776. 対話とともにあり、対話であった時間を振り返って


静けさの中を歩いていると、普段いかに、思考や心の声が立ち上がっているかが分かる。都会にいると、外的な情報や刺激と、自分の中で起こっている声の区別がつかなくなってしまうのだろう。一度聞いた言葉を何度も何度も心の中で再生し、他者を恐ろしいものと、世界を恐ろしい場所としていく。それでもきっと、少しでも、静けさの中に身を置けば、それが自分の心の中にあった声だと気づくはずだ。

自然は、そこに優しさと生きるエネルギー、そして文節される前の世界があることを教えてくれる。

昨日は1日とは思えないほど、濃密な1日だった。

1日のことを語り尽くそうとしたら、1日以上の時間がかかるだろう。

そこには対話の時間があった。

対話に形容詞はいらない。そこに生きる命が出会うということを、どんな言葉で表現することも陳腐になってしまうだろう。

対話がそこにある。対話としてそこにある。

ただそれだけのことが、どんな言葉をも超えるのだ。

昼過ぎ、ひょんなことから普段、オランダに暮らし、現在旅行中の友人と久しぶりに話をした。

そこで生まれたこと、感じたことから現実がまた動き出すだろう。

その中で私が今改めて感じていることは、自分自身がどう生きるか、何を生きるか、そして社会とどう関わるかということだ。

対話と人の意識、変容と進化。

これらについてもっと探求と実践を積み重ねていきたい。
そして、それらから学んだことを届けていきたい。

しかし時間には限りがある。

時間をどう使うかは、自分自身への投資であり、社会への投資でもある。

投票とも言えるだろう。私たち一人一人の日々の時間の使い方で社会は変わるのだ。

嘆いている暇はない。被害者になっている暇はない。

「そんな自分」を味わうことも大切だが、味わいつくして、一歩踏み出すのだ。

今年の夏が多くの人にとって転換のときになるように、私にとっても大きな転換のときになるだろう。2020.7.29 Wed 7:58 Den Haag

777. 物理的スペースと脳内スペース

 

食事を終え、リビングと連なる寝室の方に目をやると、外からの光が差し込み、部屋が光に包まれているように見えた。一昨日、リビングから寝室の窓際に移動した大きなテーブルの白い天板に光が反射し、余計に明るさが増している。

広い机を前に行う考え事や対話は、どこか、身体全体を解き放ったような開放感がある。やはり、自分が身を置く空間、向き合う物の大きさや状態というのは意識や思考に大きな影響を与えるのだろう。

この机にさらにディスプレイを置こうか迷うところだ。

作業スペースの広さが思考のスペースにも影響を与えるとすると、長期のプロジェクトのイメージや全体像を描くには大きなディスプレイがあった方が良いように思う。一方で、大きなディスプレイは空間の中でかなりの存在感を放つことになるだろう。リビングにあるテレビに、布をかけてわざわざその存在感を消している中で、ディスプレイを置くというのはどうだろう。以前は、大きな机を、書道をするときにも活用していたが、それもできなくなってしまうだろう。そう考えると悩ましい。考え事をしたいのであれば大きなホワイトボードを置く方が良いだろうか。身体感覚を発揮して動くことができる方が良いかもしれない。もしくは、2つ目のディスプレイもさほど大きくないものにするか。

いずれにしろ、頭の中の思考空間自体を押し広げることが必要だろう。道具はそれを後押ししてくれるが、脳内のスペースは空間の広さにとらわれない無限の広がりがあるはずだ。

今後、研究と実践、同時に静けさの中に身を置き続けるのであれば、電子機器はできるだけ少なく、軽やかな方がいい。

そんなことを考えながら、後頭部と肩の重みを感じている。

昨日はこれまでよりも早起きをしたにも関わらず夜寝る時間が変わらず、今朝も早起きをしたということが影響しているだろうか。自分自身のパフォーマンスに最も影響を与えるものは睡眠だと自覚している。

明日、クリアな思考で1日を過ごすためにも今日は早めに休むことにする。2020.7.29 Wed 18:34 Den Haag