752. 雨の中出かける、現象としてそこにいる


何だか静かだと思って、リビングの窓から外を見ると、小雨が降っていた。「今日は散歩には行けないか」とがっかりするも、白湯を飲み終わり、やはり外の様子が気になる。道の一部は濡れていないところもあるし、水たまりにたくさんの波紋が現れているわけでもない。普通に歩いている人も、自転車に乗っている人もいる。(オランダの人はちょっとやそっとの雨でも普段と変わらず自転車に乗るのだが。)

「外に出てみよう。雨が強ければ帰ってこよう」と思い、フード付きのパーカーの上にさらに薄手のスプリングコートを羽織って外に出た。思ったよりも雨は気にならない。

昨日と同じ、背の高い木の並ぶ道を歩く。

木の一つ一つに触れていく。

苔がついているものもあれば、新芽のようなものが生えてきているものもある。

そして周囲には、様々な種類の草花。

「自然の中を散歩するということは名前のないものたちに出会うということなのだ」ということが浮かんでくる。

文節されない世界、定義で認識されない世界。そこにあるものをそのままにただ感じる世界。それが私にはとても心地良くて、同時におそらくとても必要なのだということを感じる。

昨日とはまた違う、リードにつながれた犬が散歩をしている。男性が先を行き、リードが5mくらいは伸びているが、犬はその場に座り、こっちを見ている。こちらに来ようとするが、リードの長さが足りず、引き戻される。

昨日もそうだった。

木に一つ一つ触れていたら、犬がじっとこちらを見ていた。もしかしたら木を物色している猫のように見えたのかもしれない。

こうして書きながら、人間以外の動物というのは、他の動物のことを「存在」として捉えているのかもしれないという考えが浮かんでくる。

ちょうど昨日、「生物と情報」という記事の中で「ある現象を特定のシグナルとして解釈できる生物機構がうまれると、この機構により解釈されることで、あらゆる現象は情報に変わる。」という一文が目に止まった。

識別と解釈という機構(能力)によって、現象は情報になるのだ。

仮に人間以外の動物が解釈を行わないとすると(もしかしたら行うのかもしれないが)、動物は現象を現象のまま捉えているということになる。

木の一つ一つに触れて歩く私は、そういう現象なのだ。

人間は初めて会った人に対しても無意識に様々な想像をする。しかし仮にそれもないとすると、そこにある存在がその人そのものであり、その人の全てということになる。

人間のことをもっと知りたい、人間の生物としての機能や歴史について知りたいと思っていたが、他の動物と比較することでも人間の特徴というのが浮き上がってきそうだ。

そしてもう一つ、散歩の終わりがけに浮かんできたことがあったが、それが何か思い出せない。

そうだ、「未体験のことをするというのは、雨の中出かけようとするようなものなのかもしれない」と、いうことが思い浮かんだのだった。

散歩をしていると、木の陰に入ったときは雨音が大きく聞こえるということに気づいた。木の葉に雨粒が当たる音を聞いていると随分と雨が降っているようにも思えてくる。それが、木の陰を出ると雨の感覚はさほど気にならない。小雨の中歩くのは、家の中で見ているよりもずっと心地良いのだ。しかしそのことは、雨の中に一歩踏み出してみなければ分からない。

守られた世界に閉じこもっていると、まだ体験したことがないことが大変そうにも見えたりするが、実際に始めてしまえば思ったほど大変ではないのだ。

それは自分自身にもあてはめられるだろうか。

昨日のオンライン疲れがまだ少し残っている。(これはオンライン酔いとも言えるものだと思う。これについてはまた改めて書きたい。)

今日も英語の書籍を読み進め、夕方にはコーチングサミットのワークショップに参加するつもりだったが、日中の過ごし方とオンラインのイベントへの参加の仕方は脳と身体への疲労が少ない形を工夫したい。2020.7.14 Tue 8:08

753. 人類の進化の歴史とオンライン酔い

毎日21時にかけている、クリスタルボウルの音のアラームが静かに鳴り始めた。目の前の作業に没頭しがちな自分に対する「そろそろパソコン作業は止めてね」という合図だ。

今日も、昨日読み始めた生命と情報の進化についての論文のようなものを読み進めていた。まだ自分の言葉で整理できるほどになっていないのだが、それでもそうなるようにと今心に留まっていることを言葉にしてみることにする。

まず印象的だったのは生命の進化のプロセスである。55千万年ほど前のカンブリア紀には多様な生命が爆発的に誕生し、そして淘汰されていったという。進化のプロセスでは、多様化と生き残りが起こるのだ。

興味深いことに、そのときに生き残ったのは最も強い生物ではなかった。カンブリア紀には強靭な口(顎)を持つ生物や5つの目を持つ生物、鋭い角を持つ生物がいたそうだが、その中で生き残ったのは、最も弱いとされていた生物の一つ。現存する多くの生物の祖先にあたる生物であり、その特徴は脊椎をもってなめらかに動くことができるということだった。

鳥類も、強い恐竜たちがいる地上では生きていくことができなかったため空に逃げた生物が進化したということだが、結果的には、弱い生物がその後長く生きることになるというのは、共通している。

また、進化のプロセスにおいて、「環境への同化」という現象が起こっているということも興味深い。亀はもともと甲羅はなかったが、身を守るために土を掘り、その過程で肋骨が発達し、そして、身を守るための環境と同様の環境を自分自身の身体が作り出したというのだ。

まずは、身を守るための環境を確保する。そしてそれから環境への同化(進化)が起こる。これは、現在の大きな環境変化に対する混乱への一つの提案となるかもしれない。適応や進化がいきなり起こるわけではないのだ。

安全な環境を確保し、その環境において、その環境とコミュニケーションをとることで新たな進化が起こる。

ちなみに、「環境とのコミュニケーション」というのは、ものすごくざっくり言うとフェロモンによって行われているということで、生物は自らが身を置く環境に働きかけ、そしてその環境から影響を受けるということを行なっているそうなのだ。

これも、オンライン空間への移行によって起こる混乱と関係が深いだろう。私たちは言葉を交わさずとも、同じ空間にいるだけで他者を含めたその空間・環境とコミュニケーションを取っていたのだ。

さらにこれはまた別の話だが、「酔う」という現象が視覚情報と身体感覚の不一致によって起こるということも分かった。

ここのところ、大人数の出席するカンファレンスに参加すると思考と肉体の疲労が大きいと言うことを感じていたのだが(そしてそれは英語空間に身を置くことで起こるのだと思っていたのだが)、映像酔いについての論文がすでに2000年は発表されているように、私たちは視覚情報(例えば何十人もの参加者が画面に映っている)と、身体感覚(自宅などのプライベートな空間にいる)の不一致によって、疲労を始めとした「酔い」の症状が出ているということが分かった。

特に私はエンパスという、人の感情や思考のプロセスを共体験する体質なため、画面に複数人の顔が映っていると、人数分の映画が同時上映されているような状態になる。スピーカービューで、話者が固定されている場合、酔いは起こりづらいが、先ほどの話から環境を共有しないオンラインの空間での、特に大人数での集まりとは明らかにリアルな場とは「勝手が違う」ということを実感している。

不思議なことに耳だけで音声を聞いているときは「酔い」は起こらない。これは私がコーチングのトレーニングを聴覚情報だけで受けており、かつコーチングスキルのトレーナーとしても聴覚情報だけの中でトレーニングを提供していたためかなり「慣れ」があるということが想像されるが、おそらくそれだけではないだろう。

人間は本来、聴覚だけでもかなりの情報を受け取ることができ、視覚情報と身体感覚が一致しないのであれば、いっそのこと聴覚情報だけを使った方が身体への負担も少なく、やりとりするものの感度が高いのではないかと思う。

もちろん、顔を見ることには関係性を築くという効果もあるが、場合によってはそれが依存的な関係を作り出すこともあるし、百害あって一利なしとまではいかないが、少なくともオンラインをリアルな場の置き換えにしようとすることは無理があるだろう。

オンライン酔いについては子どもたちをはじめ、繊細な感覚を持つ人たちが困難を感じている可能性がある。それに対して、感覚の統合や認知の書き換えが有効だという考えもあるようなのでそのあたりはまた研究および実践を進めたい。

そして細胞レベルでの環境および他者とのコミュニケーションについてもできれば様々な文献をあたりたい。特にダーウィンの進化論は一度読んでおきたいところだ。

インテグラル理論では四つ象限を用いて世界を捉える視点を提案しているが、実際には物理的な環境や関係性と個人の身体・心は双方に影響を与えあっているということが生物学的に(細胞学的に?)示すことができそうだ。それはあくまで右側象限的な、科学で証明ができる範囲の見方かもしれないが、人間のメカニズムを紐解き、人間の多様な面を受け止め、抱擁することの後押しにはなるだろう。

現在、日本の企業の中で発生しているコミュニケーションやリーダーシップ・関係性の課題にこれからさらに深く関わっていくことになりそうだが、これらは、そこだけ切り出した部分で捉えるものではなく、「環境変化に生命がどう適応し、進化してきたか」という視点や、人間(生物)の根本的なメカニズムを取り入れる必要があるだろうと感じている。

各専門家が積み上げ、深めてきた叡智をつなげるようなことができればきっと私たちが現在ぶつかっている課題も乗り越えることができるだろう。

特にコミュニケーションについては、進化の歴史を捉えることが、その理解と進化を後押しするのだと強く感じている。2020.7.14 Tue 21:42 Den Haag