768. 目を閉じるという実験から

 

珍しく中庭に犬の鳴き声が響いている。隣の保育所の庭に白い毛の小柄な犬がうろうろしているのが見えていたのできっとあの犬だろう。

今日も8時すぎに口笛を吹きながら工事の人がやってきた。屋根の上で続いているらしい工事はいつ終わるのだろう。

そう言えば、3年前、ドイツにいたとき、滞在していた家で雨漏りがしたことがあった。自分がいた部屋ではなかったが、隣の部屋でちょうど旅行の途中か何かで滞在していた一家が、夜中にてんてこまいだったことを覚えている。どうやらこの国をはじめ、古い家では一番上の階はいろいろありそうで、3階建ての2階というのは賃貸で住むには快適なのだろうということをこの3年間で学んだ。2階であれば、上下の部屋にできた空気の層でサンドイッチされるためかあたたかく、夏もさほど暑くはない。

一昨日の夜、日記を書き終えた後に、「聴覚を鍛えるために目を閉じて動いてみたらどうだろう」という試みをしてみた。目を閉じると、いつも暮らしている家でも距離感が全く分からないということに気づく。どうにか廊下に出てトイレの扉を開けるときに諦めて目を開けたのだが、そうするとそれまでは感じていなかった匂いと音が飛び込んできた。

これはとても興味深い現象だった。

人はまず、生存を守るということにエネルギーを使うのだろう。目を閉じて歩き回るということは、それに慣れない私にとってはとても危険で恐ろしいことだ。そのため、全神経が「危険はないか」というところに注がれていたはずだ。

それが、視覚情報によって危険がないということが分かると、他のことに感覚が向くようになったのだ。コーチングセッション中は普段よりも聴覚が強く働くことを感じ、それをもっと鍛えることができないかと思ったのだが、その土台として、安心安全な空間に身を置き、その他様々な条件が満たされているからこそ、繊細な感覚が働くのだろう。

より高い建物を建てるには、より深い基礎が必要なように、自分が何かさらなる能力を発揮したければ、さらに深い土台をととのえることが必要なのだ。

玉ねぎの皮を向くように一つ一つ、自分自身と向き合っていく。まだまだ長い旅になりそうだ。2020.7.23 Thu 9:05 Den Haag

769. 変えられない仕組みや制度を嘆くのではなく


うたた寝とも考え事ともつかない、意識がどこにあるかわからない時間をしばらく過ごしていた。頭の中できっと何かが整理されていたのだろう。

そんな時間を経て、今浮かんでいるのは、対話について探究と実践を行うゆるやかなネットワークもしくはコミュニティのようなものをつくっていくことはできないかという構想だ。

現在、新しい取り組みが始まっているが、今後を見据えると、対話の担い手というのが明らかに不足している。担い手というのは適切でないかもしれない。実践者と呼んだ方が良いだろうか。専門家や職業として行うわけでなくとも、所属する組織やコミュニティ、家庭の中で対話を実践していく人。そんな人をどうやって増やしていくことができるか。

社会に変化を起こすには、制度や仕組みを変えることは大きなインパクトがあるように思えるが、実際には制度や仕組みを変えることには大きなエネルギーが必要だ。制度や仕組みをつくっている人たちが旧態然とした思考をしている場合、世代交代をするまでは不毛な議論を繰り返すことにもなる。

一人一人の意識や行動に働きかけることは一見途方も無いことのように思えるが、現在のようにインターネットを通じてシームレスな世界が実現しつつある中では物理的なものや制度をつくるよりもずっと早く、言葉やデザインを通じて人の心に働きかけることができる。

そんなことを考えたのは、昨晩BGTBritain’s Got Talent)で、あるマジシャンの舞台に魅了されたことにも影響を受けている。

演目で言えばマジックなのだが、そこには、人の心を動かす言葉があった。

ほんの数分間の中で人の意識に影響を与えるパワフルな言葉。それは悪用されるととても危険でもあるのだが、心とつながった言葉は人を動かすのだ。

仕組みが変わるのを待つのではなく、自ら動きだす。そんなうねりがもう始まっている。2020.7.23 Thu 22:11 Den Haag