留まることはできる。

しかしそれでは、想いを全うしたと言える人生になるだろうか。
天命を全うしたと言えるだろうか。
与えられたギフトを、世界に還すことができたと言えるだろうか。

どんなに自己の内的な宇宙が広がろうとも、それを誰かに差し出さなければ、自分の中に留めたものがいつか、肉体とともに消えてしまうのだ。

少しの人に届けることが、多くの人に届けることにつながるという、世界の仕組みに気づいた今、自分自身の考え方をさらに大きくアップデートさせる必要に迫られていると感じている。

それには時間がかかるようにも思えるし、一方で、一瞬で、世界がひっくり返る瞬間が訪れるようにも思う。

土の中に根を伸ばすのには時間がかかるけれども、目が出たらあっという間に伸びていく。そんな感じだろうか。そして、今すでに、土の中の根は伸びているのだということだろう。2020.7.31 Fri 8:41 Den Haag

780. 夏の訪れ、ライフスタイルのアップデートに向けて

 

オランダの夏がやってきた。

私にとって「オランダの夏」とは、「身体の内側に熱がこもり、思考が停止する季節」である。

今日の午後、書籍の原稿と共通するネタをnoteにまとめていこうとするも、どうにもこうにも筆が進まない。よっぽど思考力が低下しているのだろうか脳に栄養が足りていないのだろうかとあれこれ考えるもラチがあかず、散歩がてら買い物に出たところ、そこにある暑さに驚いた。

日本の、湿気の高い夏とはまた違った、空気がそのまま熱せられている暑さがそこにある。とにかく、ただ、暑いのだ。

いつも利用しているオーガニックスーパーにつくと、そのほどよい涼しさに(一般のスーパーはきっと、寒く感じるほどに冷え込んでいるだろう)、「一回あたりの買い物の量を少なくして頻繁にスーパーに涼みにこようか」などと考えるも、帰り道にまた暑さの中を歩き「できるだけ外に出るのは控えよう」という気になってくる。

先日、家の北側にあたるリビングから、南側にあたる寝室に大きな机を移動したのだが(そのためもはや寝室ではなくなった)、日当たりの良い南側の部屋で仕事をすることは8月は厳しいかもしれない。そういえば去年のちょうど今頃、オランダに住む友人の開催するオンラインゼミナールに参加していたが、8月の間はあまりの暑さで頭がぼーっとしていたということを思い出す。

天気が悪く肌寒い日が続いていたため、「早く夏らしくなるといいなあ」と思っていたのだが、いざ暑くなると「この時期は北欧の涼しい場所で過ごしたいなあ」などという気が湧いてくる。つくづく、無い物ねだりというか、贅沢というか、勝手である。

もともとぼーっとしている方なのに、これ以上ぼーっとしたら仕事に支障が出るだろう。コーチングセッションについては私のスタイルにおいては思考が強く働くことの弊害の方が大きいと感じているため、多少ぼーっとしている方がちょうどいいのだが(むしろ、そういう状態になるようにコンディションをととのえているとも言える)、こと、最近携わっている企業向けのプログラム開発や執筆活動については、ぼーっとしていては元も子もない。

日中、部屋があたたまることは避けられないので、そうなると朝起きる時間をぐんと早めて、午後までには思考をする活動を終わらせるというのが良いだろうか。

今日で言うとオランダ時間の14時はもうかなりの暑さだった。現在は企業との打ち合わせを日本時間の16時、オランダ時間の9時からとし、コーチングセッションは日本時間の18時から21時までの間、オランダ時間の11時から14時までの間(休憩を挟むと実質最大2セッション)としていることが多く、その後を執筆や研究・読書の時間にあてているが、14時以降に思考にエネルギーを注ぐことが難しいことを考えると、朝9時以前にその思考の時間を取ることができると良いだろうか。

6時から9時くらいまでを集中した思考の時間にあてることができたら、今取り組みたいことをもっともっと進めることができるだろうか。ロングスリーパーの私にとって、例えば5時に起きても十分な睡眠を取れているためには、21時すぎにはベッドに入る必要がある。

寝る時間を早くし、起きる時間も早くするというのは原理的には成り立ちそうな気がするが、気がかりなのは、11時頃からのセッションのときにすでにエネルギー切れが発生していないだろうかということだ。むしろ、起きる時間をもう少し早めて、午前中の早い時間に仮眠か休憩の時間を取るのが良いだろか。

それともそもそも8月は活発に活動をすることを控えるという前提にした方が良いのだろか。今後はできればそうしたいが、今年はこの夏に原稿を書き上げたいという気持ちがある。

いずれにしろ、コーチングセッションについては現在すでに持つことのできる時間の上限に達しつつあるため、現在の形でのクライアント募集を一旦取りやめ、コースを限定し、より、自分自身の専門性や経験を活かせる形や相手への提供にシフトしていくのが良いだろう。一方で今提供している取り組みへのニーズも感じるので、できれば今後コーチの育成にも少しずつでも携わっていきたい。40代後半から50代以上のリーダーの方との、より対話的・共創的な時間を持っていくこと、そして30代中盤の、今後、組織や社会の中で共創的な対話を担っていくことになる人たちとどう関わるかというのが今、関心が高いテーマだ。

日本の未来に対して、人生をどう投資していくか。

自分自身が心地よく11日を過ごし、その中で感性や思考を存分に発揮するとともに、自分を育てていくというのは大きなテーマだが、それは、同時に社会にどんなものを送り出していくのかにもつながっている。

思考や身体をととのえるための食や活動にも目をむけつつ、ライフスタイルそのものをさらにアップデートさせていければと思っている。2020.7.31 Fri 22:28 Den Haag