774. 朝の静けさの中で

 

カモメの声が響く、葡萄の葉が揺れる。

中庭に咲く名前を知らない花は、私の背丈より高くまで伸びている。

ガーデンハウスの屋根の向こう側から小柄な黒猫が飛び出し、屋根の上をぴょんぴょんと、踊るように跳ねる。

朝はいつもお湯を沸かしている間にヨガの太陽礼拝のポーズを繰り返すのだが、そのときに決まって、数が数えられなくなる。左右、わずか3回ずつ。それなのに、1回目以降はもう、今が何回目なのか分からなくなるのだ。

日記を書く前に行なっている呼吸法と祈りの際も同じことが起こる。ゆっくりと呼吸の流れを繰り返していると、何回目なのかということが分からなくなるのだ。

ただ静かに、流れの中にいる。動作そのものになる。

もう久しく曜日の感覚というのは薄れているが、表の通りを通る車とトラムの音が平日と週末の違いを教えてくれる。

今朝は久しぶりに見た夢のことを覚えている。それはきっと、「お腹を下してトイレにこもる」という、なかなかインパクトの強い夢だったからだろう。夢の中でお腹の調子が悪いことを感じた私は学校の校舎のような場所の中でトイレを探していた。そんな中、中学生くらいの女の子が、トイレの場所を教えてくれた。

そんな場面を思い出して、「導かれる」という言葉が浮かんできている。

同時に、ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の絵が思い浮かんだ。

モデルとなっている女性が誰かは諸説あるが、若い女性であることは間違いない。いつの時代も新しい社会への導いてくれるのは、若い人たちであり、その時代における社会的なマイノリティなのだろう。

学び合う相手に年齢は関係ないが、なかでも一見「未熟だ」とみなしてしまうことの多い、自分よりもずっとずっと若い人たちからいかに学ぶことができるかというのが、これから歳を重ねていくにあたってのテーマになるのだという気がしている。

昨日もそうだったが、思考よりも、静けさが生まれてきている。

これは、思考することからの逃避である可能性もあるが、今はゆっくりと水中に沈んでいくときなのかもしれない。海底の砂に足がつけば、自然と再び水面に戻ってくるだろう。

今日はコーチ仲間とボイスワークとチャイムの交換セッションを行うことになっている。チャイムの音によって、水分としての自分の揺れを味わうのが楽しみだ。2020.7.27 Mon 8:06 Den Haag

775. ボイスワークとチャイムのセッション、家具の配置換えをして

 

一羽の鳴き声に端を発したように、カモメの声が幾重にも重なり合い、空に溶けた。

ポツポツと窓を打つ音とともに、一階部分の屋根に水跡が広がってゆく。

ガーデンハウスの屋根の上を、足先の白い黒猫がしずしずと歩く。

日本はまだ梅雨が開けないと聞くが、ハーグも雨の日が続いている。湿気が少ないので雨が降っても不快ではないのだが、髪の毛が随分と波打っているのは、雨が多いためなのだろうか。

今日はコーチ仲間と、私がボイスワークを提供し、チャイムの演奏をしてもらうという交換セッションを行った。

この形式の交換セッションを行うのは3回目だが、声を出す、そしてチャイムを奏でてもらい、その音の中に身を委ねるというのはそれぞれの時間の良さが増幅されるような、私にとってとても良い時間となっている。

声というのは、あらためてとても不思議だ。

短い時間でも自分自身の物語につながることができると、声の質が変わる。そして、届き方も変わる。それは私がいつも音声のみでコーチングセッションを行っており、声の質を聞き分けるアンテナが鋭くなっているということもあるかもしれないが、それにしても、「大きく」と言っても過言ではないほどに変わる。

そんなことを書いてからもう30分以上、時間が経っただろうか。

あれこれとやることをやることを思い出し、思考がフル回転になっていた。

窓の外の明るさはさほど変わらないが、いつの間にか雨は止んでいたようだ。

さて改めてここからどんな言葉が出てくるだろう。

今浮かんできたのは、今日少し、家の家具の配置換えをしたということ。我が家は大通り沿いにキッチンとリビングが、そして中庭側に寝室と小さな書斎があるのだが、日中は寝室が一番明るく静かなので、寝室の端に机を置いてそこを仕事スペースにしてきた。寝室自体十分な広さがあるのでそれでも十分快適だったのだが、今日、協働している仲間と話しているときに、机が画面の広さが、思考の広がりを制限しているということに気づいた。

あれこれとアイディアを広げたり整理をしたりしたいのだが、目の前のパソコンの画面の中ではそれをしきれないのだ。そういえば企業にいたときはよく、チームの仲間とホワイトボードを使ってディスカッションをしていた。

今後も、長期に渡る、そしてたくさんの人が関わるプロジェクトをデザインしていくことになるであろうことを考えると、ものごとを広く考えられる大きくて真っ白なキャンバスがあることは望ましい。

せめて大きなディスプレイを一台追加しようという考えが固まりつつある。

これまでは欧州内の他の国をはじめ、移動先でも仕事をすることが多かったため、場所を変えてもあまりパフォーマンスが変わらないよう、あえてパソコン1台で仕事をするスタイルを続けてきたが、今後はこれまでのように様々な場所に滞在して仕事をするということもほとんどなくなるだろう。その分、自宅をオフィスとしてより居心地よく、便利もいいものにしていきたい。

そのため第一歩がリビングで使っている大きな机を寝室に移動させることだった。その机はもともとは書斎に置いてあったものであり、オーナーのヤンさんのお手製のものである。書斎の窓向きの壁にぴったりのサイズだったのだが、友人やお客さんが来たときにゆっくりお茶を飲んだり食事をしたりできるようにとリビングに移動させていた。

しかしよく考えてみるとここ半年、その広々とした机で私は一人で食事をしている。たまに仕事をすることもあるが、食事をするだけであればそんな広さは必要ない。机が広ければ書籍や資料を置き、考え事もしやすくなる。(ものが置きっぱなし・広げっぱなしになるのは要注意だが)

そして寝室の中央に置いているベッドも、シングルのマットレスが二つくっついたものなのだが、そもそも一人でそんな広さは必要ない。というわけで、寝室のベッドを壁に寄せ広がったスペースに大きな机を置いた。

書斎の机の上にもヤンさんお手製のベッドが備え付けてあるのでそこで寝ても良いくらいだが、そうなると夜中にトイレに置きたときに2m以上ある梯子を上り下りしないといけないのでさすがにそれはつらい。いっそのことベッドを書斎に入れてもいいのではと思ったが、さすがにスペースが厳しかった。

広々とした机は気持ちがよく、明日からさらに仕事がしやすくなる予感がしている。

しかし、私の思考はもう限界が訪れているようだ。

こうしてつらつらと出来事ばかりを並べて終わりになってしまうことは残念だが、今の思考の状態では頑張った方だろう。

今日は早めに、気持ちよく眠りにつけることを期待できそうだ。2020.7.27 Mon 21:15 Den Haag