746. 発達をするよりも大切なこと

今朝は日記を書いたんだっけ。

書斎の小さな机の前のバランスボールに座り、そんなことを考える。

見上げると空の高い位置に、綿菓子のように薄い雲が広がり、その手前をカモメが風に吹かれるカイトのように飛んでいく。

記憶が空に溶け出し、「何をしたか」ということが意味をなさなくなっていく。


今日はオランダに住む友人が話をするオンラインでの対談を聴講した。

まさにそこに立ち現れる生き物のようなセッションで、そこで感じたこと、刺激を受けたことは今後きっと色々な場面で実際の経験との間で結び目をつくっていくだろう。そんな中特に印象的だったのが、「全存在に居場所を与える」「人間には発達をするより大切なことがあるのではないのか」という言葉だ。

この言葉が印象的だったということは、今そこに価値を見出す自分がいるということだ。

その背景には何があるのだろう。

それは私自身が追ってきた「それぞれの人が本来持っている力を発揮する」というテーマに関係する。

このテーマは私自身のDNAに刻み込まれたものであり、さらに、そんな願いを持っていた母から受け継いだギフトでもある。同時に、成長する過程であたたかいまなざしを向けてくれた人たちからのギフトでもあるだろう。

このテーマについて探究する中で発達という概念に出会った。人の意識はいくつになっても発達していく。この考えはとても魅力的なものに思えたし、様々な人との対話を通じて実感もしてきた。「持っている力」というのは、まだ開かれていない可能性も含んで指す言葉であり、その可能性を開いていくことは、人生をさらに喜び溢れるものにするのだと思ってきた。


その考えは今でも変わらない。

しかし現実世界をはたと見たときに、前へ前へ、上へ上へと進もうとする考えがときに歪な状態を引き起こすとともに、人を、商業化・商品化・消費的な方向に向かわせることを後押しすること、そして私たちの足元で様々な(ときに命の生存に関わるような)課題が山積しているということ、その課題が一向に解決されていないということ、そして様々な環境で精一杯の毎日を生きている人たちがいるということに気づいた。

「人間が発達していくことでそれらの課題は解決されていく」

という人たちもいるかもしれない。


本当にそうだろうか。

高次の意識はさらに高次の課題を生み出していく。

また、人間は、様々な段階を経ていくというのが自然な状態である。

向かう姿がどんなものであっても、促成栽培されるようなことは不自然さを伴うだろう。


今この中庭が美しいと感じるのは、様々な種類の草花が茂り、その大きさも形も背の高さも違って、そこに指す太陽の光は一筋のものであっても、その先にいくつも影が現れるからなのだ。

あるものの緑は深く、あるものの白は儚く、あるものの黄色は力強く。

そこに吹き込む風によって、一瞬一瞬揺らぐ景色。

行きつ戻りつ巡る。

そんな命があるから美しいと思うのだ。

地球はすでに、戻ることのできない終末の道に向かっているかもしれない。
人間の命の輝きは、星がその命を終えるときに放つ強い光となるのかもしれない。

そうであったとしても、そうであるのならなおさら、そこにある命そのものと向き合う以上に大切なことがあるだろうか。

これは刹那的に生きるということではない。

一瞬の中の永遠を生きるのだ。永遠の中の一瞬を生きるのだ。

見上げた空は青く、大きな雲がゆっくりと南の方角へと向かう。

鳥の声が身体の中で響いている。2020.7.10 Fri 18:55 Den Haag