740. まなざしと匂いとつながり

 

今日も中庭の木々は、湿りを帯びた色をしている。
向かいの家の小さな物置の平らな屋根の表面に、小さな黄色い花が咲き広がっている。さながら、箱庭のようなその場所が何だか愛らしく感じる。

この感覚は何だろう。草花がのびのびと茂っている様子も好きなのだが、狭い隙間などにころんと苔が生えている様子などを見ても、たまらなく心惹かれるのだ。それはかつて、小さな小さな世界が、自分にとって世界の全てだった頃の名残なのだろうか。それとも、人や世間とは距離を置きたがるひとりぼっちの精神が「隙間」や「端っこ」を好むのだろうか。

あの小さな苔の可愛らしさというのはなかなか人には伝わらないようで(それもそうだろう、私自身が伝えようがない)、それでも、散歩の途中で立ち止まっては苔や花を見る私を待ってくれる人がいるというのはありがたい。

両親に大きな愛を向けられて育ったという感覚はあるものの、三人兄妹の真ん中という立場上、自分だけに向けられるまなざしというのは、例えば兄妹がいない人のそれに対して相対的に少なかったのだと想像する。(子への想いという意味においては、過多はないとも思うのだが。)

そのためか、「自分を見守るまなざし」というのを今でも求めている面があるのだろう。しかしそれを他者に求めるのには限界があるだろう。自分で自分を見守る。そんなまなざしを育てていくのだ。それはきっと他者を見守るまなざしのあたたかさ・深さにもつながるのだと思う。

こうして書きながら、何となく思考のもたつきのようなものを感じていて、それは肩周りや胃の感覚とも連動している。

昨晩は夕食にチーズをのせたトーストを食べたのだが、チーズがおそらくヤギのチーズだったようで、焼いたあとはとても美味しかったのだが、焼く前はその匂いが少し苦手だと感じた。

匂いというのは、身体との相性を敏感に示してくれているように思う。

人は未知の食べ物に出会ったとき、おそらく、見た目よりも匂いでその性質を判断するに違いない。怪しい状態の?食べ物も、「変な匂いがしていないか」が判断基準となるのは私だけではないはずだ。


そう考えると、オンライン上で出会った人と、深い恋愛関係になるのかという疑問が湧いてくる。精神上のつながりというのはきっと大いに深められるだろう。オンラインだからそもそも肉体的関係になりようがないのだが、どんなにオンラインで関係を深めたとしても、それが現実的・実質的な関係に発展するかというとそうでもなく、最後の決めてとなるのはやはり直接会ったときの感覚なのではないかと思う。

人間は、子孫を残していくという観点から、DNA上の相性を匂いで嗅ぎ分けているという。近しいDNAを持つ人とはあえて恋愛関係にならないようにできているのだ。

しかし、精神の深いつながりはDNAの相性を超えるのだろうか。

オンライン上で精神的に深いつながりを持てる相手であれば、おそらく直接会った際もそれがさらに深まるはずで、DNAの相性というのは最終確認といったくらいなのかもしれない。

日本に住む人たちとはすっかりオンライン上での関わりが定着しているが、そんな中、直接会ったときはどんな感覚なのだろうということに興味が湧いている。(それを確認できる日がいつ来るかは分からないのだが。)

このあと、空間をととのえて、今日の対話と思考に向き合いたい。2020.7.7 Tue 8:26 Den Haag